2017年11月12日日曜日

韓国を無視する国々にあって韓国にはないもの

この記事も、朝鮮日報の主筆が書いたものらしいが、こんな記事を
日本語電子版に乗せても何の意味がある。
これを知るべきは韓国社会ではないのか、

【コラム】韓国を無視する国々にあって韓国にはないもの

終末高高度防衛ミサイル(THAAD)問題での韓中合意の根底には
「韓国無視」があると感じている。
中国の習近平国家主席が米国大統領に
「韓国は中国の一部だった」と言った時の、あの「無視」だ。
ありもしない中国の被害に対する懸念は気に留めながら、目の前で
核の人質になり、THAADを配備するしかない韓国人5100万人の安危は
気に留めないのがこの合意だ。
韓中関係はこのように等級と序列が決まりつつある。

日本は「韓国にいつまで謝罪しなければならないのか」と言うが、
彼らの心の内には「謝罪」などない。事実、謝罪したくて謝罪する
国がどれだけあるのかは分からない。
ドイツが謝罪せざるを得なかったのは、謝罪しないと大きな災いを
もたらす可能性がある国を相手にしなければならないためだ。
日本は韓国をそのような相手だとは思っていない。
これが韓日関係の本質だ。

最初に北朝鮮の核危機が発生した1994年、米朝が向かい合って
座ったジュネーブ会談の時のことを、ある人物は次のように語った。
付添人的な扱いになっていた韓国政府は、現地に派遣された
外交部(省に相当)職員らに韓国の体面を保つ条件を何とかして
付け、貫き通すよう強く命じた。
韓国側が米国側関係者にこれを求めたところ、米国側関係者は
「あなた方の大統領は安保も知らないくせに、新聞の見出しを見て
政治をしている」とひとしきりののしった。そうしてから、
「いいだろう。同盟国が反対するから交渉を決裂させる。
その代わり、明日から戦争の状況に備えなければならない」と、
米軍がどのように動くかについて言及した。

このことをソウルに報告したところ、
「真っ向対決する」と指示が来た。ところが、指示をよく
読んでみると、米国と北朝鮮の真っ向対決ではなく、
国内メディアと「真っ向対決する」ということだったという。
米国が「軍隊を動かし、戦争になるかもしれない」と言ったら、
韓国政府はすぐにしっぽを巻いて「国内メディアの批判報道を
押さえ付ける」と答えたのだ。
この経緯をすべて見ていた米国人たちが韓国をどのように
思ったかは推して知るべしだ。

韓国という国はある程度大きくなったと言われるが、国際社会で
「コリア(KOREA)」と言えば「ノース(North)」の方が有名だと
感じることが少なくない。もちろん、悪名高いという意味だが、
いずれにせよ言及される頻度は高い。
国際政治の変数としては「ノース・コリア」しかないような状況も
よくある。
北朝鮮は自国より経済力が100倍以上大きい韓国のことをはなから
相手にしていない。

韓国は北朝鮮の核を阻止しない。その理由は、
韓国がこのように無視される理由と変わらない。
韓国を無視するほかの国々は、韓国にないものを持っている。
北朝鮮でさえ持っているのに韓国が持つことができないもの、
それは「決意」だと思う。

日本の国民的決意がどのようなものかは言うまでもないだろう。

中国も抗日戦争、国共内戦、6・25戦争(朝鮮戦争)参戦を通じて
国民的決意をまとめ、示してきた。
北朝鮮も必死の決意で、北朝鮮の核問題というゲームをここまで
引っ張ってきた。こうした中で決意どころか指一本
傷付けないように様子をうかがっているのは韓国だけだ。

6・25戦争時に国を守ったのも自分たちの力ではなかったし、
その後の戦争を防いでいるのも自分たちの力ではなかった。
韓米同盟は今日の韓国の発展をもたらしたが、我々から国の最も
重要な精神的土台である「決意」を消した。
家長ではなく他人が守ってくれる家の家族たちは、外敵に
立ち向かって「肉を切らせて骨を断つ」と飛びかかることは
できない。
その家の家族がどんなに良い服を着て良い物を食べても、誰も
彼らに敬意を払わない。

米国の一方的な核政策に対して、西ドイツをはじめとする
西欧諸国と韓国の対応はまるで違っていた。
西欧諸国は「米国の核の傘を信じることはできない」と宣言した。
「米国が我々の核武装を阻止するというなら、我々が米国の核を
使用できるようにしてほしい」と要求し、それを貫き通した。
その結果、欧州には米国の戦術核が残り、西欧諸国もこの
戦術核使用に一定の関与ができるようになった。だが、韓国は
米国に一言も言えずに戦術核の撤収を見守っているだけに見えた。
韓国が失ったのは戦術核という抑止力であり、得たのは
韓半島(朝鮮半島)非核化共同宣言という詐欺の文書だった。

これは何の違いなのか。欧州諸国には決意があったが、韓国には
なかった。
1994年に米国が北朝鮮の核施設爆撃を決定し、韓国が
同意していたら、爆撃なしに北朝鮮の核問題を終わらせることが
できたと信じる。しかし、韓国社会は「決意」とはあまりにも
程遠かった。北朝鮮はそれを見抜いていた。

壬辰倭乱(日本での呼称:文禄・慶長の役)以降、朝鮮は戦いを
放棄した国だった。
戦いを放棄した国の平和を保つ方法は、戦う決意をした国の奴隷に
なることだけだ。
朝鮮は中国の配下にあったが、その後日本の奴隷になった。
政府は今、「どのような場合でも戦争はいけない」と言っている。
金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が核によって我々を
脅しても戦争はいけないというのだ。
「金正恩にカネを払って命ごいをしよう」ということだ。
誰も死にたくはない。生きたいと思っている。それなのに、
「本当にカネをやるから命だけは助けてほしい」と言えば、
助けてくれるだろうか。生きようとすれば死に、死のうとすれば
生きるというのは、映画にでも出てくるセリフではないか。
それでも、韓国の政治家たちは今日も国民の決意を
まとめるのではなく、破るのに忙しい。

楊相勲(ヤン・サンフン)主筆
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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