2016年9月12日月曜日

国民資質の改革は可能~~か、韓国

そう、漢に滅ぼされ、唐に滅ぼされ、ついには中華大陸に従属したことも、
そして近現代史において、日本に領土を譲渡し、併合に至ったことを国民に
正しく教えなくてはいけない、其れが国民資質を変える・・・
   
【コラム】韓国史学界の「恐るべき子どもたち」

人文学は、しばしば「静かな湖」に例えられる。
科学技術の目覚ましい発展と比べ文・史・哲学は、相対的に、驚天動地な
事件がまれだからだ。しかし最近、
韓国の歴史学界に静かな波紋が広がった。
季刊学術誌『歴史批評』春・夏号で、6人の韓国史研究者が在野史学界
(大学教授でない歴史学者からなる歴史学界)の古代史解釈を正面から
批判したのだ。
「在野の歴史学者の主張は歴史的考証もきちんとなされていない状態で、
そこに民族主義という名の下、一部の国会議員や進歩的知識人が
呼応している」というのが記事の趣旨だ。
「サイバー歴史学」「歴史ファシズム」といった激しい用語を使用するほど
強硬な批判だった。

古代史と現代史は、韓国史の2大「地雷原」だ。それほどに
「爆発」しそうな争点が埋まっている。古代史の代表的な争点の一つが
「漢四郡の位置」問題だ。
漢四郡とは紀元前108年、漢の武帝が古朝鮮を滅ぼした後に設置した
楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡のことを指す。この中でも、
400年にわたって存続した楽浪郡の位置が中心的な争点だ。これまで
(大学教授からなる)主流の歴史学界は、平壌一帯に楽浪郡があったと
みていた。ところが在野の歴史学界が
「楽浪郡は遼河(中国東北部)の西側にあり、韓半島(朝鮮半島)北部説は
植民史学の名残」と攻撃したことで、論争が始まった。
今回の『歴史批評』の特集は、在野歴史学界の批判に対する主流歴史学界の
答えとみることができる。

今回の論争には、興味深い点が二つあった。まず一つは、
ソウル大学国史学科講師、延世大学博士課程在学、成均館大学博士課程修了といった経歴・職責が示すように、寄稿した研究者の多くが30-40代の
少壮研究者だったことだ。
主流歴史学界の立場を受け継ぐ「学問後継世代」が今回、論争に
大挙参入したと理解することができる。もう一つは、
古代史論争にも「攻守交代」の兆しが見えるという点だ。これまでは、
在野歴史学界が攻勢的な態度であったとすると、主流歴史学界の方は防御に
重きを置いていたといえる。
ところが今回の論争では、主流歴史学界の見解を支持する若い研究者らが
反撃に出た。
古代史において「刀のつかを握る」者が変わった、というわけだ。

実際、古代史に民族感情を結び付けすぎることには、時代錯誤的な面がある。古代史は、近代的な民族国家が形成される前の領域だからだ。英国は、
5世紀にアングロ・サクソン人がブリテン島に侵攻した後に成立したという
事実を隠したりせず、フランスは、一時ローマ帝国の支配を受けたことを
恥じたりしない。
アングロ・サクソンの支配がなければ、英国は英語ではなくケルト語を
使っていたはずで、ラテン語がなければ、優雅なフランス語は
誕生しなかったかもしれない。

陣営の論理でしか学問を見ないなら、一進一退の攻防が繰り返されるだけだ。「後ろの波が前の波を押し出す」という世代交代の観点から思考して初めて
流れが見え、発展が生まれる。国史学界の
「恐るべき子ども」(enfant terrible)の登場は、
こうした意味でも喜ばしい現象だ。

キム・ソンヒョン文化部次長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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