2016年4月17日日曜日

韓国・朝鮮人の建国概念その特異性

ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』
William Elliot Griffis, Corea the Hermit Nation, Kessinger, 2004.

This is a good specimen of Corean varnish-work carried into history. The rough facts are smoothed over by that well-applied native lacquer, which is said to resemble gold to the eyes. 
The official gloss has been smeared over more modern events 
with equal success, and even defeat is turned into golden victory.
 (pp. 150-151)

これは朝鮮人による歴史の塗装作業の良い見本である。つらい現実には
国産塗料を塗りたくり、黄金に見せかける。さらに後世の事件に対しても、
公的な虚飾が巧妙に施され、敗戦すら輝かしい勝利に変えられる。

この記事を読めば、140年前グリフィスが感じた朝鮮人の
「歴史の塗装作業」がげんじつであることが・・・
 
【コラム】「光復」と「建国」を同時に生かすには

1945年8月の「光復」と1948年8月の「建国」をそれぞれどう解釈するかに
関する論争が始まったのは2008年だった。
この年の2月に発足した李明博(イ・ミョンバク)政権が光復節を前に
「大韓民国建国60周年記念事業委員会」を立ち上げると、独立運動関連の
団体や野党が「建国60周年という主張は違憲だ」として憲法裁判所に訴えた。独立運動の歴史を専門とする研究者たちも「大韓民国の建国は1919年9月の
臨時政府発足の日」との見解を示し、彼らの主張を後押しした。
訴えは棄却されたが、問題となった政府記念行事に野党などが参加を
見合わせたことも影響し、その後も論争は続いた。
学界は学術会議などを開いて意見の集約を目指しているが、それでも
「1919年建国説」と「1948年建国説」は今なお激しく対立している。

対立を一層悪化させる要因になったのは「光復節」を「建国節」に
変更しようとする動きだった。
一部の研究者がこのことを主張し、与党セヌリ党の
鄭甲潤(チョン・ガプユン)議員は同じ内容の法改正案を提出したが、
論争が激化したため取り下げた。しかし
建国節制定の動きはその後「1948年建国説は1945年8月の光復節と独立運動の
意義を引き下げるものではないか」といった疑問の声を呼び起こすに至った。

その後も「光復」と「建国」の衝突はたびたび繰り返された。
2010年1月にオープンした大韓民国歴史博物館は展示物の説明の中に
「大韓民国の樹立」と表記しようとしたが、光復会の反発を受け
「大韓民国政府樹立」に訂正した。昨年、
韓国史の教科書が再び国定化されることが決まった際
「大韓民国政府樹立」という表記が「大韓民国樹立」に見直されたが、
これにも批判が相次いだ。
この問題は国定教科書の内容が公表されれば、再び激しい議論を
呼び起こすのは間違いない。

国民全体が祝うべき「光復」と「建国」が逆に国を分裂させる事態となる中、社会学者として知られるソウル大学名誉教授の韓相震(ハン・サンジン)氏が「建国と建国節を分けて考えよう」と提唱していることに
注目が集まっている。
「独立運動の歴史性については十分に認めるが、事実上の建国については
1948年と考えるのが合理的であり、また光復は建国よりもより本源的で
包括的であるため『光復節』とする方が知恵のあるやり方」というものだ。
実際、このような考え方は学問的に考えても妥当であり、国民の歴史認識にも合致する。しかし両極端の考え方が併存しているため、今に至るまでこの
矛盾点については正面から説明されていない。

大韓民国臨時政府はその歴史的正当性については否定しようがないが、
実際は領土も国民も主権もなかったため、臨時政府樹立を「建国」と
見なすのは難しい。1949年10月に
国慶日(国全体が祝う日として法律で定められたもの)となった光復節は、1945年8月の「解放」と1948年8月の「建国」を同時に記念する日だった。
ところが歳月が流れると「解放」ばかりが強調され「建国」の意味合いが
弱まったが、最近になって「建国」が再びクローズアップされているため、
あらためてバランスを取る必要が出てきた。

しかし「光復」と「建国」という二つの意味合いを同時に生かすのは
「折衷的」という批判を受ける恐れがあるため、もう少し踏み込んだ説明も
必要だ。この問題については歴史学者でソウル大学名誉教授の
韓永愚(ハン・ヨンウ)氏が「建国を強調することで、大韓民国の根が
切り取られる方向に向かうのは危険だ。
臨時政府を切り取ると親日派が息を吹き返す」と警告している。
この言葉にもわれわれは耳を傾ける必要があるだろう。

ある中堅歴史学者は1919年の臨時政府樹立を大韓民国の「懐妊」、1948年の
建国を「誕生」に比喩している。この間に大韓民国のために貢献した
民族運動家たちを「建国の父たち」として新たに再認識すれば、この二つを
つなげることは可能だ。またそのような認識によって植民地時代における
国内外の民族運動と大韓民国の連続性を明確にできれば、韓国社会にとって常に大きなテーマとなる「光復」と「建国」の対立を、歴史的事実に
合致させながら、なおかつ国民を統合させる形で解決することも可能になる。われわれは今こそそのための知恵を結集しなければならない。

イ・ソンミン先任記者  朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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