北朝鮮の刈上げが、何を持って韓国の文大統領を利用しようと
思ったかは判らぬが、おそらく文大統領の根底に社会主義思想が
あることをみてとったのだろう。
韓国の左派・親北派は北の主体思想に傾倒してるとか、その主体思想は
元々、儒教に基づいて作られたもの本来主体は民衆なんだが、その
主体を独裁者が独り占めにしてしまったのが共産・独裁の邪悪な所だ
それでもまだ傾倒するは無知所以か。
【中央時評】ろうそく革命はフランス大革命と同じ隊列?
文大統領の歴史観(1) 2018年10月26日15時14分
[中央日報/中央日報日本語版]
【中央時評】
ろうそく革命はフランス大革命と同じ隊列?
文大統領の歴史観 「ろうそく」はフランス革命と同列になった。
少なくとも文在寅(ムン・ジェイン)大統領の歴史観では。
文大統領は、先週のフランス国賓訪問中、革命礼賛論を展開した。
「フランス革命の精神は大韓民国国民が手にしていたろうそく
一つ一つによって革命の光として蘇った」
(パリ市庁での歓迎レセプション)、
「韓国のろうそく革命は最も美しく平和な方法で韓国の民主主義を
守った」(フランス海外同胞懇談会)、
「フランス革命と光化門(クァンファムン)のろうそくが時空間を
超えて深くつながっていることを感じた」
(フェイスブックに投稿した『パリを離れながら』中)。
そのうえ「今まで受けたことがないような歓待を受けた」と所感を
伝えた。
「革命の国」フランスが文大統領を「革命指導者」と見て、最大の
もてなしで迎えたという意味に取れた。
ろうそくと1789年のフランス大革命は似ている。
市民が率先して既存の体制を打倒した。
パリのバスティーユ襲撃によって触発されたフランス大革命は、
絶対君主制・封建制度・身分社会の
アンシャンレジーム(Ancien Regime)、すなわち古い
体制を崩壊させた。
2016~2017年、無能と不正腐敗に怒ったろうそくは、
朴槿恵(パク・クネ)政権を追放するのに成功した。
旧勢力の除去と過去との断絶も似ている。
フランス大革命は恐怖政治だった。ルイ16世をはじめ、
1万人以上が粛清された。
恐怖政治を主導した極左派のロベスピエールは
「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」として
革命独裁を正当化した(アンドレ・モーロワ『フランス史』)。
ろうそく革命のスローガンは積弊清算だ。
既得権勢力とその反逆者に恣意的に「積弊」の張り紙をつけ、
清算という道徳的審判の中に押し込む。
「ろうそくの命令」という神聖不可侵の象徴まで引き込み、法治と
常識を迂回する。
青瓦台(チョンワデ、大統領府)は平壌(ピョンヤン)宣言と
軍事合意書の国会批准を一段飛ばしにしようと
「北朝鮮は国家ではない」という奇怪な論理を動員する。
建国直後の1948年に構成された「反民特別委員会」以降、
70年ぶりに「特別裁判所」が蠢いている。
チョ・グク民情首席民情首席は現職部長判事の過去の行跡を
取り上げて公で恥をかかせ、金宜謙(キム・ウィギョム)報道官は
非友好的メディアに「憂国の衷情(国を憂う心)は理解するが、
そろそろそのような心配はやめてはいかがか」と叱る。
時に君臨しようとするのも革命の属性だ。
文大統領の望みどおり、ろうそくがフランス革命に次ぐものに
なるには、普遍妥当な革命精神を備えなければならない。
自由・平等・博愛がフランスの革命精神だ。
破壊と暴力、無秩序、反動という退行と屈曲はあったが、
革命精神は1830年の七月革命(ブルジョア革命と新王朝)、
1848年の二月革命(第二共和政)を経て1968年の五月革命
(青年の文化革命)に継承され、現在でも人類の大切な遺産として
残っている。ろうそくはこれにまだまだ及ばない。
自由は権力を拒否して批判する自由を含む。
ところが現政権は「無菌社会」を夢見ている。
「虚偽操作」と看板を変えたにフェイクニュース清算の本質は、
不穏な反対と異質をだまらせようとするものだ。
言論の自由を盛んに叫んでいた人々が
「デマ」「カドラ通信(=真偽不明の噂)」を取り締まるという
過去の権威主義をそっくりまねている。
反対のない社会は死んだ社会だ。
なぜフェイクニュースに自発的にだまされたい人々がこのように
多いのか、その悩みと反省は政府がするべきことだ。
平等は、差別されない権利と法の前での「等しさ」だ。
ソウル交通公社をはじめ公企業の雇用世襲不正、自分の家族を
優先する「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」式の
ダブルスタンダード人事は、
「機会の平等、過程の公正、結果の正義」がただの虚しい
掛け声だったことを気づかせる。
友愛・博愛などと翻訳されるフランス語「Fraternite」は
英語の「Brotherhood」に該当し、
「兄弟愛」「同志愛」に近い。
見解が違っても自由と平等のために集まったすべての市民に対する
抱擁だ。ろうそくは特定理念集団や勢力に対する絶対的支持ではない。それでも「我々だけの世界」を作って、反対する者を徹底的に
排斥するのが最近の光景だ。
社会主義的経済、権力を動かす「青瓦台政府」、果敢な
北朝鮮平和攻勢をかける外交・安保など、明らかに表面は革命的だ。
だが、その内側を満たす精神と価値が貧弱なら真の革命には
昇華され得ない。
文大統領はエリゼ宮の夕食会で「フランスの偉大さを包容と和合から
感じる」と述べた。そうだ。
傲慢と憎しみでは革命精神を創造することはできない。
ろうそくに自由・平等・博愛の精神を吹き込んでこそ革命の
いのちを得ることができる。
そうでなければ革命は狂気で終わりかねない。
カミュは『異邦人』で「革命はまだ存在しない人を愛すること」と
書いた。
未来を知ることできない漠然とした愛が革命だ。
革命を指向するろうそくがまっすぐ進んでいくのか、非常に不安だ。
我々の革命は、今どのあたりなのか。
思ったかは判らぬが、おそらく文大統領の根底に社会主義思想が
あることをみてとったのだろう。
韓国の左派・親北派は北の主体思想に傾倒してるとか、その主体思想は
元々、儒教に基づいて作られたもの本来主体は民衆なんだが、その
主体を独裁者が独り占めにしてしまったのが共産・独裁の邪悪な所だ
それでもまだ傾倒するは無知所以か。
【中央時評】ろうそく革命はフランス大革命と同じ隊列?
文大統領の歴史観(1) 2018年10月26日15時14分
[中央日報/中央日報日本語版]
【中央時評】
ろうそく革命はフランス大革命と同じ隊列?
文大統領の歴史観 「ろうそく」はフランス革命と同列になった。
少なくとも文在寅(ムン・ジェイン)大統領の歴史観では。
文大統領は、先週のフランス国賓訪問中、革命礼賛論を展開した。
「フランス革命の精神は大韓民国国民が手にしていたろうそく
一つ一つによって革命の光として蘇った」
(パリ市庁での歓迎レセプション)、
「韓国のろうそく革命は最も美しく平和な方法で韓国の民主主義を
守った」(フランス海外同胞懇談会)、
「フランス革命と光化門(クァンファムン)のろうそくが時空間を
超えて深くつながっていることを感じた」
(フェイスブックに投稿した『パリを離れながら』中)。
そのうえ「今まで受けたことがないような歓待を受けた」と所感を
伝えた。
「革命の国」フランスが文大統領を「革命指導者」と見て、最大の
もてなしで迎えたという意味に取れた。
ろうそくと1789年のフランス大革命は似ている。
市民が率先して既存の体制を打倒した。
パリのバスティーユ襲撃によって触発されたフランス大革命は、
絶対君主制・封建制度・身分社会の
アンシャンレジーム(Ancien Regime)、すなわち古い
体制を崩壊させた。
2016~2017年、無能と不正腐敗に怒ったろうそくは、
朴槿恵(パク・クネ)政権を追放するのに成功した。
旧勢力の除去と過去との断絶も似ている。
フランス大革命は恐怖政治だった。ルイ16世をはじめ、
1万人以上が粛清された。
恐怖政治を主導した極左派のロベスピエールは
「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」として
革命独裁を正当化した(アンドレ・モーロワ『フランス史』)。
ろうそく革命のスローガンは積弊清算だ。
既得権勢力とその反逆者に恣意的に「積弊」の張り紙をつけ、
清算という道徳的審判の中に押し込む。
「ろうそくの命令」という神聖不可侵の象徴まで引き込み、法治と
常識を迂回する。
青瓦台(チョンワデ、大統領府)は平壌(ピョンヤン)宣言と
軍事合意書の国会批准を一段飛ばしにしようと
「北朝鮮は国家ではない」という奇怪な論理を動員する。
建国直後の1948年に構成された「反民特別委員会」以降、
70年ぶりに「特別裁判所」が蠢いている。
チョ・グク民情首席民情首席は現職部長判事の過去の行跡を
取り上げて公で恥をかかせ、金宜謙(キム・ウィギョム)報道官は
非友好的メディアに「憂国の衷情(国を憂う心)は理解するが、
そろそろそのような心配はやめてはいかがか」と叱る。
時に君臨しようとするのも革命の属性だ。
文大統領の望みどおり、ろうそくがフランス革命に次ぐものに
なるには、普遍妥当な革命精神を備えなければならない。
自由・平等・博愛がフランスの革命精神だ。
破壊と暴力、無秩序、反動という退行と屈曲はあったが、
革命精神は1830年の七月革命(ブルジョア革命と新王朝)、
1848年の二月革命(第二共和政)を経て1968年の五月革命
(青年の文化革命)に継承され、現在でも人類の大切な遺産として
残っている。ろうそくはこれにまだまだ及ばない。
自由は権力を拒否して批判する自由を含む。
ところが現政権は「無菌社会」を夢見ている。
「虚偽操作」と看板を変えたにフェイクニュース清算の本質は、
不穏な反対と異質をだまらせようとするものだ。
言論の自由を盛んに叫んでいた人々が
「デマ」「カドラ通信(=真偽不明の噂)」を取り締まるという
過去の権威主義をそっくりまねている。
反対のない社会は死んだ社会だ。
なぜフェイクニュースに自発的にだまされたい人々がこのように
多いのか、その悩みと反省は政府がするべきことだ。
平等は、差別されない権利と法の前での「等しさ」だ。
ソウル交通公社をはじめ公企業の雇用世襲不正、自分の家族を
優先する「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」式の
ダブルスタンダード人事は、
「機会の平等、過程の公正、結果の正義」がただの虚しい
掛け声だったことを気づかせる。
友愛・博愛などと翻訳されるフランス語「Fraternite」は
英語の「Brotherhood」に該当し、
「兄弟愛」「同志愛」に近い。
見解が違っても自由と平等のために集まったすべての市民に対する
抱擁だ。ろうそくは特定理念集団や勢力に対する絶対的支持ではない。それでも「我々だけの世界」を作って、反対する者を徹底的に
排斥するのが最近の光景だ。
社会主義的経済、権力を動かす「青瓦台政府」、果敢な
北朝鮮平和攻勢をかける外交・安保など、明らかに表面は革命的だ。
だが、その内側を満たす精神と価値が貧弱なら真の革命には
昇華され得ない。
文大統領はエリゼ宮の夕食会で「フランスの偉大さを包容と和合から
感じる」と述べた。そうだ。
傲慢と憎しみでは革命精神を創造することはできない。
ろうそくに自由・平等・博愛の精神を吹き込んでこそ革命の
いのちを得ることができる。
そうでなければ革命は狂気で終わりかねない。
カミュは『異邦人』で「革命はまだ存在しない人を愛すること」と
書いた。
未来を知ることできない漠然とした愛が革命だ。
革命を指向するろうそくがまっすぐ進んでいくのか、非常に不安だ。
我々の革命は、今どのあたりなのか。
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