2017年7月3日月曜日

いつもの事ながら、ウザい記事だわ~~

韓国大手の中央日報がまたしても無駄に長く、ウザく、鬱としい記事を
載せているが、この記事、この間の米国の歌手の旭日旗には波紋が予想
されるとか言っていたがこの無能教授も、旭日旗如きで騒ぐのは、
飽きたか、それともさほど効果ないと見た~~か。
これも民族の差だな、無能で無知は逆恨みするしか方法がない。

水底1000メートルで窒息死・圧死…日本軍艦島は
「地獄島」そのもの(1)
2017年07月03日13時47分 [中央日報/中央日報日本語版]

長崎港の近海に位置した軍艦島(端島)。(写真=中央フォト)  

独島(ドクト、日本名・竹島)・東海(トンへ、日本名・日本海)の
広報の旗振り役を務めている徐敬徳(ソ・ギョンドク)
誠信(ソンシン)女子大教授(43)は5日、軍艦島に関する
映像広告を米国ニューヨークのタイムズスクエア電光掲示板に掲載する
予定だ。

5日は軍艦島が国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に
登録されてから2年目になる日だ。
15秒の広告には「世界文化遺産に登録された日本・端島は
韓国人強制徴用者が100人以上死んでいった地獄島」という内容が
入っている。

今月末に公開されるリュ・スンワン監督の映画『軍艦島』も
「地獄島」と呼ばれた軍艦島から脱出を試みる韓国人徴用者の物語を
描いている。これに先立ち、
2月に極右指向の産経新聞は「ねつ造された映画」と批判する記事を
載せ、リュ監督は「歴史的事実に基づいた映画」と反論した。
同島をめぐり、なぜ日本は「産業化の遺産」として、韓国は侵略被害の
象徴として記憶しているのだろうか。

軍艦島と呼ばれている端島は、長崎港から南西に約18キロ
離れたところにある。南北に480メートル、東西に160メートル、
周囲1.2キロという小さな島で、6回にわたった埋立工事を通じて
3倍程度に大きくなった。

無人島だったこの島から1810年に石炭が発見されると、
1890年に日本の産業化を主導した三菱が島を買いとった。
海底炭鉱開発が本格化して島全体が日本を代表する近代的産業施設に
変貌した。

狭い島に多くの人を収容するため、日本初の鉄筋コンクリート構造の
アパートが建設された。
この過程で島の外観が日本の軍艦『土佐』に似ているということで
軍艦島と呼ばれるようになった。
敗戦直前の1945年ごろには約5000人が住んでいた。

海水面下1000メートルの海底炭鉱から採掘された石炭の品質は
非常に良質だった。
1810年に初めて石炭が発見されてから1974年廃鉱するまで、
燃料用石炭と製鉄用原料炭1570万トンを供給した。日本が軍艦島を
「造船や製鉄・製鋼の分野の面で日本の近代化に大きく貢献した」
(長崎市広報ホームページ)と評価する理由だ。

軍艦島はしかし、韓国・中国など周辺国には帝国主義と強制徴用の
記憶として残っている。
朝鮮を侵奪して植民地とした日本は、世界大恐慌(1929年)に
見舞われ、その「脱出口」として侵略と戦争を選んだ。

満州事変(1931)・日中戦争(1937)で戦争を拡大した日本は
1938年「国家総動員法」を制定・公布した。
戦争に必要な資源の強制徴発を可能にしたこの法を通じて、日本は
植民地だった韓国から人的・物的資源を確保した。

志願兵制・徴兵制を導入して韓国の青年を戦場に連れていき、
国民徴用令を通じて戦争施設の建設にも動員させた。また、
女性を連れて行って「日本軍慰安婦」として性的奴隷生活を強要した。

日本側の資料によると、1939年から45年3月まで
日本・サハリン・南洋群島などに強制動員された韓国人は
72万人余りに達する。
徴用された人々は主に作業環境が劣悪な炭鉱・建設現場・工場の職に
従事していた。
韓国人徴用者らは日本人の半分も及ばない4ウォン以下の賃金を
受け取り、それさえも本人は手も付けられないまま
「強制貯蓄」とされた。

軍艦島にも韓国人徴用者がいた。
韓国人が初めて流入したのは1917年と推定され、37年の
日中戦争後、その数は大きく膨らんだ。
生存者の証言によると、1943年から45年間約800人の韓国人が
働いていたものと推定される。
彼らは非人間的な環境で苦痛を受けた。
海水面1000メートルの深さの海底炭鉱で、最も危険な採掘場所に
配置されることが常だった。
高さが50~60センチにしかならないほどの狭苦しい空間で、
横になった姿勢で石炭を掘ったという。摂氏40度を越える炭鉱には
海水が入り込み、坑内はガスが埋まって爆発の危険も高かった。
トイレもない空間で労働者たちは一日2交代で12時間以上働いた。
ちゃんとした食事も提供されなかった。

このような劣悪な環境で病気になったり炭坑事故や栄養失調で
死亡したりする人々が多かった。
逃亡を試みたが溺死する場合もあった。
1986年、日本の市民団体が発見した当時の死亡診断書によると、
韓国人122人が事故死・窒息死・圧死などの理由で死亡した。

2014年、日本は軍艦島など九州一帯の23カ所の施設を
世界文化遺産として登録するためにユネスコに申請した。
申請理由として、日本は「西洋から非西洋への産業化の移転が成功し」、「19世紀後半から20世紀の初頭にかけ、日本は工業立国の土台を
構築し、後に日本の基幹産業となる造船,製鉄・製鋼,石炭と
重工業において急速な産業化を成し遂げた」と提示している。

このうち軍艦島や長崎造船所など7カ所の施設は韓国人数万人が
強制動員された場所だ。当時、
日本は世界文化遺産の登録期間を1850年から1910年までに
限定しようとしたが、これについて「朝鮮を強制併合した時期を
除外して議論を避けようとする意図との批判が出た。
韓国・中国だけでなく、各国の歴史学者も批判した。世界歴史学者の
共同声明を主導した米国コネチカット大のアレクシス・ダデン教授は
「日本は韓国人強制徴用があったという事実も記録しなければならない」と主張した。

2015年7月、ドイツ・ボンで開かれた世界遺産委員会はこれら
施設の世界文化遺産を最終登録する決定文に
「各施設の歴史全体が分かるように」という国際記念物遺跡協議会
(ICOMOS、イコモス)の勧告を明示した。

当時、日本側代表も「韓国人らの意思に反して苛酷な条件で労役を
したという事実を理解できるようにする」と明らかにした。だが、
登録以降、日本政府は「(世界遺産委員会が)強制労役を
認めたわけではない」(菅義偉官房長官)という立場を明らかにした。
現在、観光地として活用中の軍艦島のどんな案内板にも強制徴用の
事実を明らかにする文面は見当たらない。

日本は依然として「記憶したい部分」だけを見せようと必死だ。
近代化・産業化の様子だけを強調して、その過程で行った暴力や収奪の
記憶は消そうと努める。
「日本軍慰安婦」問題も同じだ。
このような両面的な態度は正しい歴史意識ということはできない。
「許すことはできる。だが、忘れることはできない」という言葉の
ように、真の平和と寛容は忘却でなく記憶から始まる。

  ◆ユネスコ世界文化遺産 軍艦島

「歴史的事実に基づいた映画」(韓国)、
「ねつ造された映画」(日本)。

今月末に公開予定のある映画をめぐり、韓日両国の間で見解が克明に
分かれている。
同映画は日帝強占期、長崎港にほど近い軍艦島を舞台に
「韓国人強制徴用」という辛い歴史を扱っている。
日本のある市民団体によると、軍艦島の地下炭鉱で
事故死・窒息死・圧死した韓国人強制徴用者は122人にのぼる。
少なくとも800人の韓国人が強制徴用で軍艦島に連られたことが
推定される。
軍艦島は2年前、ユネスコ世界文化遺産に登録された。
日本は「産業化の遺産」と主張する。
あわせて「強制徴用はなかった」と明らかな嘘をついている。
このように日本の歴史わい曲妄言は相変わらずだ。

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