2016年10月23日日曜日

記録保存、エドガースノーの紅軍の写真

毛沢東は外国、ましてやロシア・ソ連にも行った事が無く、当然外国語が
話せなかった。
まァ、政治家で無く、軍人でも無く、いわば政治の世界に紛れこんだ武人
侠客の類、この写真1930年までの中華の姿よく見ると集団の中に大人に
混じって少年が多数いる、中華大陸では、内戦でも外国とでもある街で戦闘が
行われて勝てばその街で3日間とか、一週間とか兵士は無礼講、何をしても
婦女子をレイプしても、殺人をしても、強盗しても、おかまいなしだった。
負け戦でも逃げるついでに同じ事をしていた。
これは、紅軍も国民党軍も同じ、国民党軍にも多数の少年兵がいた、そして
其れは1949までの国共内戦までつづいたのだ。それが
真の中華大陸の姿~~~~~

エドガー・スノーの撮影した紅軍の姿
人民網日本語版 2016年10月22日13:49







写真はエドガー・スノー撮影prenext prenext

米国の作家でジャーナリストのエドガー・スノーは1928年に初めて
中国の地を踏んだ後、2回にわたって陝西省、甘粛省、寧夏回族自治区の
一部地域を訪れ、中国共産党と共産党が指導する革命闘争を深く理解した。
37年には「中国の赤い星」を執筆。中国語版の書名は「西行漫記」だ。
新華社が伝えた。

スノーは36年6月から10月にかけて、陝西、甘粛、寧夏の一部地域で
毛沢東や彭徳懐ら紅軍の指導者と膝を交えて語り合い、紅軍の戦士を
取材し、2万5千キロメートルに及ぶ長征の一次資料を収集した。
これにはたくさんの写真も含まれている。









(編集KS)

「人民網日本語版」2016年10月22日

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