2016年6月9日木曜日

今日の歴史(韓国)、日本・弘安の役、新元素113番ニホニウム

この、「蒙古襲来」は事実上は朝鮮半島の高麗国の日本侵略、1274年と7年後の1281年、二度にわたり襲来したがほぼ九州北部の玄界灘、海岸と島が戦場となった。
不思議なのは一度目も二度目も、朝には玄界灘から消えていたという事、この事
高麗と元の記録によれば、作戦上意見が分かれたらしい・・・
高麗は働き手の若者たちが招集され、船作りから日本出征まで、日本侵攻から
帰ってきた若者たちは半分にも満たなかったと記録にあるらしい~~~
高麗王は晩年死の床で遺言として
「隣国に猛々しい国あり、決っして関わる事のないように」と遺言した聞く。

日本の鎌倉時代中期に、
当時大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)およびその属国である
高麗王国によって2度にわたり行われた対日本本土侵攻の呼称である。
1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、
2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。
特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、元寇以前では
世界史上最大規模の艦隊であった[46]。主に九州北部が戦場となった。

1281年(弘安4年5月21日) - 元寇: 壱岐・対馬に高麗の兵船が襲来。
              弘安の役の始まり。

今日の歴史(6月9日)
2016/06/09 00:00文字拡大  文字縮小  印刷 twitter  facebook

1909年:義兵闘争指導者の河相泰(ハ・サンテ)が長湍で日本軍の
      襲撃を受け自決
1953年:閣議で南北休戦協定拒否を議決
1976年:韓国赤十字社が北朝鮮赤十字社に秋夕(中秋節)の墓参り交流を提案
1987年:延世大生の李韓烈(イ・ハンヨル)さんが校内デモ中に警察の
      催涙弾を受け意識不明に(7月5日に死亡)
2002年:北朝鮮脱出住民(脱北者)3人が北京の韓国公館に駆け込み
      亡命を要請

新元素はニホニウム 日本初、理研チーム命名 113番、
周期表に記載 年末にも正式決定

理化学研究所のチームが発見し、
日本で初めて命名権を獲得した原子番号113番の新元素の名称案は
「ニホニウム」であることが明らかになった。
元素記号案は「Nh」。
元素名を決める国際純正・応用化学連合が8日夜、発表した。
既に内部審査で承認しており、年内にも決定する。

同連合は5カ月間にわたって一般からの意見を公募する。
重大な反対意見がなければ、アジアで初めて発見された元素として周期表に
記載される。
名称案が発表後に覆った例は過去にないという。

名称案はチームを統括した森田浩介グループディレクター(九州大教授)が
日本の国名にちなみ決定。
アルファベット表記は「nihonium」。元素記号は最初の2文字を使うと
ニッケルと同じ「Ni」になるため「Nh」とした。

森田氏は「応援してくださった日本の皆さんのことを思い命名した元素名が、
人類の知的財産として将来にわたり継承される周期表に載るのは大変光栄だ」と
コメントした。

理研チームは平成16年以降、加速器を使った実験で113番元素の合成に
成功し、ロシアと米国の共同チームと発見を激しく競ってきた。
信頼性の高さが決め手となり昨年12月末、同連合から発見を認定され
命名権獲得が決定。今年3月に名称案を提出していた。

元素は全ての物質を構成する基本要素のことで118番まで見つかっている。
名称と記号は発見チームに提案権が与えられ、これまで欧米露が独占していた。

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