2017年6月6日火曜日

ある知韓派日本外交官の背信

この論説委員、いくつか知らないが韓国と韓国人は日本を信じているのか
日本は戦争を仕掛けて勝たなければならぬ敵国だろうよ~~!!
何時も日本は、敵国だ~~アァ、敵国だといってるだろうが、それに、
在日本大使が、裏切りだ、背信だ~~とか云われる筋合いはない、日本の大使が日本の為に意思表示するは当たり前のこと其れに第二の故国なんぞ
思わないから~~~~~

【時視各角】ある知韓派日本外交官の背信
(1)
2017年06月06日08時13分 [中央日報/中央日報日本語版]

1日、日本で『韓国人に生まれなくてよかった』という嫌韓書籍を
出した武藤正敏元駐韓国大使。
彼はかつて日本の代表的な知韓派外交官に挙げられた。
武藤元大使が韓国人を一概に罵る本を出したと聞いて当惑したのも
そのためだった。
韓国内での言動を振り返ると、日本人全員が罵っても最後までこの国を
かばう人物がまさに武藤氏だった。

日本外務省内には
「コリアンスクール」(Korean School)というところが
ある。
外務省内の韓国専門家集団だ。1970年代初めまでは韓国で勤務した
職員がほとんどだった。しかし
70年代からは外務省レベルで3-4年に1人ずつ外交官試験合格者を
ソウルに派遣し、最初から韓国専門家として育てた。この頃から
韓国の重要性が高まってきたからだ。

外交官試験合格者のうち最初に韓国専門家として育成されたのが
武藤氏だった。
外務省が望むように武藤氏は韓国と深い縁を結んだ。
5回の勤務で韓国滞在期間は12年。それだけでなく外務省本部でも
韓国業務を引き受けることが多かった。
2010年に武藤氏が大使として赴任した当時、
「韓国語を流ちょうに話す初のコリアンスクール出身者」として
韓国メディアが歓迎したのは当然のことだったのかもしれない。

このような期待に応じるように武藤氏は完ぺきな韓国語を駆使し、
韓国の人たちともうまく交流した。
2011年の東日本大震災当時、韓国から寄付が殺到すると
「これほど韓国人の情を感じたことがなかった」と述べて頭を下げた。
大使を退任する際、
「韓国と40年近く縁を結んできたことを幸せに思う。
両国間のさらに深い相互理解のために力をつくしたい」と述べたのが
武藤氏だった。

しかし
こういう言葉が色あせるように武藤氏は韓国と韓国人に泥を塗った。
この本を読んでみるとあきれる。
5つの章で構成された本は嫌韓ムードで満たされている。第1章の
「最悪の大統領 文在寅とは何者か」をはじめ、
「執拗な『反日の嵐』が吹き荒れる」
「国家も国民も孤立していく韓国」
「こんな過酷な社会では生きていけない」と続いた後、
「宥和がさらなる金正恩の暴挙を招く」という第5章で終わる。
この本に出てくるように彼が文大統領に会ったのはわずか1回だ。
それでも武藤氏は「最悪の大統領」と断定する。
文大統領がどうなるかは韓国人もよく分からないというのに。

すべてのものには法度がある。殺され殺す戦場にも最小限の不文律は
存在する。
第2次世界大戦中に爆弾を浴びせ合ったドイツと英国だったが、
どちらも大学都市のオックスフォード・ケンブリッジ、
ハイデルベルク・ゲッティンゲンだけは爆撃しなかった。
未来の世代のための最高の学びの場だけは残そうという暗黙的な合意が
あったのだ。
韓日関係もそうだ。いくらねじれても守るべき最小限のマナーがある。

もちろん外交官であっても過去の駐在国の特定懸案に対して建設的な
批判はできる。しかし
第2の故郷ともいえる国とその国民をひとまとめにして侮辱するのは
外交官としてはあり得ないことだ。

今回の件で武藤氏は外務省内の同僚、特にコリアンスクールの後輩に
良くないことをした。
韓国人は韓国語を話す日本の外交官に会う場合はできるだけ
もてなそうとした。
他の日本人より韓国の歴史と立場を深く理解するだろうと信じたからだ。しかし武藤氏の背信後、韓国語を流ちょうに話す日本の外交官に会えば、以前のように好意を持って接することができるだろうか。

慰安婦合意など両国間の葛藤は依然として少なくない。しかし
北朝鮮の核問題など韓日が緊密に連携するべきことも多い。
両国が3日、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を安定的に
運用することで合意したのもそのような事例だ。

日本の知性に問いたい。誰よりも韓国をかばうべき元大使が背後から
刃物で刺す行動をはばからなければ、
どのように日本人を信じて事を進めることができるのかと。

  ナム・ジョンホ/論説委員

0 件のコメント:

コメントを投稿