2017年6月12日月曜日

【萬物相】伽耶史

事実は大統領出身の半島南東部の地域おこしに絡む利権興しでしかない。
まァ、半島の事だ好きなようにすれいいさ~~~、
日本書紀に書かれている事も、中華の歴史書にも書かれている事も
無視して半島人特有の感覚で復元する訳だ~~~

【萬物相】伽耶史

世界史上、これほどのロマンスがあるだろうか。
16歳の王女がインドから3カ月間船に乗って韓半島(朝鮮半島)に渡ってきて国王と結婚したという伽耶の王妃の話だ。
2000年前の伽耶(駕洛)の始祖・首露王と古代インドから来た許王妃が
その主人公だ。
スケールの大きさはとてつもない。古代史最大のスキャンダルとされる
クレオパトラとアントニウスのロマンスさえ、舞台は地中海の
半分程度に過ぎない。

正史である『三国史記』は伽耶史を新羅の周辺史として短く取り上げた。伽耶に対する冷遇はここから始まったという。
562年に新羅に服属したので、新羅の一部と見るべきだという訳だ。
「それでは約100年後に滅びた百済や高句麗も同様に扱わなければ
ならないのでは?」という「伽耶史復権」主張は、三国史記編さん
直後からあった。
『三国遺事』が伽耶の説話を詳細に記述したのも、そうした議論の
産物と言えるだろう。

制度上の冷遇にもかかわらず、伽耶史の生命力は強かった。
見方を変えれば、これもロマンスと関連がある。説話によると、
首露王と許王妃の間には息子が10人生まれたという。
その子孫は栄え、金海金氏、許氏、仁川李氏は現在、「駕洛宗親会」と
いう名称で連帯している。
金海金氏の人口だけで400万人を超えており、韓国で最大の氏族だ。
昔も今も数は力だ。朝鮮士林派のキム・イルソンが伽耶史復元に
貢献したのも、金海金氏のルーツに対する愛着からだった。
朝鮮時代中期・南人派の党首・許穆(ホ・モク)も
「我々の氏族は駕洛から出た」と、伽耶史を系譜のように重視した。
その努力が李イク(イ・イク)・安鼎福(アン・ジョンボク)、
丁若鏞(チョン・ヤギョン)ら朝鮮後期の実学者たちの
実証的伽耶史研究につながった。

他意によって伽耶史はひどく汚された時代もあった。
「倭(古代日本)が伽耶7国を平定した」という日本書紀の、いわゆる
「任那日本府」記述だ。
この歪曲(わいきょく)された記述を帝国主義時代の日本は
韓半島支配合理化の道具として利用した。この主張は、
長年の議論の末、破られた。日本でも正統派の歴史学者はもはや
信じていない。
倭が支配したという時期、伽耶は韓半島鉄器文明の中心で、倭は伽耶の
文明を伝授してもらうのに汲々としているレベルだったことが
明らかになったためだ。

文在寅(ムン・ジェイン)大統領が伽耶史研究と復元を注文した。
「現在の局面からは思いも寄らない話である可能性もあるが…」と
言ったという。
これについては「韓国の東西の和合が目的」という見方もある。
かつての伽耶の領域は現在の慶尚道(韓国南東部)から
全羅道(韓国南西部)にまでわたるためだ。歴史学を政治と完全に
切り離すことはできない。しかし、
政治から遠ければ遠いほど意義のある成果が長く続く。
文在寅大統領の注文が現実の政治と関係のない、本物の
「思いも寄らない」歴史的所信だったらと思う。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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