2020年3月27日金曜日

朝鮮が日本の属国? これほど啓蒙された国もないが…

ソウル大学の韓国学の教授か、時局を利用した虚構歪曲の
妄想コラムだな、いくら、好意的な資料をもってしても歴史と現実が
今の韓国・朝鮮を物語ってる。
今の日本の「対馬」は14世紀、李氏朝鮮に侵攻されたが、対馬藩との和睦で年貢を李氏朝鮮は納めていた、それは日本の明治維新まで続いていたのだ。
17世紀李氏朝鮮は日本の幕府の将軍代替わりには必ず国史を派遣してきた、これが朝貢でなくば何という。
想像でいくら啓蒙されても現実が、虚構と歪曲・自分・自国の主張を
正当化する為には論点を変え「嘘」混ぜながらの主張に
あきれるばかりだ。
なぜ、イザベラ・バード女史の朝鮮紀行は参考にしない、これは、
禁書・発禁~か

【コラム】朝鮮が日本の属国? これほど啓蒙された国もないが…(1)
中央日報/中央日報日本語版2020.03.26 11:5130

慶州皇南大塚から出土したローマガラスの容器

最近、慶尚南道晋州(チンジュ)で発見された化石が話題だ。
足の指の間に水掻きがなく、尻尾があって水辺で生息していた原始ワニの化石だ。
欧州だけで報告されていた原始ワニ
「クロコダイルロポドゥス(crocodylopodus) 」がアジアで初めて
発見された事例という。
古生物学分野で学術的な意義が大きい。
原始ワニが韓半島(朝鮮半島)と欧州でともに生息したいたというのが興味深い。

韓半島と欧州はいつから世界になったのか。ガラスの世界史は一つのヒントを与える。東ローマとササン朝ペルシャの平和を背景にローマガラスが東進し、新羅の
皇南大塚からもガラスの容器が発見された。
ところがユーラシア大陸の東端と西端にある両地域がお互いを知るには多くの時間が
かかった。
大陸の両端が東西交流の世界史から外れているわけではなかったが、相互認識の
増進のためには多くの努力が必要だった。

欧州人の韓半島認識で里程標となった文献は
『モンゴル帝国旅行記』ではないだろうか。
著者ウィリアム・ルブルックは1254年にモンゴルの宮廷で
ソランガ(Solanga)の外交使節に会ったが、ソランガの人々は体格が
小さくて肌が黒く冠をかぶっていると記録した。
ルブルックはカウリの話も聞いたが、島国カウリは冬には周辺の海が凍って
タタール人の侵略を受け、平和の代償として毎年莫大な金銀を貢ぐと記録した。
ソランガとカウリは過去のモンゴルで高麗を表す言葉だった。

◆新羅皇南大塚から出土したローマガラスの容器

ルブルックは高麗を訪問したわけではなかった。
モンゴル帝国で得た見聞を記録しただけだ。
その後も欧州人が韓半島に関する知識を得るところは韓半島と隣接した地域だった。
オランダの東インド会社の商人は長崎貿易館で丙子胡乱直後の朝鮮情勢を分析した
報告書を書いた。仏イエズス会の神父は中国康熙帝と共に満州旅行に出発し、国境の
山岳地帯から朝鮮を眺め、中国の地図を制作する過程で朝鮮を記録した。
日本と中国から眺めた朝鮮だった。

韓半島を実際に体験した欧州人がいないわけではなかった。
オランダ人のハメルが朝鮮に13年間抑留された後、脱出して
ジャワ島のバタヴィア総督に提出した報告書が、1668年に
オランダで出版された。
『ハメル漂流記』というこの本は、フランス・ドイツ・英国でも
翻訳されて韓半島に関する知識の広がりに寄与した。
ところが、地形が険しく猛獣が多い閉鎖的な地域というイメージを定着させた。
版本によってはワニの挿し絵と共に子どもを捕まえて食べるワニの話もあった。
今年を予想して白亜紀の原始ワニから朝鮮ワニを想像したのだろうか。

開港後に朝鮮に訪ねてきた西洋人もエキゾチック(?)な朝鮮を伝達しようという衝動から抜け出せなかったようだ。
各種見聞記で朝鮮に関する誤った印象、誤った情報を伝えることが
多かった。
朝鮮で数年間滞在して朝鮮の歴史や文化を深く研究した米国の宣教師
ホーマー・ハルバートは、西洋人の朝鮮見聞記に多くの問題点があると感じた。
西洋人が朝鮮について書いた本も少ないが、それさえも朝鮮に関する正しい事実を伝えていないことを残念に思った。

ハルバートが1895年に英語の雑誌
『The Korean Repository』に寄稿した、
『コリア、あるいはチョソン-静かな朝の国』(英国人サベッジ・ランドー)に対する書評には、彼の観点がよく表れている。
朝鮮は真夏にも雪が降る。
朝鮮人はアフリカの黒人ほど肌の色が黒い。朝鮮の都城には毎晩、猛獣が入ってくる。朝鮮人は洗濯しながら服を棒でたたく。
彼はこのように事実関係を確認せずに書く習慣を叱責した。
暑い真夏の真昼にシエスタのように昼寝をする光景を見て、韓国人の
怠惰を論じる
西洋人の未熟な印象批評も校正対象だった。

ハルバートが1901年に発刊した英文雑誌
『The Korea Review』(韓国評論)は「レビュー」という言葉に
ふさわしく当時の韓国に関する知識の正誤を問いただす評論活動を積極的に遂行した月刊誌だった。
韓国に関する見聞知識だけでなく歴史知識の評論にも注力した近代韓国学の
主要発信地だった。例えば壬辰倭乱当時に日本人が朝鮮で農作業をしたおかげで
朝鮮ではじめて稲作が始まったという日本側の主張に対し、稲作はすでに
西暦紀元が始まる時から存在し、日本には朝鮮から稲作が伝わったと反論した。


また『The Asiatic Quarterly Review』
(季刊アジア評論)に掲載された末松謙澄の韓日関係論も批判した。
朝鮮が数世紀にわたり日本に朝貢し、日本の主権を認めた日本の属国だったという主張を論破した。
日本が明治維新で帝国を称して中国と同等に朝鮮に優越感を見せたが、
雲揚号事件(1875)による江華島(カンファド)条約で日本が帝国を称したからといってそれが朝鮮に対する従属関係を賦課するものでないことを明確に
自認したと指摘した。

雲揚号事件と似た下関事件(1861)当時に攻撃された米国側は日本側の賠償金を受け、後に賠償金を戻して日本側の自衛権を認めたが、日本側は朝鮮側にそのような措置も取らなかったと付記した。

ハルバートの『韓国評論』は当時英語で流通していた韓国の見聞知識と歴史知識を積極的にレビューし、校正した。しかし韓国の状況の
画期的な変化と、これによる認識の変化がない限り、根本的な限界が
存在するしかなかった。
これに関連し同誌1906年4月号の記事
「A Visit to Seoul in 1975」
(1975年のソウル訪問記)、すなわち1906年時点から
約70年後の韓国を想像した未来の小説は意味深長だ。

速い京釜(キョンブ)線急行列車(釜山-大邱-大田-水原-永登浦-南大門区間)。米ニューヨークの豪華なウォルドルフホテルに似たソウルのグランドホテル。
ワーグナーのオペラ「パルジファル」を公演する鍾路(チョンノ)のオペラ劇場。
100万冊以上の本が並ぶ帝国図書館と国立図書館。
最も模範的な大学教育で著名な極東最大3大学の帝国大学、
ソウル大学、大東大学。
酔っ払いが見られず犯罪の話が聞こえない敬けんな宗教文化。
自分の職分に忠実で自らを愛して異邦人を歓待する友好的な人たち。
もう「物質的な発達はもちろん精神的な発達でこの静かな朝の国の
数千万よりもさらに啓蒙された国はなく、さらに進歩的な民族はない」と伝えた。エピローグでだ。

今年は2020年。過去に想像した未来のその年からさらに45年が
過ぎた。
韓国はどのような国か。韓国人はどんな人たちか。伝染病の大流行に
よる地球の危機状況で、韓国と韓国人の賢い国内対処が注目されて
いて、模範的な国際協力が期待されている。
新しい韓国と新しい韓国人の自覚はこれにふさわしいグローバル知識を志向する。
植民地と冷戦の論理で綴られた古い韓国の知識を革新する新しい
ハルバートを夢見る。

ノ・グァンボム/ソウル大奎章閣韓国学研究院教授

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