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2012年10月7日日曜日

暮らしの中の自然、和竿、クジラ穂



暮らしの中の自然 鯨ひげ(和竿の穂先)

鯨ひげ(くじらひげ)とは、ヒゲクジラ亜目の動物の上顎部に見られる、
繊維が板状となった器官である。ひげ板とも言う。口腔内の皮膚がヒゲクジラ類で独自に
変化したもので、髭や毛とは由来が異なる。
濾過摂食のためのフィルターとしての役割を持つ。弾力性などに優れることから、
プラスチックなどの普及以前には各種工業素材に利用され、捕鯨の重要な目的にもなった。

概説
ヒゲクジラ類の上顎のうち、口蓋部の皮膚が変化した器官である。
ヒゲクジラ類は濾過摂食を行う生物であり、鯨ひげはその際に用いるフィルターとして
発達した。組成は皮膚の角質組織と同じケラチンからなる。
上顎の左右に列をなし、それぞれ最大で300枚程度が生える。1枚の鯨ひげは、
細長い三角形の板状の器官である。
長辺のうち一方に多数の毛が生えたようになっているが、これは鯨ひげの板状の組織の
内部を構成する繊維が、先端の摩滅に伴って飛び出してくることで形成される。
この繊維が互いに重なり合い、餌をこしとる、あるいはふるい分けるフィルターとして
機能する。
爪などと同じく一生伸長が続き、先端部の摩滅を補う。成長に伴い、板の部分の表面に
一年ごとに皺が生じるので、鯨の年齢調査にも用いることができる。
ただし、鯨ひげの先端が徐々に欠けてしまうため、若い鯨にしか有効でない。
なお、中世のヨーロッパでは、ヒゲクジラが口を大きく開くと鯨ひげが邪魔をして口を
閉じることができなくなり、死んでしまうと考えられていた。

素材としての鯨ひげ
加工しやすい程度の硬さで、引っ張り強度があり、軽く、弾力性があるなどの優れた性質が
あるため、エンバ板とも呼ばれ、古くから様々な製品の素材に用いられてきた。
古い例としては、正倉院に鯨ひげ製の如意が宝物として収められている。特にセミクジラ科
のものは、長くて非常に柔軟かつ弾力があることから重宝され、結果としてセミクジラ科の
乱獲の一因ともなった。
その後、弾力のある金属線やプラスチックが普及したため、現在では工芸的な用途を除いて
は需要は殆どない。

釣竿 - 日本では、弾力性を生かして釣竿の先端部分に用いられる。
現在でも一部で使用されている。

衣服 - 整形用の骨に用いる。
西洋ではコルセットやクリノリンなどの女性用下着やドレスの腰部、日本では裃の肩など。

傘 - 西洋では傘の骨に用いた。

扇子 - 日本では、扇子の要として用いていた。

呉服尺 - 日本では着物の仕立て専用のものさしの材料に用いた。
鯨尺とも呼ばれ、長さの単位としてその名が残っている。

ぜんまいばね - 江戸時代の日本でぜんまいの材料とされた。
からくり人形などで使用された。

文楽人形 - 操作索に用いる。

ヴァイオリンの弓 - スティックの巻き線に用いる。
現在はイミテーション(模造品)も在る。

その他 - くつべら、兜の装飾など。
なお、特殊な用途として、日本では食用にも用いられた例がある。
若いセミクジラのものを食用にしたほか、太平洋戦争中に代用醤油の原料として用いられた。


2012年10月6日土曜日

暮らしの中の自然 木製カトラリー



暮らしの中の自然 イスノキ(カトラリー)

分類 ユキノシタ目 マンサク科 イスノキ属 イスノキ
イスノキ(蚊母樹、柞、Distylium racemosum)は、暖地に自生するマンサク科の常緑高木。
別名、ユスノキ、ユシノキ、ヒョンノキ。







特徴
高さ約20m。樹皮は灰白色。大木になると赤っぽくなる。葉は厚く長楕円形で互生、
深緑で表面に強いつやがある。
4月頃、葉腋に小花を総状花序につける。
花序の基部には雄花、先の方には両生花がつく。
花弁はなく、萼も小さいが雄しべの葯が赤っぽく色づくのが美しい。ただし見られる時期は
短い。
葯は乾燥すると裂開し、花粉は風によって飛散する。
果実は表面が黄褐色の毛で覆われ、先端に雌蘂が二裂した突起として突き出すのが目につく。
葉にしばしば虫こぶがつく。イスノキコムネアブラムシの寄生では葉の面に多数の小型の
突起状の虫こぶを、イスオオムネアブラムシ Nipponaphis distychii の寄生によっては丸く
大きく膨らんだ虫こぶ(ひょんの実)が形成される。どちらも非常に頻繁に出現するので、
これを目当てにイスノキが特定できるほどである。

分布
日本では関東以西、四国、九州、琉球列島に産する。
本土では低地の森林によく見かける。沖縄では石灰岩上の森林で優占するのを見ることが
ある。国外では済州島、台湾、中国に分布する。

利用
とくにひょんの実は大きくなり、成熟すると表面が硬く、内部が空洞になるので、
出入り口の穴に唇を当てて吹くと笛として使える。これが別名ヒョンノキ(ひょうと鳴る木)の由来とも言われる。
また、この虫こぶがタンニンを含むので染料の材料として使われる。乾燥させると非常に堅く丈夫になるので、家具・木刀(示現流系統の剣術で使用されているのは有名)・杖などの
材料に、灰(柞灰(いすばい))は陶磁器の釉の融剤とする。
乾燥に強く丈夫なので街路樹として栽培されることもある。

近似種
同属の植物はヒマラヤに数種が知られるが、日本ではこの種だけである。
しかし葉の形などにはっきりした特徴が少なく、慣れないと分かりにくい面もある。
上記のように虫こぶがよい目安になる。

2012年10月5日金曜日

暮らしの中の自然 和紙とトロロアオイ



暮らしの中の自然 和紙、トロロアオイ

和紙(わし/わがみ)は、日本古来の紙。欧米から伝わった洋紙(西洋紙)に
対して日本製の紙を指す。


特長
和紙の特長は洋紙に比べて格段に繊維が長いため、薄くとも強靭で寿命が比較的長く、
独特の風合いをもつ。木材パルプから生産される現在の洋紙と比較すると原料が限られ
生産性が低いために価格が高い。
伝統的には独特な流し漉き技術を用いるが、現代の和紙は需要の多い障子紙や半紙を中心に、
大量生産が可能な機械漉きの紙が多い
(伝統的な製法と異なる機械漉きの紙を和紙と認めない人もいる)。
和紙は世界中の文化財の修復に使われる一方、1000年以上もの優れた保存性と、強靱で
柔らかな特性を利用して、日本画用紙、木版画用紙等々、独特の用途を確立している。
また、日本の紙幣の素材として用いられる。
一部工芸品の材料・家具の部材・紙塩など一部の用途にも使用され、江戸時代には日本中で
大量に生産され、建具の他に着物や寝具にも使用されていた。
近年は天然自然の素材として、インテリア向けの需要も高まっており、卒業証書をはじめ、
様々な習い事のお免状用紙などは越前和紙の透かし入りの鳥の子、局紙、もしくは
檀紙などが現在も試用されている。
近年では、敬宮愛子内親王や悠仁親王の命名の儀に古式にならい、越前檀紙が使用されて
話題になった。
和紙の産地は全国に点在しているが、代表的な産地として「越前和紙(えちぜんわし)」
「美濃紙(みのがみ)」「土佐和紙(とさわし)」があり、3大和紙産地と呼ばれている。

和紙と日本家屋
夏に高温多湿であるのが日本の気候の大きな特徴であり、ゆえに『徒然草』にも
「家の作りようは 夏をむねとすべし」とあるように、夏に快適な生活が出来る住宅作りが
古来よりなされてきた。
材料が豊富にあるのと、湿度の調節が可能であることから、日本の家屋は木材と草と土と
和紙によって造られている。
高床式の基礎構造に、高い茅葺きの屋根、長い庇、泥壁に畳、和紙を貼った木製の建具。
これらは全て天然素材で、湿度が高い時には湿気を吸収し、湿度が低い時には湿気を
放出する調湿機能を持っている。
建物が大きくなり、屋根が瓦屋根になると、室内には和紙が貼られた明かり障子、襖、
衝立、屏風などが配置され、湿度、温度の調節を行った。
これら建具用の和紙は、いずれも植物繊維(主成分はセルロース)が原料で、紙自体が
多孔質構造で表面積が非常に大きく、水分の吸収脱着を自然に行う。
しかも障子や襖は、開け放すことで開放空間の創出が可能で、家中を風が吹き抜ける。
また障子や襖で仕切り、屏風や衝立で囲めば冬でも暖かく過ごせる。

和紙の多彩な用途
和紙は建具の他にも、扇子や紙衣、紙衾、紙布の主材料として使用された。
和紙は本来、麻クズを原料として製紙された事から考えれば、和紙を衣料や寝具として
利用する事も不思議ではないが、世界的に見て珍しい使用例である。
平安中期に和紙が大量生産された結果、一般に普及し、文房具以外にも利用されるように
なった。丈夫な和紙は柿渋や寒天、コンニャクノリなどで加工すると更に丈夫となり、
耐水性も向上する事から、傘や笠、合羽などの雨具にも利用された。
コウゾの屑を原料に用いた低級品も、ちり紙として様々な用途に用いられた。
当初は和紙の束の包装紙として用いられたが、軟らかくてその目的に都合がいい事から、
鼻紙、尻拭き紙として用いられた。
幕末〜明治時代に来日した外国人は、鼻をかむのにハンカチのような再利用可能な物を
用いず、紙を使い捨てにする日本人の慣習を贅沢視した。
現在ではティッシュペーパーやトイレットペーパーに置き換えられている
(現在でもティッシュペーパーをちり紙と呼ぶ例があるが、パルプを原料に作られる
ティッスペーパーと、低級和紙であるちり紙は別物である)。

原料
麻 楮(こうぞ 三椏(みつまた) 雁皮(がんぴ 檀(まゆみ)
苦参(くじん)

2012年10月4日木曜日

暮らしの中の自然 鼻緒と大麻取締法



暮らしの中の自然 鼻緒と大麻取締法 (アサ)

分類 アサ科 アサ属

和名 アサ
英名 cannabis, hemp

アサ(麻、Cannabis)は中央アジア原産とされるアサ科アサ属で一年生の草本で、
大麻(たいま)または大麻草(たいまそう)とも呼ばれる。
伊勢神宮の神札を大麻と呼ぶ由来となった植物であり、神道とも深い歴史的な関わりを持っている。
第二次世界大戦の終戦前までは、日本では米と並んで作付け量を指定されて盛んに栽培されていた主要農作物。
古来から日本で栽培されてきたものは麻薬成分をほとんど含まない。
4か月で4メートルの背丈になるほど成長が早く、茎などから繊維が得られ、実は食用となる
ほか、油も取れるなど利用価値が高い。
大豆に匹敵する高い栄養価を持つ実を食用として料理に使うことは違法ではないが、
国内では許可なく育てることはできないため、食用の種子は輸入に頼っているのが現状で
ある。
法律で規制される麻薬と、その他の活用方法の混同を避ける意図からヘンプと呼ばれること
もある。
この植物のなかでも、麻薬成分を多く含む品種の葉及び花冠を乾燥または樹脂化、液体化
させたものを特に大麻(マリファナ)と呼ぶことがある。
広義にはアサは麻繊維を採る植物の総称であり、アマ科の亜麻やイラクサ科の
苧麻(カラムシ)、シナノキ科黄麻(ジュート)、バショウ科マニラ麻、リュウゼツラン科
サイザル麻もアサと呼ばれることがあるが、本項目とは全く別の種類の植物である。




概要
雌雄異株。高さ2-3m、品種や生育状況によりさらに高く成長する。かつてはクワ科とされて
いたが、托葉が相互に合着しない、種子に胚乳がある等の理由でアサ科にまとめられ、
クワ科と区別される。
ヒマラヤ山脈の北西部山岳地帯が原産地といわれている。生育速度と環境順応性の高さから、熱帯から寒冷地まで世界中ほとんどの地域に定着している。
日本にも古来自生しており、神道との関係も深い。
生育速度が速い事から、忍者が種を蒔いて飛び越える訓練をした逸話などが残っている。
古代から人類の暮らしに密接してきた植物で、世界各地で繊維利用と食用の目的で栽培、
採集されてきた。
種子(果実)は食用として利用され、種子から採取される油は食用、燃料など様々な用途で
利用されてきた。
しかし、20世紀半ばより、米国や日本を始めとしたほとんどの国で栽培、所持、利用に
ついて法律による厳しい規制を受けるようになる。
日本に大麻取締法ができたのは、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)である。
近年この植物の茎から取れる丈夫な植物繊維がエコロジーの観点から再認識されつつある。
繊維利用の研究が進んだ米国、欧州では、繊維利用を目的とし品種改良した麻を
ヘンプ(hemp)と呼称し、規制薬物および薬事利用を指し使用される事の多い植物名、
カナビス(cannabis)と区別している。
葉や花にはテトラヒドロカンナビノール(THC)が含まれ、これをヒトが摂取すると陶酔する。
根や茎以外の、薬効成分を多く含んだ花穂や葉を乾燥した物(通称マリファナ)や、
同部分から抽出した樹脂(通称ハシシ)はTHCを含有しており、ロシア、アフリカ、オーストラリア、
ヨーロッパの一部を除く世界中で規制薬物の対象とされる。
 医療目的としても価値があり、古くから果実は麻子仁(マシニン)という生薬として
用いるほか、葉や花から抽出した成分を難病患者に投与する方法も研究されている。

日本
日本では紀元前から栽培され、『後漢書』の『東夷伝』や『三国志』の『魏志倭人伝』にも
記述が見られる。
日本では歌の題材になっているほか、『風土記』にも記されている。
戦国時代に木綿の栽培が全国に広まるまでは、高級品の絹を除けば、麻が主要な繊維原料で
あり、糸、縄、網、布、衣服などに一般に広く使われていたし、木綿の普及後も、麻繊維の
強度が重宝されて、特定の製品には第二次世界大戦後まで盛んに使用されていた。
また、麻の茎は工芸品に使われ、種子は食料になっていた。
神道では神聖な植物として扱われ、日本の皇室にも麻の糸、麻の布として納められている。
戦前、日本の小学校の教科書では栽培方法や用途が教えられ、中学生や教員には、昔から
広く栽培され特に衣服に重宝されたと教えられている。
 このように日本においては、第二次世界大戦以前は国家により大麻の栽培・生産が
奨励されていたが、戦後の1947年(昭和22年)4月23日に連合軍総司令部(GHQ)が
ポツダム宣言に基づき公布した「大麻取締規則」によって、産業用大麻にまで規制を
行うようになった。
GHQが日本に公布した「大麻取締規則」をさかのぼると、アメリカ合衆国での万国阿片条約に
基づいたアメリカ国内での厳しい大麻取締規定であるが、国際あへん会議での大麻に
ついての議論であったため、大麻の独特の薬理作用とほかの麻薬との作用の違いが不明確な
ままに麻薬とされるに至ることになった。
日本における大麻の栽培者数は1950年代には2~4万人であったが、1960年代には1万人を
下回り大幅な減少を続け、1994年には157名にまで減少している。
1963年には、大麻所持の罰則が「懲役3年以下または3万円以下の罰金」から
「懲役5年以下」へと改正されて重罰化されたが、この際に何らかの根拠を伴って
重罰化されたわけではないとする主張もみられる。
1961年に制定された国際条約である麻薬に関する単一条約にの第28条においては
「この条約は、もっぱら産業上の目的(繊維及び種子に関する場合に限る)
又は園芸上の目的のための大麻植物の栽培には、適応しない。」とされ、産業用途の大麻は
規制の対象とされていない。



用途
麻は食用、薬用、繊維、製紙などの素材として用いられる植物である。

麻の茎の繊維
衣類・履き物・カバン・装身具・袋類・縄・容器・調度品など、様々な身の回り品が
大麻から得た植物繊維で製造されている。
 麻織物で作られた衣類は通気性に優れているので、日本を含め、暑い気候の地域で多く
使用されている。綿・絹・レーヨンなどの布と比較して、大麻の布には独特のざらざらした
触感や起伏があるため、その風合いを活かした夏服が販売されている。
大麻の繊維で作った縄は、木綿の縄と比べて伸びにくいため、荷重をかけた状態で
しっかり固定する時に優先的に用いられる。伸びにくい特性を生かして弓の弦に用いられる。また日本では神聖な繊維とされており、神社の鈴縄、注連縄や大幣として神事に使われる。
横綱の締める注連縄も麻繊維で出来ている。

 ボーケンのサイト リネン(亜麻)・ラミー(苧麻)・ヘンプ(大麻)の麻繊維について
 によると、強度は綿に比較して引張り強度で8倍、耐久性で4倍。中空の繊維構造を持ち、
吸湿、吸汗性があり、通気性に優れる。

2012年10月1日月曜日

暮らしの中の自然 アオダモ



暮らしの中の自然 アオダモ

分類 モクセイ科 トネリコ属 種:ケアオダモ

和名 アオダモ(青?)
アオダモ(青?、学名:Fraxinus lanuginosa f. serrata)とはモクセイ科トネリコ属の
落葉広葉樹である。
雌雄異株。別名:コバノトネリコ、アオタゴ。
アオダモのアオの由来は雨上がりに樹皮が緑青色になること、枝を水に浸けて暫くすると
水が青い蛍光色になること、高級感を出すために黒墨に加えて青墨を作るための着色剤と
して利用されたこと、青い染料に利用されたことによるといわれる。

特徴
日本では北海道から九州までの山地に広く分布している。
南千島や朝鮮半島にも自生している。街路樹や公園木として植樹されることも多い。
樹高は10-15m、太さは50cm程になるが成長は遅い。
成熟した木の樹皮には地衣類が付着し白っぽい斑点模様ができる。
葉は奇数羽状複葉で、3-7枚の小葉が対生する。小葉は10-15cmほどで淡緑色、
周囲は波状小鋸歯がある。
花は春に咲く。円錐花序に白い5-6mmの小花を多数つける。秋には果実が成熟する。
長さ2-4cm、幅3-5mmほど、膜状の羽根を持つ翼果で風を利用し遠くまで飛ばす。

利用
材質は堅く強いが粘りがある。そのため曲げることができ、このような特質を生かして
さまざまな用途で使われた。

日本では木製のスポーツ用品の材料、とくに野球で使われる木製バットの原料として
知られる。
他にスキー板やテニスのラケットなどにも使用される。日本でのバット材としての需要は
年間20万本以上あり半数は輸入材で国産材のほとんどはアオダモである。
計画的な植林・伐採が行われなかったことから、バットに適した高品質な材の確保が困難に
なっている。
2000年には行政、野球関係者、バット生産者が一体となってアオダモ資源育成の会が発足、
資源を確保するための取り組みが行われている。
天秤棒、輪?(わかんじき)などの器具材や機械材、家具材としても使われる。
建築材として床柱などにも使用される。資源の枯渇とともにこれらの用途は減少している。
生木でもよく燃えることから猟師が薪として利用した。
枝や樹皮を水に浸すと、水が藍色の蛍光を発する。この水は染料として使われた。
また、アイヌは黥(いれずみ)をするときの消毒に用いた。
また、樹皮は民間薬としても利用された。主な成分はクマリン配糖体で消炎解熱作用、
止瀉、利尿作用や尿酸を排出する作用があり痛風・結石の治療などの効果があるとされる。

アオダモの仲間 [編集]
ヤマトアオダモ(別名:オオトネリコ、F. longicuspis)
マルバアオダモ(別名:ホソバアオダモ、F. sieboldiana)
ミヤマアオダモ(別名:コバシジノキ、F. apertisquamifera)

2012年9月30日日曜日

暮らしの中の自然 天蚕糸



暮らしの中の自然 椚林のエメラルド 天蚕糸

天蚕糸(てんさんし)は、天蚕の繭からとった天然の繊維。
萌黄色の独特の光沢を持ち、絹に比べて軽くて柔らかいのが特徴である。
糸の中に空気が入っているために保温性が高い。
また、染料が吸着しにくいために濃く染まらない性質を利用して、家蚕糸と混織し後染め
することで濃淡をつけることも行われている。
天蚕は日本・台湾・朝鮮半島・中国に分布する絹糸虫である。鱗翅目ヤママユガ科に属する
蛾の幼虫で、和名をヤママユと呼ぶ。
釣り糸や医療用縫合糸などに用いられるテグスは、漢字では天蚕糸と書くが、
これはテグスサン(台湾の楓蚕(ふうさん)、日本の樟蚕(しょうさん、クスサン))の
ことをいう。

歴史
天蚕は、もともと全国の山野に自然の状態で生育している蚕で、古くは木の枝についている
繭を集めてきて糸に紡いだ。人工飼育を歴史的に最初に始めたのは、長野県安曇野市
有明地区であるとされている。
天蚕は家蚕に比べて史書に記録される機会が少なく、文政11年(1828年)に刊行された
『山繭養法秘伝抄』などが存在するだけである。




有明の歴史
有明では、天明年間(1781年~1789年)から天蚕飼育が始められた。
周辺は穂高連峰の山麓につながる高原で、松・杉とともにクヌギ・ナラ・柏などが群生し、
以前から多数の天蚕が自生していたのである。
享和年間(1801年~1804年)になると、飼育林を設けて農家の副業として飼養され、
文政年間(1818年~1830年)には近郷の松本等の商人により繭が近畿地方へと運ばれ、
広島名産の山繭織の原料にもなった。
嘉永年間(1848年~1854年)頃には、糸繰りの技術も習得し、150万粒の繭が生産された。
明治20年(1887年)から明治30年が天蚕の全盛期で、山梨県や北関東などの県外へ出張して
天蚕飼育を行った。明治31年には有明村の過半数の農家が天蚕を飼育するに至る。
面積3000haからの出作分を含めて800万粒の繭が生産され、天蚕飼育の黄金時代といわれた。
しかし、焼岳噴火の降灰による被害や、第二次世界大戦により出荷が途絶え、
幻の糸になってしまった。
昭和48年(1973年)に復活の機運が高まり、天蚕飼育が再開された。




天蚕の飼育
天蚕は家蚕のように桑の木を育てる手間はないが、繊細な虫であり人工飼育するには細かな
配慮がなされる。
飼育場所として日当たりと水はけの良い、乾燥気味の場所が適している。
放飼期前にホルマリン液で飼育場所を消毒し、病害虫から天蚕を守る必要がある。
天蚕の病気には、微粒子病・膿病・軟化病・硬化病などがあるが、とくに皮膚に黒い斑点の
現れる微粒子病は経卵伝染する恐ろしい病気である。
天蚕の飼育には山飼いと桶飼いの二つの方法がある。山飼いは植栽した樹園を作って
飼育するものであり、桶飼いは水を入れた容器に小枝を差して飼育する方法である。
色が良く、繭層の厚いものが良い繭である。




製糸工程
一般的に以下の手順で行われる。

殺蛹
天蚕繭は、羽化するまで約40日あるが、生繭で繰り糸をする以外は、燻蒸などにより
蛹を殺す。

貯蔵
風通しの良いところでカビの発生を防ぎながら保管する。

選繭
自然の中でつくられた繭は不揃いなので、繰り糸を容易にするために選繭し、不良の繭を
取り除く。

煮繭
天蚕は、雨水などから中の蛹を保護するために蝋分を多く含んでいて水を通しにくくなって
いる。
ある程度の時間をかけて煮ることによって、糸引きの過程での切断やもつれを防ぐ。

繰糸
座繰り機などを用いて、鍋の湯で煮繭しながら糸口を求め、5~7粒の繭の糸を縒り合わせて
一本の糸にする。
天蚕繭の場合は、繭の構造から外層部を手で一皮めくって糸口を見つける方法をとらねば
ならない。

揚げ返し
小枠に巻き取られた天蚕糸を大枠に巻き替える工程。

仕上げ
大枠から外して二つ折りにして結束する。
天蚕繭の製糸は、家蚕の繭に比べて解除率が悪いので、どうしても作業効率が悪くなる。

暮らしの中の自然 ヒカゲノカズラ



暮らしの中の自然 ヒカゲノカズラ(林の中の金魚藻)

分類 ヒカゲノカズラ目 ヒカゲノカズラ科 ヒカゲノカズラ属
            種:ヒカゲノカズラ

和名 ヒカゲノカズラ
ヒカゲノカズラ(Lycopodium clavatum、日陰鬘、日陰蔓)は、
ヒカゲノカズラ植物門に属する代表的な植物である。蘿(かげ)という別称もある。
広義のシダ植物ではあるが、その姿はむしろ巨大なコケを思わせる。

特徴
山野に自生する多年草で、カズラという名をもつが、つる状ながらも他の植物の上に這い上ることはなく、地表をはい回って生活している。
針状の細い葉が茎に一面に生えているので、やたらに細長いブラシのような姿である。
茎には主茎と側枝の区別がある。
主茎は細長くて硬く、匍匐茎となって二又分枝しながら地表を這う。所々から根を出し、
茎を地上に固定する。
表面には一面に線形の葉が着いているが、葉はほぼ開出しているので、スギゴケなどのような感じになっている。
側枝は短くて、数回枝分かれをし、その全体にやや密に葉をつける。
夏頃に、胞子をつける。まず茎の所々から垂直に立ち上がる枝を出す。
この茎は緑色で、表面には鱗片状になった葉が密着する。茎は高さ5-15cm、先端近くで数回
分枝し、その先端に胞子のう穂をつける。
胞子のう穂は長さ2-10cm、円柱形。胞子のうを抱えた鱗片状の胞子葉が密生したもので、
直立し、やや薄い緑色。

分布
日本では沖縄以外の日本に広く分布する。国外では世界の北半球の温帯から熱帯域の高山に
まで見られ、分布は広い。そのため変異も多い。
名前の由来は日影の葛で、日なたに出ることを意識した名との説もあるが、よくわからない。日陰の葛と当てる場合もある。湿った日なたの傾斜地によく生えるが、あまり湿地には
出ない。林道周辺などでよく見かける。

近似種
本種の変異としては、以下のようなものがある。

エゾヒカゲノカズラ var. robustum (Hook. et Grev.) Nakai
胞子のう穂のつく枝が10cm以下と低い。本州、四国の高地と北海道に分布。
ナンゴクヒカゲノカズラ var. wallichianum Spring
葉がやや硬くて胞子のう穂の柄がより高いもの。四国、九州。
ヒカゲノカズラ属にはこの他にも匍匐性のものがあるが、多くはより短く平らな葉をもち、
茎に沿うものが多いので、ブラシのような見かけにならないものが多い。

ブラシのように見えるものとしては、以下のようなものがある。
ミズスギ L. cernuum L.
這っている見かけはヒカゲノカズラによく似ているが、胞子の穂は立ち上がって針葉樹の
ような枝振りになった直立茎の先端に着いて下を向く。主に本州南岸以南に分布。
スギカズラ L. annotinum L.
匍匐茎は横に這うが、側枝はほとんど分枝せず直立する。本州中部以北に分布。

利用
胞子は石松子と呼ばれ、丸薬の衣やリンゴの人工授粉の際の花粉の増量剤として使われる。
湿気を吸収しないことが利点で、傷に塗って血止めとした例もある。
植物体を乾燥させても比較的よく緑を保つことと、その姿のおもしろさ、紐状でさまざまな
形に巻いたりと加工ができることから、ドライフラワーやアート素材などとして用いる例も
ある。
また、金魚の養殖では、これを産卵巣に使う例がある。
その他、高級料亭で川魚などに添えて飾る例もある。
この植物や似たものを祭事に用いる例がある。一説によれば、天岩戸の前でアメノウズメが
踊った際に、この植物を素肌にまとったとも云われる。
古事記には「日影を襷にかけ」とありこの日影がヒカゲノカズラであるというのである。
万葉集にもヒカゲカズラの名が見える。
現在でも京都伏見稲荷大社の大山祭では参拝者にお神酒とヒカゲノカズラが授与される。
また奈良の率川神社ではヒカゲカズラを頭に飾った舞姫が踊る「五節の舞」がある。
また、大嘗祭や新嘗祭にもかつてはこれが用いられたと言う。

2012年9月29日土曜日

暮らしの中の自然 マッチ



暮らしの中の自然 マッチ

マッチ(match、燐寸)は火をつけるための道具の一つである。

慨要
木や紙などでできた細く短い軸の先端に、発火性のある混合物(頭薬)をつけた形状をして
いる。
リンの燃えやすい性質を利用している。19世紀半ばには側面に赤燐を使用し、発火部の頭薬に塩素酸カリウムを用い、頭薬を側薬(横薬とも)にこすりつけないと発火しない安全マッチが登場した。
発火点は約150度。マッチは一度濡れると頭薬の塩素酸カリウムが溶け出てしまうために、
それを乾かしたとしても使えなくなってしまう。そのため、防水マッチが考案されている。
現在日本で見られるマッチは、通常軸が木製で箱に収まっているものが一般的である。
軸木にはポプラ、シナノキ、サワグルミ、エゾマツ、トドマツなどが使われるが、
現在日本で製造されているマッチの軸木は殆どが中国やスウェーデンからの輸入品である。
箱の大きさは携帯向けの小箱から、卓上用の大箱まで様々なものがある。また、軸が
厚紙製で、折り畳んだ表紙に綴じられているブックマッチもある。
かつてはあらゆる着火に用いられたが、現在ではコンロやストーブなどの火を使う製品には
ほぼもれなく着火装置が付き、タバコの着火用としてもライターが普及、さらに喫煙率の
低下もあって、マッチの需要は大きく低下している。
実際の用途としては、仏壇のある家庭でロウソクの着火用や、学校などで理科の授業に
ガスバーナーを点火するためというのが多い。
なお喫煙器具の一種であるパイプは炎が横に噴き出る専用のライターもあるが流通が限定
されるため、マッチが利用されている。
かつてはどこの家にもマッチがあったことから、大きさの比較対象として、マッチを
被写体の横に並べて写真を撮影することは現在でも見られる。
マッチ箱自体に広告を印刷することが可能であるため、安価なライターが普及した現在でも、飲食店や宿泊施設等では自店の連絡先等を入れたマッチ
(小箱のもの、またはブックマッチが多い)を、サービスで客に配ることが多い。
このような様々なマッチ箱を収集の対象とする者もいる。

原料
頭薬の燃焼
塩素酸カリウム、硫黄(いおう)、膠(にかわ)、ガラス粉、松脂(まつやに)、珪藻土、
顔料・染料
しばしば頭薬にリンが使われているという表記が散見されるが、少なくとも1900年代半ば頃
以降は軸部分にリンを用いていない。

側薬
赤燐(せきりん)、硫化アンチモン、塩化ビニルエマルジョン

歴史
安全マッチ
硫化燐マッチ
人間にとって火は重要であったが、火をおこすことは手間のかかる作業だった。
1827年(文政10年)にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが塩素酸カリウムと
硫化アンチモンを頭薬とする摩擦マッチを考案した。
形態的には現在のマッチとほぼ同じであったが、火付けが悪かった。
このため、1830年(天保元年)に、フランスのソーリアが黄燐マッチを発明した。
これは頭薬をどんなものにこすりつけても発火するため普及したが、その分自然発火が
起こりやすく、また黄燐がもつ毒性が問題となって、製造者の健康被害が社会問題化した。
そのため、19世紀後半に黄燐マッチは禁止されてゆき、1906年(明治39年)、スイスの
ベルンで黄燐の使用禁止に関する国際会議が開かれて、黄燐使用禁止の条約が採択され、
欧米各国は批准した。しかし、マッチが有力輸出商品だった日本は加盟しなかった。
結局、1921年(大正10年)になってようやく日本は黄燐マッチの製造が禁止されたが、
日本における黄燐による健康被害の実態については、不透明な部分が多い。
その後、赤燐を頭薬に使用し、マッチ箱側面にヤスリ状の摩擦面をつけた赤燐マッチが
登場。19世紀半ばには側面に赤燐を使用し、発火部の頭薬に塩素酸カリウムを用い、頭薬を
側薬(横薬とも)にこすりつけないと発火しない安全マッチが登場した。
米国では黄燐マッチ禁止後も摩擦のみで発火するマッチの需要があり、安全マッチの頭薬の
上に硫化リンを使った発火薬を塗った硫化燐マッチが今日でも用いられている。
この硫化燐マッチは強い摩擦を必要とするので、軸木が安全マッチより太く長い物が
用いられるのが大半である。
(なお、硫化燐マッチは日本ではロウマッチという名でも知られるが、後述する防水マッチ
と混同しないように注意。
名の由来は、どこですっても発火する黄燐マッチのマッチ棒に塗られた黄燐がロウと外見が
似ていたことからであるとされ、黄燐マッチが製造禁止された後に発売された
硫化燐マッチもその名で呼び続けられたとされる。
なお、諸外国ではS.A.W. (STRIKE ANYWHERE MATCHES)
(和訳 :どこで擦っても火がつくマッチ。)や、頭薬の先端部に白色の硫化燐を目玉状に
塗布されている外見から、バードアイマッチという名で知られている。)
日本では、当初小箱一個が米4升と見合う高価な輸入品であった。
1875年(明治8年)4月、フランスに学んだ金沢藩士の清水誠が、マッチ国産製造の提案者で
あり後援者でもある吉井友実の三田別邸に構えた仮工場でマッチの製造を開始、
大きな成功を収めた。
その後本所に新設した工場で本格的に生産を開始、中国やインドへも輸出された。
最盛期である20世紀初めには、スウェーデン、アメリカと並び世界三大生産国となった。
このときは生産量の約80%が輸出にまわされた。日本では家内制手工業での生産が中心で
あったが、原料の一つである硫黄が大量安価に手に入ったので価格競争力があった。
しかしスウェーデンのマッチ製造会社が進出してきたため、零細企業が次々と廃業した。
昭和になると、日本での生産量の70%はスウェーデンの影響下の会社が製造するものとなった。戦後、ライターなどの普及によりマッチ生産は減少傾向にある。
現在では兵庫県を代表する産品となり、姫路市周辺で日本の生産量の80パーセントが生産されている。

特殊なマッチ
サバイバルキットや救命ボートに入っているマッチには防水マッチが使われることがある。
これは頭薬部分に蝋を塗って撥水効果をもたせたものである。
また、嵐の中など過酷な状況でも確実に着火させるため、頭薬を多く(長く)使用している
ものもある。
ストロンチウム・バリウム・銅などの塩を頭薬に配合し、炎が炎色反応を起こして着色する
マッチがある。
これはベンガルマッチ、着色マッチなどとよばれる。

アウトドア用品では、ファイアスターターと呼ばれる棒状もしくは板状のマグネシウムが
ある。
これはナイフ等の金属片で削って粉状にし、はめ込まれている火打石で火花を飛ばし点火
するものだが、綿などの火口が必要となる。
また、オイルライターに似たオイルマッチがある。これは綿芯が仕込まれた金属棒を本体
横の石に擦り付けて発火させる。
本体にはオイルを充填しておき、そこに金属棒を差し込むことで、綿芯にオイルが染み込む
仕組みになっている。
金属棒を使用することから、メタルマッチと呼ばれることもある。
ちなみにパーマネントマッチやAQマッチ(AQは永久の語呂合わせ)とも呼ばれるが、
オイルは消耗品であり、石や綿芯も交換が必要な場合もあるため、そのままの状態で
永久に使えるというわけではない。

逸話
マッチの語源は『蝋燭の芯』という意味である。
和文通話表で、「ま」を送る際に「マッチのマ」という。
トイレを使用後にマッチを擦ると、リン成分がアンモニア等の臭気成分に反応して匂いを
消す効果があるが、火災報知器が感知する場合もあり注意が必要である。
マッチ箱のやすり部分の名称を「よこぐすり」とも言う。
変わった用途として、製図用鉛筆の芯研ぎがある。
小ささを強調するために「マッチ箱」位の大きさという表現が使われる。
夏目漱石は『坊っちゃん』において、登場する小さい客車をマッチ箱にたとえて表現して
いる。

安全マッチはJIS規格でJIS S4001に規定されている。

暮らしの中の自然 金のなる木



暮らしの中の自然 ミツマタ(金のなる木)

分類 フトモモ目 ジンチョウゲ科 ミツマタ属 ミツマタ

和名 ミツマタ
英名 Oriental paperbush
ミツマタ(三椏、学名:Edgeworthia chrysantha)は、ジンチョウゲ科
ミツマタ属の落葉低木。
中国中南部、ヒマラヤ地方原産。皮は和紙の原料として用いられる。

概要
ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴があるため、この名があり、
三枝、三又とも書く。
中国語では「結香」(ジエシアン)と称している。
春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つがミツマタである。春を告げるように一足先に、

淡い黄色の花を一斉に開くので、サキサクと万葉歌人はよんだ
(またはサキクサ:三枝[さいぐさ、さえぐさ]という姓の語源とされる)。
園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるものもあり、
赤花三椏(あかばなみつまた)と称する。

利用
和紙の原料として重要である。ミツマタが和紙の原料として登場するのは、
16世紀(戦国時代)になってからであるとするのが一般的である。
しかし、『万葉集』にも度々登場する良く知られたミツマタが、和紙の原料として
使われなかったはずがないという説がある。
平安時代の貴族たちに詠草料紙として愛用された斐紙(美紙ともいう)の原料である
ガンピも、ミツマタと同じジンチョウゲ科に属する。古い時代には、植物の明確な識別が
曖昧で混同することも多かったために、ガンピもミツマタを原料としたものも、
斐紙と総称されて、近世まで文献に紙の原料としてのミツマタという名がなかった。
後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、ガンピとミツマタを識別するように
なったとも考えられる。
「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の
慶長3年(1598年)に、伊豆修善寺の製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した
黒印状(諸大名の発行する公文書)である(当時は公用の紙を漉くための原料植物の
伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じていた)。 
「豆州にては 鳥子草、かんひ みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門 より外には
切るべからず」とある。
「かんひ」は、ガンピのことで、鳥子草が何であるかは不明であるが、ミツマタの使用が
許可されている。
天保7年(1836年)稿の大蔵永常『紙漉必要』には、ミツマタについて
「常陸、駿河、甲斐の辺りにて専ら作りて漉き出せり」とある。
武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙は、このミツマタが主原料であった。
佐藤信淵の『草木六部畊種法』には「三又木の皮は 性の弱きものなるを以て 其の紙の
下品(品質が最低の意)なるを なんともすること無し」として、
コウゾと混合して用いることを勧めている。

利用、紙幣
明治になって、政府はガンピを使い紙幣を作ることを試みたが、ガンピの栽培が困難で
あるため、栽培が容易なミツマタを原料として研究し、明治12年(1879年)、
大蔵省印刷局(現・国立印刷局)抄紙部で苛性ソーダ煮熟法を活用することで、
日本の紙幣に使用されるようになっている。それ以来今日まで、ミツマタを原料とした
日本の紙幣は、その優秀性を世界に誇っている。

手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料として栽培し、
現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料となっている。
現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙は、ミツマタを主原料としている。

2012年9月28日金曜日

暮らしの中の自然 フノリ



暮らしの中の自然 フノリ

分類  スギノリ目 フノリ科 フノリ属 フノリ

和名 フノリ属
フノリ(布海苔)は、紅藻綱フノリ科フノリ属の海藻の総称。
「布海苔」と漢字で書くこともあるが、ひらがなやカタカナで表記されることのほうが多い。また、布苔、布糊、海蘿と書かれることもある。貝原益軒の『大和本草』の中では
「鹿角菜」や「青角菜」と記されている。
中国語では「赤菜」と書かれる。
フノリ属にはマフノリ、フクロフノリ、ハナフノリなどがある。
マフノリはホンフノリと呼ばれることもある。
マフノリ、フクロフノリなどは食用とされ、狭義にはこれらのみをフノリと呼ぶこともある。
岩礁海岸の潮間帯上部で、岩に付着器を張り付けて生息する。
日本全国の海岸で広く見られる。

日本産の種
フノリ属の日本産の種を下記に記載する。
ハナフノリ G. complanata
フクロフノリ G. furcata
マフノリ G. tenax
利用
2月から4月にかけてが採取期で、寒い時のものほど風味が良いといわれる。
採取したフノリの多くは天日乾燥され市場に出回るが、少量は生のまま、
または塩蔵品として出回ることもある。
乾燥フノリは数分間水に浸して戻し、刺身のつまや味噌汁の具、蕎麦のつなぎ(へぎそば)
などに用いられる。お湯に長時間つけると溶けて粘性が出るので注意が必要である。
近年、フノリはダイエット食品として注目されている。
また、フノリの粘性の元となる多糖質に抗がん作用があるとか血中コレステロールを下げる
作用があるなどという見解を持つものもおり、フノリの成分を使った健康食品なども
開発されている。
一方、フノリは古くには食用よりも糊としての用途のほうが主であった。
フノリをよく煮て溶かすと、細胞壁を構成する多糖類がゾル化してドロドロの糊状になる。
これは、漆喰の材料の1つとして用いられ、強い壁を作るのに役立てられていた。
ただし、フノリ液の接着力はあまり強くはない。このため、接着剤としての糊ではなく、
織物の仕上げの糊付けに用いられる用途が多かった。
「布糊」という名称はこれに由来するものと思われる。
また、相撲力士の廻しの下につける下がりを糊付けするのに用いられたりもする。
その他、フノリの粘液は洗髪に用いられたり、化粧品の付着剤としての用途もある。
また、和紙に絵具や雲母などの装飾をつける時に用いられることもある。

暮らしの中の自然 膠



暮らしの中の自然 ゼラチン(膠)

ゼラチン(gelatin)は、動物の皮膚や骨、腱などの結合組織の主成分であるコラーゲンに熱を加え、抽出したもの。タンパク質を主成分とする。

概要
ゲル化剤としてゼリーなどの食品に用いられるほか、工業製品にも利用されている。
化学的には、コラーゲン分子の三重螺旋構造が熱変性によってほどけたものを主成分とする
混合物である。
日本では、主に食品や医薬品などに使われる純度の高いものをゼラチン、日本画の画材
および工芸品などの接着剤として利用する精製度の低いものを膠(にかわ)と称している。

特徴
精製された純度の高いものは無味無臭。ゼラチンのコロイド水溶液は熱することにより
ゾル化して溶け、冷やす事によりゲルとなって固形化する性質を持つ。
水分との混合割合により固形化する際の堅さを調節できる。
主にウシやブタの皮や骨などを利用して生産されているが、宗教上の理由などからタブーの
対象となる動物を避けて素材を選定し、作られる場合もある。
中国ではロバの皮から作る阿膠がある。

基本的な製造法
素材の不純物を除去後、水を加えて熱処理し、ゼラチンを含む溶液を抽出する。
濾過後に酸またはアルカリでpH調節を行い、濃縮し殺菌および冷却、さらに乾燥と精製を
重ねて製品化する。
歴史
接着剤である膠として5000年以上前の古代から利用されていたと考えられている。
シュメール時代にも使用されていたとも言われており、古代エジプトの壁画には膠の製造
過程が描かれ、ツタンカーメンの墓からは膠を使った家具や宝石箱も出土している。
中国では、西暦300年頃の魏の時代にススと膠液を練った「膠墨」が作られたとされ、
また6世紀頃には現代とほとんど変わらない膠製造の記録も見られる。
中国から日本に膠が伝わったのは『日本書紀』などの記述から推古天皇の時代、
「膠墨」としてもたらされたものと考えられている。食材としての伝来は遅く、
明治時代以降、欧米の食文化の到来とともにゼラチンとして知られることになったが、
食用のゲル化剤としては和菓子などに用いる寒天や葛粉など多糖類系統のものが既に広く用いられていたこともあり、1935年頃、国内で食品にできるだけの純度に精製する技術が
確立して後、ようやく食品用ゼラチンが普及することとなった。
日本では兵庫県姫路市に製造企業が集中している。

用途
食品関連
一般にアスピックなどのゼリー、煮凝りなどへの使用がよく知られている。マシュマロ・
グミなど菓子だけでなく、焼肉などのタレやヨーグルトやクリームチーズ、ハムや
ソーセージなどにもゲル化剤・増粘剤・安定剤として広く利用されている。
調理用の素材として販売されているゼラチンには、薄い板状の板ゼラチン、粉状の粉ゼラチン(粉末ゼラチン)、顆粒状の顆粒ゼラチンなどがあり、ゼリーをはじめ菓子などの
家庭料理にも広く用いられている。
ただし、ゼラチンは食物アレルギーを引き起こすことがあるので、市販されているゼラチンを含む食品は、原則としてゼラチンを含む旨を表示することになっている。
ゼラチンを使用したコーヒーゼリーの調理例コーヒーを淹れる。
この際ゼラチンを溶かした水を混ぜることを考慮し、やや濃い目に淹れる方が良い。
ゼラチンを水に溶かす(水分に対し約3%)。この際にゼラチンが塊である場合は水に溶けやすくするために細かくする。
コーヒーを沸騰しない程度まで温めたら、ゼラチンを溶かした水を入れて粗熱をとり、
冷蔵庫で1時間-2時間ほど冷却する。
好みに応じてシロップ、コーヒークリーム、ホイップを添える。
コーヒーに添えるものであれば殆ど利用可能。
コーヒーゼリー以外にも、ワインゼリー、フルーツゼリー、マンゴープリンなど様々な
ゼリーに用いられる。
フルーツゼリーの場合、パイナップルやキウィフルーツのように、タンパク質分解酵素
(プロテアーゼ)を含む生の果物を使った場合は、それらがゼラチンのタンパク質を分解
してしまうためうまく凝固しない。
プロテアーゼの一つであるパイナップルに含まれるブロメリン(プロメライン)や
キウィフルーツのアクチニジン (酵素)は熱により変性しその効力を失うため、
熱処理の行われたもの(缶詰)などを使えば、問題なく作ることができる。

膠の接着剤:住宅建築用
住宅において、フローリングの固定に使用される。
通常は酢酸ビニル系の接着剤で固定されるが、シックハウス症候群を予防するために
ニカワを使用して固定することがある。

フィルム・印画紙
溶かしたゼラチンに臭化カリウムの溶液と硝酸銀の溶液を加えて攪拌すると写真乳剤となる。1871年、写真乳剤が開発されそれを塗布し乾燥させ感光膜とした臭化銀ゼラチン乾板が
発明された。
それらの写真乳剤をベースとなる素材に塗布したものが、それぞれフィルムであり印画紙と
なった。
以降、感光物質の結合剤であり、保護コロイドとして機能するゼラチンが用いられ続けて
いるが、デジタルカメラが普及し、使用量は減少してきている。

2012年9月24日月曜日

暮らしの中の自然 鉄



暮らしの中の自然 鉄(刃物)

慨要
元素記号の Fe は、ラテン語での名称「ferrum」に由来する。
日本語では、鈍い黒さから「くろがね(黒鉄、黒い金属)」と呼ばれていた。
道具の材料として、人類にとって最も身近な金属元素の1つで、
様々な器具や構造物に使われる。
鉄を最初に使い始めたのはヒッタイトである。
ヒッタイト以前の紀元前18世紀ごろ、すでに製鉄技術があったことが発掘された鉄によって
明らかになっている。鉄器時代以降、鉄は最も重要な金属の1つであり、産業革命以降、
益々その重要性は増した。鉄は、炭素などの合金元素の存在により、より硬い鋼となる。

性質
純粋な鉄は白い金属光沢を放つが、イオン化傾向が高いため、湿った空気中では容易に錆を
生じ、見かけ上黒ずんだり褐色になったりする。
一方、極めて純度の高い (99.9999 %) 鉄は、比較的高いイオン化傾向を有するにも拘らず、
塩酸や王水などの酸に侵されにくくなるうえ、液体ヘリウム温度(-268.95℃)でも
失われないほどの高い可塑性を有するようになる。
この超高純度鉄は東北大学金属材料研究所の安彦兼次客員教授により、電解鉄を超高真空中
で溶解し、電子銃を用いた浮遊帯溶融精製で処理することにより1999年に製造に成功し、
2011年に日本とドイツの標準物質データベースに登録された。
固体の純鉄は、フェライト相(BCC構造)、オーステナイト相(FCC構造)、
デルタフェライト相(BCC構造)の3つの相がある。911 °C以下ではフェライト、
911 - 1392 °Cはオーステナイト、1392 - 1536 °Cはデルタフェライト、
1536 °C以上は液体の純鉄となる。常温常圧ではフェライトが安定である。
強磁性体であるフェライトがキュリー点を超えたところからオーステナイト領域までの
770 - 911 °Cの純鉄の相は、以前はβ鉄と呼ばれていた。
栄養学的には、鉄は人(生体)にとって必須の元素である。
鉄分を欠くと、血液中の赤血球数やヘモグロビン量が低下し、貧血などを引き起こす。
腸で吸収される鉄は二価のイオンのみであり、3価の鉄イオンは2価に還元されてから
吸収される。
鉄分を多く含む食品はホウレンソウやレバーなどである。動物性の食物起源の鉄の方が吸収効率が高い。
ただし、過剰に摂取すると鉄過剰症になることもある。

生体内での鉄分の役割
鉄の生物学的役割は非常に重要である。
赤血球の中に含まれるヘモグロビンは、鉄のイオンを利用して酸素を運搬している。
ヘモグロビン1分子には4つの鉄(Ⅱ)イオンが存在し、それぞれがポルフィリンという
有機化合物と錯体を形成した状態で存在する。
この錯体はヘムと呼ばれ、ミオグロビン、カタラーゼ、シトクロムなどのタンパク質にも
含まれる。
ヘモグロビンと酸素分子の結合は弱く、筋肉のような酸素を利用する組織に到着すると
容易に酸素を放出することができる。
フェリチンは鉄を貯蔵する機能を持つタンパク質ファミリーである。その核は鉄(Ⅲ)
イオン、酸化物イオン、水酸化物イオン、リン酸イオンからなる巨大なクラスター
(オキソヒドロキソリン酸鉄)で、分子あたり4500個もの鉄イオンを含む。

おもな鉄含有タンパク質

タンパク質名 1分子中の鉄原子数 機能
ヘモグロビン        4         血液中のO2輸送
ミオグロビン        1         骨格筋細胞中のO2貯蔵
トランスフェリン 2         血液中のFe3+輸送
フェリチン        4500以下  肝臓、脾臓、骨髄などの細胞中でのFe3+貯蔵
ヘモシデリン        103~104  Feの貯蔵
カタラーゼ        4         H2O2の分解
シトクロムc        1         電子移動
鉄-硫黄タンパク質 2~8      電子移動

鉄分の吸収
肉や魚のミオグロビンやヘモグロビンに由来するポルフィリンと結合した鉄はヘム鉄と
呼ばれ、非ヘム鉄と比較して2-3倍体内への吸収率が高い。
非ヘム鉄は、ビタミンCと一緒に摂取すると、水溶性の高いFe2+に還元されて体内への吸収が
促進されるが、玄米などの全粒穀物に含まれるフィチン酸、お茶や野菜類に含まれる
ポリフェノールなどは非ヘム鉄の吸収を阻害する。

鉄分の不足
体内の鉄分が不足すると、酸素の運搬量が十分でなくなり鉄欠乏性貧血を起こすことが
あるため、鉄分を十分に補充する必要がある。
鉄分は、レバーやホウレンソウなどの食品に多く含まれ、その他に鉄分を多く含む食品は、
ひじき、海苔、ゴマ、パセリ、アサリ、シジミなどである。
これらを摂取することで鉄分の不足が改善される。
また鉄の溶解度が小さい土壌で育てられる植物などでは、鉄吸収が不足することで植物の
成長が止まり黄化することがある。この症状は、土壌に水溶性型の鉄肥料を与えるなど
すると一時的に改善されるが、植物中に含まれる鉄量が増えるわけではなく、ビタミンAの
含有量が増えることがわかっている。
したがって、鉄肥料を与えることは植物中の鉄分ではなくビタミンAを増やすことに役立つ。
植物の鉄欠乏を長期的に改善するには、土壌に大量の硫黄を投入するなどして、土壌質を
変える必要がある。
なお陸上植物に限らず、藻類も微量の鉄を必要とする。

鉄分の過剰
一方で、過剰な鉄の摂取は生体にとって有害である。
自由な鉄原子は過酸化物と反応しフリーラジカルを生成し、これが DNA やタンパク質、
および脂質を破壊するためである。
細胞中で鉄を束縛するトランスフェリンの量を超えて鉄を摂取すると、これによって自由な
鉄原子が生じ、鉄中毒となる。
余剰の鉄はフェリチンやヘモジデリンにも貯蔵隔離される。
過剰の鉄はこれらのタンパク質に結合していない自由鉄を生じる。
自由鉄がフェントン反応を介してヒドロキシラジカル(OH?)等の活性酸素を発生させる。
発生した活性酸素は細胞のタンパク質やDNAを損傷させる。
活性酸素が各臓器を攻撃し、肝臓には肝炎、肝硬変、肝臓がんを、膵臓には糖尿病、
膵臓癌を、心臓には心不全を引き起こす。
ヒトの体には鉄を排出する効率的なメカニズムがなく、粘膜や粘液に含まれる1-2mg/日
程度の少量の鉄が排出されるだけであるため、ヒトが吸収できる鉄の量は1-2mg/日程度と
非常に少ない。
しかし血中の鉄分が一定限度を超えると、鉄の吸収をコントロールしている消化器官の
細胞が破壊される。
この為、高濃度の鉄が蓄積すると、ヒトの心臓や肝臓に恒久的な損傷が及ぶ事があり、
最悪の場合は死に至ることもある。
鉄中毒の治療には、デフェロキサミンが投与される。

鉄分の許容量
米国科学アカデミーが公表している DRI 指数によれば、ヒトが1日のうちに許容できる
鉄分は、大人で45 mg、14歳以下の子供は40 mgまでである。摂取量が体重1 kgあたり20 mgを
超えると鉄中毒の症状を呈する。
鉄の致死量は体重1 kgあたり60 mgである。
6歳以下の子供が鉄中毒で死亡する主な原因として、硫酸鉄を含んだ大人向けの錠剤を
飲み過ぎるケースがあげられる。
なお、遺伝的な要因により、鉄の吸収ができない人々もいる。
第六染色体のHLA-H遺伝子に缺陥を持つ人は、過剰に鉄を摂取するとヘモクロマトーシスなど
の鉄分過剰症になり、肝臓あるいは心臓に異変を来す事がある。
ヘモクロマトーシスを患う人は、白人では全体の0.3 - 0.8 %と推定されているが、
多くの人は自分が鉄過剰症であることに気づいていないため、一般に鉄分補給のための
錠剤を摂取する場合は、特に鉄欠乏症でない限り、医師に相談することが望ましい。

鉄分の推奨量
鉄分の摂取についての必要量、推奨量は、以下の式で表される。
推定平均必要量=基本的鉄損失 ÷ 吸収率(0.15)
推定平均推奨量=推定平均必要量 × 1.2
20歳前後の男性の鉄分損失量は0.9 mg/日であるので、必要量は6.0 mg/日、
推奨量は7.2 mg/日、となる。

月経のある女性の鉄分の必要量は、以下の式で表される。
推定平均必要量=(基本的鉄損失+月経血による鉄損失(0.55 mg/日)) ÷ 吸収率(0.15)
20歳前後の女性の鉄分損失量は0.76 mg/日であるので、必要量は8.7 mg/日、
推奨量は10.5 mg/日、となる。
鉄分の耐用上限量は、0.8 mg/kg体重/日とされる。70kgの成人で56 mg/日が上限となる。

2012年9月23日日曜日

暮らしの中の自然 ヨードチンキ



暮らしの中の自然 ヨードチンキ

ヨードチンキ(蘭語 Joodtinctuur・独語 Iodtinktur)は、ヨウ素(ヨード)の殺菌作用を
利用した殺菌薬・消毒薬のことである。

知られざる地下資源
日本は自前のエネルギーのない輸入依存国だとおしえられてきた。
石炭も石油もないわけではない。
だが、産業として栄えるほどでもない。しかし、こと、天然ガスに関してはそうでもない。
立派に産業として成り立つのだ。
メタンガスを大量に含む地層水、つまり古代の化石海水を(かんすい)という。
この中に含まれているのが原子番号53番のヨードである。

組成と特性
赤褐色の液体で劇薬である。通常、消毒に用いられるのは2倍に希釈した希ヨードチンキ
(こちらは劇薬ではない)であるが、一般にはこれもヨードチンキと呼ばれている。
ヨウ素は水にはほとんど溶けないが、有機溶媒の一種であるアルコールに対しては比較的
溶ける。ヨードチンキもヨウ素をエタノールに溶かしたもので、添加物として
ヨウ化カリウム (KI) が含まれる。

歴史
1970年代以前、ヨードチンキはマーキュロクロム液とともに家庭用消毒剤として広く
流布していた。
特に学童を中心に一般家庭でも、マーキュロクロム液が赤色なので「赤チン」、
ヨードチンキを「ヨーチン」と呼び表した。
現在では、ヨードチンキよりも高分子ポリビニルピロリドンにヨウ素を吸着させた
ポビドンヨード液(商品名イソジン)の方が多用される。
またヨウ素は局所刺激性があるので、1970年代以降は商品名マキロンで代表される、
「色がつかず、しみない消毒薬」である塩化ベンザルコニウム系消毒薬や
グルクロン酸クロルヘキシジン系消毒薬に取って代わられた。
病院の主な使用先であった手術野の消毒に使われたヨードチンキはポビドンヨード液に
取って代わられた。
1990年代になると、のど飴ブームが去り、商品名「のどぬーるスプレー」など携帯式の
ポビドンヨード液噴霧器が一般医薬品として爆発的に普及した
(ヨウ素の過剰摂取で甲状腺障害がでたほどである)。現在ではルゴール液をベースにした
携帯式噴霧器も発売されており、違った意味で復興している。



暮らしの中の自然 カゼインボタン



暮らしの中の自然 牛乳製ボタン

カゼイン(英: casein)は、牛乳やチーズなどにふくまれるリンタンパクの一種。
またはそれを原料とするカゼインプラスチックの略称としても用いられる。

成分
カゼインは、牛乳に含まれる乳タンパク質の約80%を占める。
一般に乳固形分と呼ばれる成分の主要成分の一つである。その構成成分は単一のタンパク質
ではなく、大きく分けて下記の3種類に分類される。

α-casein(アルファ カゼイン)
β-casein(ベータ カゼイン)
κ-casein(カッパー カゼイン)

概要
カゼインは、そのタンパク質を構成するアミノ酸のうち、セリンに由来する部分
(セリン残基)の多くにリン酸が結合した、リンタンパク質(リン酸化タンパク質)の
代表的な例である。この特徴のため、カゼインは分子全体としてマイナスの電荷を帯びており、
カルシウムイオンやナトリウムイオンと結びつきやすい性質を持つ。
牛乳中では特にカルシウムと結合してカルシウム塩の形で存在し、結果として牛乳中で
カルシウムの安定な運び屋として機能する。
牛乳中においてカゼインは、カルシウム?カゼイン?リン酸複合体の形で存在しているが、
このときカゼインのうちで特に水溶性の高いκ-caseinの働きによってこの複合体はミセル
を形成する。この結果、カゼインは一種の「安定剤」として、牛乳を均質なコロイド溶液に
し、またその不溶性成分が析出することなく均質な状態を長期間保つ役割を果たしている。
またカゼインは、等電点であるpH 4.6において放置することで、牛乳から容易に分離する
こともできる。
カゼインは、ヒトの乳汁においても同様に存在するが、人乳においてはα-caseinの量が牛乳
に比べて著しく少ない事が知られている。また、このα-caseinはヤギ乳においても存在量が
少ない事が知られている。

カゼインプラスチック
牛乳に酸を加えるなどするとカゼインは沈澱して、象牙に似た外観の熱可塑性の
プラスチックとなる。
これをカゼインプラスチック、ラクトカゼインなどと呼ぶ。
印章、ボタンなどの材料として工業的に利用されている。
1898年にドイツで発明された。染色が可能。


2012年9月22日土曜日

暮らしの中の自然 鮫皮わさびおろし



暮らしの中の自然 鮫皮おろし器 (おろし器)

おろし器(おろしき)は、食材をすりおろす為の調理器具の総称。表面に小さな突起が多数突き出ており、突起部に食材をこすり付けることで食材の組織を破壊し、食材を細片化する。金属製のものが多いが、近年ではプラスチック製のものやセラミック製のものも多く市販されている。陶製やガラス製のものもある。


種類

鮫皮おろし
鮫の皮を利用したおろし器で、突起が小さく突起部の密集度が高いので、食材を滑らかにすりおろすことができる。山葵をおろすのに多用され、山葵以外の食材に利用することはほとんど無い。

鬼おろし
竹を加工し、鋸歯状に1cmほどの三角形の突起を持たせたおろし器。粗く固まり状におろすことができる。大根をおろすのに利用され、大根以外の食材に利用されることは稀である。栃木県をはじめとする北関東地域の郷土料理・しもつかれを作るのに欠かせない道具である。

チーズおろし
チーズをすりおろすための道具。日本では英語名称でチーズ・グレーター(Cheese Grater)とも呼ばれる。グレーターと呼ばれる器具には、食材をペースト状・粉末状に「おろす」ことを用途とするもののほか、「削る」「切る」ものも含まれる。様々な形状のものがあるが、筒状あるいは半円状に反った形状の金属板で多数の刃が付けられているものが多い。

岩塩おろし
岩塩をおろすための道具。ステーキ店や焼肉専門店なとで用いられることがある。

2012年9月21日金曜日

暮らしの中の自然 和竿



暮らしの中の自然 和竿

和竿(わさお)とは、釣りに用いられる釣り竿の中で、日本独自の製法で作られた
竹竿を指す分類である。

概要
和竿という分類は明治時代以降、西洋から竹を縦に裂いて再接着して製造する竿が紹介され、それら西洋の竿(洋竿)と区別するために、和の竿(和竿)という呼称が用いられ定着した。また、当時の日本の釣り竿の殆どが竹竿であったため、日本で作られる竹竿全般を指すこと
もある。

和竿の定義
西洋から持ち込まれた竹竿と区別するために作られた言葉であることから、明治時代初期までに日本で作られた竿は全て和竿と言える。
また、当時の釣り竿の多くは竹で作られていたことや、漆塗りが施されていたことなどから、丸竹(縦に裂いて加工していない竹)と絹糸や漆などを用いて作られる竿のみを指すことも
ある。
一方で、素材の一部にガラス繊維強化プラスチック(グラス)や炭素繊維強化プラスチック
(カーボン)を用いる合成竿や、リールを固定するリールシートを取り付けた竿は、
明治時代以前の伝統的な和竿と区別されることがあるが、現在の海釣り用の和竿の多くは
穂先まで竹で作られているものは少なく、リールシートが取り付けられているものが主流で
ある。
さらに布袋竹のノベ竿のように、継ぎ竿が普及するまで広く用いられてきた伝統的な釣り竿は一般的に和竿に含まれない。
このように和竿の定義は明確ではなく、時代・地域・用途によって和竿の範囲が変化することに留意したい。

材質
和竿の主な材料は竹であるが、竿の産地や使用目的によって様々な竹が用いられる。
例えば江戸和竿では矢竹、布袋竹、淡竹、真竹、スズ竹などが竿の部分毎に使い分けられて
いる他、採取する時期や場所によっても細かく分類されている。
また、穂先などにクジラのひげを用いるほか、強度を増すために絹糸や漆が使われ、一部の
竿では真鍮の管を用いることもある。
近年では海釣り用の竿の穂先はグラスやカーボンを用いるのが一般的であるほか、
ヘラブナ竿も竹とグラス・カーボンを組み合わせた合成竿が存在する。

和竿の主な種類

江戸和竿
横浜竿
川口竿
郡上竿
紀州竿
庄内竿

2012年9月20日木曜日

暮らしの中の自然 七輪





暮らしの中の自然 七輪

七輪(しちりん)は「七厘」とも書く。木炭や豆炭を燃料に使用する調理用の炉である。
関西ではかんてきとも言う。近年は練炭による事故を避けるため、出荷時に
「木炭コンロ」というラベルが七輪本体に直接貼られている場合も多い。

構造
江戸時代後期の七輪。長屋のほか、蕎麦や天ぷらの屋台でも盛んに利用された。
七輪は軽量かつコンパクトで移動が容易な調理用の炉である。形状は円筒形、四角形、
長方形が主で、大きさも様々で、用途に応じて多品種生産されている。
原料は主に珪藻土で、微細な中空構造を持ち断熱性が高いため保温効果が極めて高く、
本体は熱く焼けないため持ち運びに便利である。
赤外線の発生量も多く熱効率が極めて高いため、燃料を節約できるという利点がある。
赤外線の発生量が多いため、特に焼き物料理に向き、近年では炭火焼き料理が主体の調理器具として使われることが多い。
かつては火鉢や炬燵などに使用する木炭や豆炭などに着火するための道具として竈(かまど)のある家でも七輪が利用された。




歴史 江戸時代
囲炉裡や火鉢で火の熾った木炭や炭団を、長屋や屋台で携行し、少ない木炭消費で安全に長時間の煮炊きが出来るよう、町人文化の中で生まれ工夫改良されてきたものが日本独特の
「七輪」である。燃焼室が皿状で浅い江戸の七輪は、形状を見ても七輪単体で火熾しすることは前提とされていなかった。
土間や野外などに直接置いて火床を囲う程度の持ち運び可能な土師製の炉は古代よりあったものと考えられるが、高床式木造建築の内部に持ち込み、屋内での使用に堪えうる「置き炉」としては平安時代のものが確認できる。
これらは元は香炉や祭壇など宗教的祭具として屋内に持ち込まれたであろうものが、手あぶりなど採暖用途として、そして屋内での簡単な炊事や酒燗などに利用転用されたものと考えられる。
現在のものとほぼ同様の構造のものは江戸時代に作られていたといわれる。
日本人が通常「七輪」と考える焜炉は珪藻土を焼成して作られたものであるが、珪藻土を使用した竈や炉は能登地方においては江戸時代の初期(元和期)から使用されていたが、日本各地の窯で作られたものは粘土(土師:はじ)製のものが中心であった。
江戸では今戸の今戸焼が著名であり、瓦(かわら)焼窯の職人達が副製品として供給し普及したとされる。
今戸焼はおおむね箱形であったようである。
江戸後期の江戸の七輪は、現在の七輪と異なり、燃焼室が丸く浅いくぼみとなっているが、
これは当時、塩原太助によって広く普及していた炭団がぴったりと収まる形状である。
炭団は一日中でも弱火で燃え続けるため、小型の簡易な「へっつい」しかない長家や、
屋台での調理に非常に好都合であった。
また当時の長家は四畳半ほどの狭さに加えて換気機能が貧弱だったので(家屋自体を燻煙に
よって、シロアリや木朽菌類から守っていた)、焼き魚など大量の煙が発生する調理は、
七輪を使えば屋外で調理することができた。
この七輪は燃料に炭団を前提としており、木炭を大量に長時間燃やす訳ではないので、
それほど高温にはならず、七輪の四隅は木枠で囲われている。




明治?戦後
明治期には今戸焼きのような浅い皿の七輪から、現在のように木炭が多く投入出来る深い
バケツ状の形状が中心的になり、大正から昭和期にかけては、木炭や炭団に併せて、
豆炭が七輪の燃料として盛んに利用されるようになった。大正期に登場した円柱状の練炭は、当初、七輪にはめ込んで利用されていた。
能登半島では古くから珪藻土が伐出され、竈や炉の材料として使用されてきたという。
元和元年ころより竈および炉として自家用に利用され、明治初年より20年頃までには他地方へも移出販売されていた。
送風口の細工は三河でできたとされる。
土師製のものは欠けやすく、陶器は熱く焼けてしまい大変危険であり火熾(ひおこ)しには
適さないことから、次第に珪藻土製のものが主流になったと考えられる。
インフラが破壊された第二次世界大戦直後は、土間や竈のないバラックでも容易に使えるため、都心部の庶民生活を支える調理器具として重宝された。
このころは七輪一つで炊飯、煮炊き、魚焼きまでこなした。
練炭は当初七輪で使われていたが、1954年に一酸化炭素の発生が少なく、燃焼温度が高く燃料の保ちが良い専用の「上つけ練炭コンロ」が登場し、そちらでの利用が推奨されるように
なった。




現代
七輪の三大産地は土質の良好な愛知三河、石川和倉、四国香川があり、かつてはこの三大生産地で日本全体の需要をまかなうことがあった。
現在は三河で3社、石川で3社程度である。1955年頃まではいわゆる「焚き物屋」と呼ばれる
燃料屋や陶器屋などで販売されていた。
愛知三河のものは長州(萩)から製造法が伝来し、当初は陶器製で断熱のため二重構造にした七輪を製造したとの伝承がある。
愛知三河では、かつて瓦製造会社が七輪製造を兼ねている場合が多かったが、この20年ほど、七輪専業で製造する割合が多くなっている。
プレス加工して製造される安価な量産品の七輪のほか、瓦や、かつての陶磁器製の練炭火鉢の技術を生かし、瓦素材で珪藻土コンロを覆った耐久性のある高級品が製造されているのが
特徴である。
一方の石川能登では、能登半島で豊富に産出する珪藻土鉱床から掘り出された珪藻土ブロックを、崩す事無くそのまま七輪コンロの形状へ切り出して焼成した高級な「切り出し七輪」
「切り出し練炭コンロ」を特産品としている。
2011年(平成23年)3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震に関連し、多くの七輪製造企業が
被災地へ七輪を提供し、避難所で大いに活用された。
震災後の全国的な防災意識の高まりを受け、株式会社キンカの場合では例年に比べ2011年度は前年同月比で3割ほど出荷が伸びている。




形状
今では珍しくなった薪炭店での各種七輪とコンロ(東京江古田)
円筒形の七輪は炊飯や煮炊きに使いやすく、このころの主流であったが、焼き物が主体と
なった近年では、横長の長方形の七輪の普及が目立つ。屋内外問わず使用され、近年では
七輪を使用した炭火料理店も多い。
昔ながらの製法で珪藻土の塊を切り出し削って作ったものを「切り出し七輪」といい、
これに対して珪藻土を粉砕し、粘土状にしたものを金型でプレス成型した「練り物製品」が
ある。切り出し七輪は職人による加工手間が多く、高価であるのに対し、練り物製品は量産しやすく安価で一般に普及している。特殊な形状として、薪を燃料として利用出来る「薪七輪」がある。通風口とは別に薪を入れるための大きな開口部が空けられている。
ホームセンターなどではコストの安い国外で製造されたものも販売されているが、品質は値段相応である場合が多い。日本製の高級な珪藻土七輪は諸外国でも人気が高く、アメリカや中国の通販サイトでも販売されている。
アメリカではHIBACHI、あるいはHibachi Styleという名称で混同されているが
七輪の構造を元にした鋳鉄バーベキュー台なども開発販売されている。

取り扱い上の注意点等
珪藻土の性質上、濡れると吸水し崩れてしまうため、雨に濡れたり浸水する場所での保管は
できない。また、割れやすいので慎重に扱う。釣りなどでは金属製の七輪や練炭コンロを
使用した方が、軽量で衝撃にも強いため便利である。
室内で換気を怠った場合、また物置やテント、自動車の中など風通しの悪い場所での使用は
一酸化炭素中毒の可能性があり、非常に危険である。
殊に点火初期で炭が完全に熾っていない状態では一酸化炭素が多量に発生する。
また酸欠に伴う一酸化炭素の発生にも注意する必要がある。
室内では調理用ガスコンロと同様に、近くで換気扇を稼働させ、さらに一酸化炭素警報機
などの設置が好ましい。
火災を防ぐため、使用前に回りの可燃物は遠ざけておき、灰の始末にも気を付ける。
鉄製や陶製の火消し壺を用意する。火消し壺は酸素を遮断して消火する作用のもので、
熱がこもるためやけどに注意する。水などで外部から冷却しても内部に熱がこもっている
ことがあり、自動車の荷台などに積むさいは十分に時間が経って自然冷却しているのを
確認してから積載する。かつては灰の不始末による火災も多かったようである。
七輪はその性質上、完全に火を消すのは容易ではなく、火種の残った七輪が、火災の原因と
なる事もある。
閉め切った屋内での一酸化炭素中毒事故も後を絶たない。
七輪の中の火皿は内部の送風を確保するための重要な部品なので外したまま使用しない。
卓上などで七輪を使用する場合火皿の下で燃焼がおこっていると七輪の底が高熱になるため、そのようにならないよう注意する(小さすぎる木炭や木炭粉などを燃焼させない)。

2012年9月19日水曜日

暮らしの中の自然 墨



暮らしの中の自然 墨(すみ)

墨(すみ)とは、菜種油やゴマ油の油煙や松煙から採取した煤を香料と膠で練り固めた物
(固形墨)、またこれを硯で水とともに磨りおろしてつくった黒色の液体をいい、
書画に用いる。
また墨を液状にしたものを墨汁(ぼくじゅう)または墨液と呼ぶ。
 墨汁の原材料には化学的な合成物が使われている場合もある。
化学的には墨汁の状態はアモルファス炭素の分散したコロイド溶液である。

歴史
古代中国の甲骨文に墨書や朱墨の跡が発見されており、殷の時代に発達した甲骨文字と
ときを同じくして使用されたと考えられる。文字以外には文身にも使用され、
これはのちに罪人の刑罰の一方法となった。
墨は漢代には丸めた形状に作られ墨丸と呼ばれた。
現存する日本最古の墨書は三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の
土器に記されていた「田」という文字であるとされている。
日本では『日本書紀』に中国の墨について記されているのが初出である。
はじめて国内で墨が作られたのは奈良和束の松煙墨とされる。
この松煙墨は「南都油煙墨」と呼ばれ、遣唐使として唐へ行った空海が筆とともにその製法を

大同元年(806年)に日本へ持ち帰り、奈良の興福寺二諦坊で造ったのが始まりといわれる。
この油煙墨の製造が盛んになったのは鎌倉時代である。江戸時代に入ると各地でも製造される

ようになったが、古くから技術の高い奈良に多くの職人が集まり、その結果各地の墨の生産は

衰えた。
奈良では日本の伝統産業として今日まで受け継がれている。
現在の墨の主要産地は奈良県産が9割のシェアを占めるが、三重県産も知られる。

墨の特質
製造後間もない新品の固形墨は水分の含有量が多く、膠の成分が強く出るために粘度が強く
紙に書いた場合、芯(筆で書かれた部分)と滲みの区別がわかりにくい。年月が経って乾燥し

た墨は、膠の分解もすすむためにのびが良く、墨色に立体感が出て、筆の運びにしたがって
芯や滲みなど墨色の変化が美しく出るとされる。
こうした経年をした墨は「古墨」と呼んで、珍重される。墨が緻密に作られていれば、それだ

け乾燥するまで長い年月がかかる。

墨の種類
固形墨は主な原料である煤の違いによって、松煙墨と油煙墨に分かれる。
朱墨、青墨、紫墨、茶墨などの表現があるが、朱墨以外は基本的に黒色で、色調の傾向を示す

言葉である。朱墨の原料は、鉱産物として天然に採掘される辰砂である。

松煙墨(青墨)
松煙は燃焼温度にむらがあり、粒子の大きさが均一でないことから、重厚な黒味から
青灰色に至るまで墨色に幅がある。
青みがかった色のものは青墨(せいぼく)と呼ばれる。
製法は、松の木片を燃焼させて煤を採取する。
青墨には、煤自体が青く発色するもの以外に、藍などで着色するものもある。

油煙墨
油煙は、煤の粒子が細かく均一で、黒色に光沢と深味がある。製法は土器に、油を入れ灯芯を

ともし、土器の蓋についた煤を集めて作る。油は、菜種が最適とされるが、他にゴマ油や大豆

油、ツバキ、キリなどがある。


墨の製造で使われる膠は、動物の骨や皮、腱などから抽出した膠状物質。高級なものでは鹿、

通常は牛や豚、羊、ウサギなど。安価なものでは魚などが使われ、魚の膠を使ったものは
独特な臭気を持つ。それを補う目的で、化学的に合成された樹脂(接着剤と同様な成分)が
代用されることもある。
固形墨においても墨液においても、年月が経てば膠の成分が変質し弱くなる。
これを「膠が枯れる」という。作った当初は膠が強くて粘りがあり、紙に書いた場合、
芯(筆で書かれた部分)と滲みの差が小さいが、年月を経ると膠が枯れ、滲みも増えて
墨色の表現の自由度が広がる。水分が多いと書いた線の部分から滲みが大きく広がる。
この状態を「墨が散る」という。
長い年月を経て膠の枯れた固形墨を「古墨」といい、伸びやかな線質や立体感、無限な色の
表現が可能になるため、特に淡墨の作品では不可欠であり価値がある為、高値で取引される。
膠は動物性蛋白質であるため極端な低温下では粘性が増しゲル化・ゼリー状になり、書作に
適さない。
そのため墨は一定以上の気温下で使用する。

工芸品としての墨
墨を練る技術以外に、高級品では墨の形も美術工芸的に重要となる。墨型彫刻師が木型を
製作し、多様な形態が珍重される。

墨汁のなりたち
明治20年代、小学校教員をしていた田口精爾が冬場に冷たい水で墨をする生徒達を見て
液体の墨を作る事を発起。
東京職工学校(現・東京工業大学)で応用化学を学び、その後、墨汁を発明。
1898年(明治31年)に「開明墨汁」と名付け商品化し販売。
田口商会(現在の開明株式会社)を牛込区築土八幡(現在の新宿区)に創業した。
墨汁には天然由来の煤ではなく工業的に作られたカーボン(炭素)を使っているものがある
(このカーボンは、コピー機などで使われるトナーとほとんど同じ成分である場合もある)。

また膠の代わりに化学的に合成された接着系の樹脂を使っているものがある。
膠を用いた墨液の場合、表装・裏打ちをする際には長時間乾かす必要があり、乾燥時間が
短いと墨が溶ける。高濃度の墨液や膠が枯れた墨液はにじみが激しいため、
にじみ防止スプレーも市販されている。自分で裏打ちする際には注意が必要である。

防腐剤について
墨の製造で使われる膠は動物性のタンパク質であり、細菌が繁殖し腐敗する。
それを防ぐために市販の墨液には防腐剤を添加する。
固形墨には防腐剤の成分に樟脳や香料が含まれる。ただし、磨った墨の液は保存がきかない
ので直ぐに使い切る必要がある。
墨液など液体墨の防腐剤は時間がたてば弱くなるので製造後およそ2年程で腐ると
いわれている。
腐った墨液は動物系の腐敗臭を放ち筆を傷めるので使うのは避ける。
防腐剤の多い製品は筆を傷める可能性があるため、高級な筆を使う場合は粗悪な墨液を
使うことは避ける。
また、容器内の墨液の腐敗防止のため一度容器から出した墨液は細菌に汚染されている為、
戻さない。
日本製の墨液には粗悪な成分を含むことはほとんどないが、安物や輸入品には注意が
必要である。
品質の良い墨液は固形墨を磨ったものにも比較的近く、書家らにも愛好者が増えている。

その他
硯で墨を磨った液に技法的にアレンジを加える消費者もいる。
指の腹などで墨液をこする「磨墨」(まぼく)作業などで粒子の細かい墨色を試してみたり
水の量や硬水・軟水の硬度、紙との相性、気温や湿度で墨色や墨の広がりなどが変わる。
特に淡墨では差が出やすいので、ヘビーユーザーは好みの墨(磨墨液)を作るために各々
研究する。その点は絵具のそれと大差ないといえる。
墨をたくさん使用する消費者には墨磨機という固形墨を磨る機械も市販されており、
重宝される。

特記事項
墨がついた筆を洗う際に口にする者がいるが、添加物や不完全燃焼の煤を原料に含む為、
健康被害に気をつける必要がある。
豚や牛の膠は宗教上大きな問題があるので、口に含むような指導は外国人に対しては特に
気をつける。

2012年9月18日火曜日

暮らしの中の自然 下駄



暮らしの中の自然 下駄

下駄(げた)は、日本の伝統的な履物。足を乗せる木製の板に、歯と呼ぶ接地用の突起部を
付け(歯がないものもある)、眼と呼ぶ孔を3つ穿ち、そこに鼻緒を通す。足の親指と
人差し指の間に鼻緒を挟んで履く。
(歴史的には、人差し指と中指の間に鼻緒を挟む履き方もあった)。
呼び名の成立は戦国時代と推測され、下は地面を意味し、駄は履物を意味する。
それ以前は「アシダ」と呼称された。(漢字は様々な字があてられていた。)
下駄の種類
足駄
歯を台に差込む構造のもの(初期には一木から繰りぬいた)。歯が通常のものよりやや高い。
平安時代後期から江戸時代ごろまで用いられ、江戸期にはもっぱら雨天の履物であった。
また、旧制高等学校生徒が履いていたのもこの種の下駄である(=朴歯の高下駄)。マント、
弊衣破帽、高下駄が 高校生のシンボルとされた。

山下駄
歯、台ともに一ツ木を刳りぬいてつくったもの。江戸初期に樵夫がつくって江戸に売りに
出たのでこの名がある。台が四角で、桐製が多かった。

吉原下駄
ほぼ山下駄に同じだが、杉製。鼻緒は竹皮。江戸初期から中期ごろ、吉原の遊び客が雨に
降られたときに待合茶屋が貸した。

ぽっくり下駄
吉原の花魁、嶋原の太夫に付く禿の履き物。舞妓、半玉、といった年少芸妓もこれを履く。
または一般の幼い女子や少女の履き物。逆台形の黒塗り、もしくは白木のやや高めの下駄。
畳表であることも。台の部分には豪華な金蒔絵などが施されることも。中に鈴を入れることも

あり、歩くと音がする。別の呼び方として、「おこぼ」、「こっぽり」、「こぼこぼ」など。

露卯(ろぼう)
差歯の下駄で、台に歯のホゾが見えるもの。江戸初期ごろ。

柳下駄
柳の台に朴歯。差歯が抜けにくいのが特徴で、上方からの下りもの。17世紀後半に花柳界で
はやった。

馬下駄
今の下駄の直接の祖先にあたる。杉製で差歯、角型。台の下をひし形に刳りぬいてある
ために歩くと馬の蹄のような音がしたという。

駒下駄
馬下駄をさらに進化させたもので、雨天だけではなく晴天にも履ける日和下駄である。
17世紀末期に登場し、広く男女の平装として用いられた。
明治以前におけるもっとも一般的な下駄である。

桐下駄
駒下駄登場の少し後から高級品、嗜好品として用いられるようになった。
初期は黒塗りであったが、後に木地のものがふつうになった。

小田原下駄
18世紀初頭、江戸の魚河岸で生れた。後の日和下駄、利久の原型。蟻さし歯を用いて
歯の根が台にあらわれず、歯がすり減れば入れなおすことができるという点が利点。
また鼻緒に革を用いたところに特色があり、全体的に上品な仕上げであった。
高級品であったが、河岸の魚屋が好んで履いた。

外方(げほう、下方とも書く)下駄
台は桐の柾目、歯は樫の木丸歯。下り坂で履き心地がよいとされて、18世紀初期に流行した。

菱や瓢箪の刻印を打って他のものと弁別したという。

助六下駄
歌舞伎十八番『助六』で主人公がはいている下駄。初演時(1713年)に流行した。
台は桐の糸柾目で、小判形、朴の差し歯。

右近下駄
表面がカーブした歯のない下駄。土踏まずの辺りをくりぬいている。現代では、
底にスポンジ張りが一般的。台表面に鎌倉彫などの装飾を施したものが多い。

日和下駄
足駄(雨天用)に対する意味でこの名がある。時期によって定義はいろいろとあるが、
男物の場合は角形で台は桐(糸柾目が高級品)、長さ七寸二~三分(女物は五分ほど短い)。

歯は二寸二分程度がふつうで(大差という)、これを三寸三~四分にすると(京差という)、

足駄(高足駄)というようになる。

利久下駄
差歯の日和下駄。主に上方のみでこの名がある。千利休が考案したといわれる。

吾妻下駄
日和下駄の表に畳を打ちつけたもの。江戸末期に流行した。桐の台、赤樫の歯。鼻緒は
ビロウドが多く、低いものが主流だった。

鉄下駄
木ではなく鉄で作られた下駄。

高下駄
歯が上下方向に長いもの。普通の下駄より高さがあり、履くと身長が高く見え、高下駄と
呼ばれる。歯が厚いものを書生下駄と呼んだり、歯が薄いものを板前下駄と称する。

厚歯
下駄の歯が前後の方向に厚い寸法のもの。高下駄で厚歯のものがあり、特にバンカラと
呼ばれた学生に愛用された。
 金色夜叉で貫一がお宮を下駄で蹴り飛ばす場面で貫一が履いている下駄がこれである。

田下駄
弥生時代の遺跡からも発掘されている、日本で最も古い履き物。田んぼでの農作業に
使ったり湿地を歩くために使ったと思われる下駄。これが日本の下駄の原型だと思われる。

一本歯
下駄の歯は2本だが「一本歯下駄」も存在する。山道を歩くための下駄であり、
山の中で修行する僧侶や山伏などの修験者が主に用いた。このことが由来となって
天狗が履いていたとされ「天狗下駄」とも呼ばれる。
昔は越後獅子など芸能や曲芸をする者がバランス能力を見せるために履いたが、近年改めて
体のバランス感覚(平衡感覚)を養う、足腰を鍛える、整体やリハビリなどに良いとして
子供から大人まで履かれることもある。

下駄スケート
下駄の歯に鉄製の刃を取りつけた日本独特のスケート靴。明治から昭和30年代中頃まで
日本各地で用いられた。

八ツ割(ヤツワリ)
台表面にイグサや裂いた竹を編んだ表(おもて)を貼り、台自体に七つの切れ目を入れて
歩行時に足の裏に台が追随するようにした下駄。歯はない。地域により呼び名が異なり、
八ツ割は関西圏での呼び名。その形状から、雪駄に準ずる扱いをする場合もあるようで
あるが、明確ではない。現代では裏にゴム張りをされていることが多い。


『古事記』において、天の岩戸に籠もったアマテラス神の気をひくためにアメノウズメ神が
「桶を踏み鳴らし」踊った記述があるが、裸足で伏せた桶を踏み鳴らしてもさしたる音には
ならないだろうこと、木材や金属同士を打ち合わせ音を鳴らす行為は呪的意味をもつこと
から、アメノウズメ神は下駄を履いて桶を踏み鳴らしたのだという説がある。
これは、下駄は本来、呪的行為に使われる呪具であったという説の流れを汲む主張だが、
遅くとも中世にはそのような意味合いは失われていた、とする説が主流である。それでも、
甲高い音を立てて地を踏み鳴らす行為が呪術的意味で行われていた事例は、明治時代まで
確認できる。

2012年9月17日月曜日

暮らしの中の自然 砥石



暮らしの中の自然 砥石(といし)

砥石(といし)は、金属や岩石などを切削、研磨するための道具。

概要
天然のものと人造のものとがある。人造砥石は19世紀にアメリカ合衆国で製造が開始された。均質であり入手も容易であることから、現在では広く流通している。
天然物は、刃物へのアタリが柔らかいことなどを理由に、依然として愛好者が多い。
砥石の粒子の大きさにより、荒砥(あらと)、中砥(なかと、なかど、ちゅうど)、
仕上げ砥(しあげと、しあげど)の3種に大別される。
天然砥石の原料は主に堆積岩や凝灰岩などであり、荒砥は砂岩、仕上げ砥は粒子の細かい泥岩(粘板岩)から作られ、中でも放散虫の石英質骨格が堆積した堆積岩が良質であるとされる。人造砥石の原料は主に酸化アルミニウム及び炭化ケイ素であり、製法と添加物により
それぞれ数種以上の特性に分かれる。
その他ダイヤモンドや立方晶窒化ホウ素、ガーネットなども原料として用いられる。

用途
主に、金属製の刃物の切れ味が落ちた際に、切断機能を復元するために使用される。
また、用途によって種類も多くある。人手で刃物を研ぐ砥石は長方形が多いが、
動力を利用するものだと厚みのある円形で、外周端面を使って研ぐものと円形の面を使い
水平に回転させて研ぐものがある。
砥石は、これらの原料の種類、粒度(原料の粗さ)、結合度(原料を結びつける強さ)、
組織(原料の密集度)、結合材(粉末の原料を固める材料)などのファクターを選定する
事により、あらゆる金属、及び非金属を高精度に研削することができる。
砥石は後述のように人類の初期からの道具であるが、現代では切削工具(バイト、ドリル等)では得られない加工精度を得るための工具として重用されている。
古来から石器や金属器の加工に用いられていることで知られるが、漆器などの漆芸にも
砥石が用いられ、用途は硬いもの(無機物)の加工に限らない
(漆芸家にとっても必需品である)

歴史
日本では縄文時代の遺跡から、石器とともに面状・線状磨痕
(明らかに研磨に利用されて磨耗したと思われる痕跡)のある砂岩などが、
弥生時代には、墳墓から副葬品として鉄器とともに整形された砂岩が出土している。
遺跡の出土場所には産しない研磨用と思われる岩石も多く発掘されており、すでに商品と
しての価値が見出され、より研磨に適した材質のものが選別され、砥石として流通していた
ものと考えられている。


律令時代において兵士が準備すべき道具の一つとして、「砥石一枚」と記述されている
(大刀などを研ぐため)。
日本に限らず、軍隊で刀剣が用いられていた時代では、砥石は軍事必需品である。
江戸期の刀の本には、「すでにいい砥石は掘り尽くした」と記され、いい砥石ともなれば
、宝石のように高価で、一丁で土地付きの家が買える値段のものもあったとされる。
全体的には刀剣用より鉋や切出用といった大工道具の砥石の方が値段は高かった。
甲野善紀が現代の研師から聞いた話として、「なかなかいい砥石にめぐり合わなくて、
砥石を買うのはまるで賭みたいなものだ」と語っていたとされ、
後世に至るごとに国内の良質な砥石の減少実態が紹介されている。