2019年4月9日火曜日

孫恵園議員の「お前らの父親は何をしていたんだっけ?」発言に反発

何か、韓国ではいろんな滑稽な事が起こるもの、もう
笑うしかないわ・・・・・



「お前らの父親」孫恵園議員発言で盛り上がる「#私の父は」


孫恵園議員の「お前らの父親は何をしていたんだっけ?」発言に反発

「命駆けで国守った」「家族のために献身」返信300件

4日以降、ソーシャル・メディア上に「#私の父は」という投稿が
増えている。
自分の父親や祖父がどんな人だったのか明かすものだ。
8日までで300件以上が投稿されている。

事の発端は与党・共に民主党を離党して無所属になった
孫恵園(ソン・ヘウォン)議員=ソウル・麻浦乙選挙区=の
フェイスブックの書き込みだった。
父親の孫竜祐(ソン・ヨンウ)氏=故人=が独立有功者に選定される
際、国家報勲処(省庁の1つ)から特別待遇を受けたとの疑惑を
野党が取り上げると、孫恵園議員は4日、フェイスブックに
「お前らの父親は当時、何をしていたんだっけ?」
「国のために命を懸けた私の父にかみつく人間は特に許せない」と
書き込んだのだ。

すると、フェイスブックなどのソーシャル・メディアに孫恵園議員の

問いかけへの返信が投稿され始めた。
性暴力被害を告白する「#MeToo(ミートゥー)運動」のように、
投稿文にハッシュタグ(#・特定の単語での検索を容易にする記号)を付けた人も多かった。

オ・ソンムンさんは5日、自身のフェイスブックに
「私の父は60年以上、日記と家計簿をつけて、体一つで
生涯耐え抜いた」と書き込んだ。

この投稿によると、オ・ソンムンさんの父親が慶尚北道聞慶市にいた
11歳の時に6・25戦争(朝鮮戦争)が発生したという。
「『朝鮮人民軍が井戸に毒を入れている』といううわさが飛び交うと、父は少年団に加入した。そして、友達3人と組んで村の井戸を守った」とのことだ。
戦争が終わると、父親は公務員になり、オ・ソンムンさんら子ども
3人を育てて孤児になったおいと妻の弟や妹を養った。


イ・サンウォンさんも5日、フェイスブックに父親のことを
書き込んだ。
イ・サンウォンさんの父親は江原旌善郡で生まれ、21歳の時に
寧越郡の磨磋鉱業所で鉱山労働者になった。
それから31年間にわたり石炭を掘り続け、6人兄弟を育てた。
イ・サンウォンさんは「地下数千メートルの坑の中で命懸けで石炭を
掘った産業戦士だ。
晩年にはじん肺に8年間さいなまれ、苦労して亡くなった貧しい私の
父」と書いた。

動画共有サイトのユーチューブに動画を投稿した人もいる。
イ・ジェホンさんは5日、ユーチューブに父方の祖父と母方の祖父の
ことを掲載した。
イ・ジェホンさんの父方の祖父は韓国軍の軍人で6・25戦争時に
負傷し国家有功者となった。
母方の祖父は平壌で生まれて機関士として働き、南にやってきた。
戦争の時、機関士として連合軍の軍需物資を輸送した。
北に置いてきた家族には再会できなかった。
イ・ジェホンさんは「2人とも韓国のために戦った。
他人に迷惑をかけたり、歴史に対する罪を犯したりしなかった」と
語った。
この動画は2日間で4万人が見た。
「孫恵園議員にも父親がどのように国のために命を懸けたのか
説明してほしい」というコメントが付けられている。

キム・ウンジュン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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