2012年9月29日土曜日

暮らしの中の自然 金のなる木



暮らしの中の自然 ミツマタ(金のなる木)

分類 フトモモ目 ジンチョウゲ科 ミツマタ属 ミツマタ

和名 ミツマタ
英名 Oriental paperbush
ミツマタ(三椏、学名:Edgeworthia chrysantha)は、ジンチョウゲ科
ミツマタ属の落葉低木。
中国中南部、ヒマラヤ地方原産。皮は和紙の原料として用いられる。

概要
ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴があるため、この名があり、
三枝、三又とも書く。
中国語では「結香」(ジエシアン)と称している。
春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つがミツマタである。春を告げるように一足先に、

淡い黄色の花を一斉に開くので、サキサクと万葉歌人はよんだ
(またはサキクサ:三枝[さいぐさ、さえぐさ]という姓の語源とされる)。
園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるものもあり、
赤花三椏(あかばなみつまた)と称する。

利用
和紙の原料として重要である。ミツマタが和紙の原料として登場するのは、
16世紀(戦国時代)になってからであるとするのが一般的である。
しかし、『万葉集』にも度々登場する良く知られたミツマタが、和紙の原料として
使われなかったはずがないという説がある。
平安時代の貴族たちに詠草料紙として愛用された斐紙(美紙ともいう)の原料である
ガンピも、ミツマタと同じジンチョウゲ科に属する。古い時代には、植物の明確な識別が
曖昧で混同することも多かったために、ガンピもミツマタを原料としたものも、
斐紙と総称されて、近世まで文献に紙の原料としてのミツマタという名がなかった。
後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、ガンピとミツマタを識別するように
なったとも考えられる。
「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の
慶長3年(1598年)に、伊豆修善寺の製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した
黒印状(諸大名の発行する公文書)である(当時は公用の紙を漉くための原料植物の
伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じていた)。 
「豆州にては 鳥子草、かんひ みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門 より外には
切るべからず」とある。
「かんひ」は、ガンピのことで、鳥子草が何であるかは不明であるが、ミツマタの使用が
許可されている。
天保7年(1836年)稿の大蔵永常『紙漉必要』には、ミツマタについて
「常陸、駿河、甲斐の辺りにて専ら作りて漉き出せり」とある。
武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙は、このミツマタが主原料であった。
佐藤信淵の『草木六部畊種法』には「三又木の皮は 性の弱きものなるを以て 其の紙の
下品(品質が最低の意)なるを なんともすること無し」として、
コウゾと混合して用いることを勧めている。

利用、紙幣
明治になって、政府はガンピを使い紙幣を作ることを試みたが、ガンピの栽培が困難で
あるため、栽培が容易なミツマタを原料として研究し、明治12年(1879年)、
大蔵省印刷局(現・国立印刷局)抄紙部で苛性ソーダ煮熟法を活用することで、
日本の紙幣に使用されるようになっている。それ以来今日まで、ミツマタを原料とした
日本の紙幣は、その優秀性を世界に誇っている。

手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料として栽培し、
現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料となっている。
現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙は、ミツマタを主原料としている。

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