日本語版にいくら載せてもこうかはない、この記事当然コラムだから本国内の
コラムで載せているのだろう。
この歴史を国民に教えるのだ、真実の歴史を、他国の責任ではない、みんな
自分達民族の責任なのだ。
【コラム】「歴史はいくら汚い歴史でも良い」=韓国(1)
2014年06月24日17時42分
イザベラ・バード・ビショップ(1831~1904)の『朝鮮とその隣国』は、
韓国学の必読書だ。
1890年代中盤に老齢のビショップは長い間の探訪を経て、直接調査した朝鮮の
実状を旅行記として整理した。
1964年、詩人キム・スヨンはこの本の一部を翻訳しながら
「私たち自らを知るための貴重な文献」と評した。同じ年に発表された詩
「巨大な根っこ」で彼は自ら「ビショップ女史に恋をしている」と書いた。
彼がビショップの記録を通じてみた「巨大な根っこ」とは何だろうか。
120年前にビショップが見た朝鮮は、貧しく無力な国であった。
朝鮮人はほとんどがみすぼらしいあなぐらで極貧の暮らしをしていた。
人口25万人の首都ソウルは、北京に続き世界で2番目に汚い都市だった。
狭苦しい路地横には緑色の汚物が流れ、飢えた犬の群れがうろついていた。
女たちは一日中、男たちの白衣を洗ってはゆでて糊付けとアイロンをかけなければ
ならなかった。そのような風習は、ビショップには
女性的奴隷制(female slavery)に映った。
夕方8時、普信閣の大鐘の音に合わせてすべての男たちの通行が禁止された
「奇異な習慣」の国、キム・スヨンの詩句のように
「長安の男たちがみな消えて突然婦女子の世界へ変わった劇的な」ソウルだった。
急流をわけて漢江(ハンガン)の航路を見で回ったビショップは、朝鮮の絶景に
驚嘆するが、彼女の関心はいつも一般民のみじめな生活像にとどまっていた。
無愛想にキセルをごしごし洗う両班(ヤンバン)や百姓たちの血を絞り取るような
衙前(地方役人)を描写した場面を読むと鳥肌が立つほどだ。
「両班はキセルも直接持たず、貴族の息子は寺小屋に行く時も本さえ持って
行かなかった」。地主と衙前は無理やり人民の財産を奪い、抵抗すれば投獄させて
ムチを打った。
人々は暇さえ出来れば酔うまでマッコリを飲みまくった。
両班は洋酒まで求めて飲んだ。酒に酔って気を失っても恥にならない
「酒をすすめる社会」であった。要するにビショップが記録した朝鮮末期の社会像は
ひどいものだった。列強の狭間で危機に追い込まれた政府は無力だった。
私欲にかられた支配層は残酷だった。軟弱な国民らは意欲を喪失し、
堕落と無気力に追いやられた。
【コラム】「歴史はいくら汚い歴史でも良い」=韓国(2)
2014年06月24日17時43分
儒教経典に「天命靡常」という言葉がある。その教えによれば、
天は民の目と耳を通じて見聞きする。民がドン底に落ちれば、天は天命でもって
次の王朝を開く。易姓革命、すなわち反乱による王朝交替を正当化した儒家の
政治理論だ。儒家の経典に記録された古代の独裁者は全て政治革命の結果、
処刑された。儒教の原則で見れば、朝鮮は当然崩れるべき国だった。
辛亥革命は、中国現代史の華だ。孫文が掲げた共和政の旗のもと、反乱軍は
清朝を打倒して皇権を解体した。その政治革命で中国は自力で“民国”の時代を
開いた。
中国の知識人は、苛酷なほど徹底して伝統を批判し、王朝史の闇を告発した。
儒教は「食人の理念」だとさげすんだ。最後の皇帝は獄中生活を免れることが
できなかった。不幸にも朝鮮の人民は“民国”の革命を成し遂げられなかったし、
短命な大韓帝国は植民地へと転落した。
キム・スヨンは残酷な朝鮮末期の社会像を見ながら精神的なさまよいを経て、
泣き叫んだ。「歴史はいくら汚い歴史でも良い」と。否定の否定を通じて、
新たな希望を見出したのか。
巨大な根っこを発見したキム・スヨンは、朝鮮のその“汚い”歴史を直視したことで
あろう。
朝鮮王朝の批判は、親日にはなりえない。王室の安全だけを保証してもらい国を
日帝に売ってしまった朝鮮の指導部を擁護することこそ、親日ではないのか。
シカゴ大学のカミングス教授は、北朝鮮の政権が朝鮮王朝の延長だと主張する。
彼の診断のとおりならば、韓半島で朝鮮王朝は依然として持続しているわけだ。
すなわち朝鮮の克服は、現在進行形の課題だ。植民史観を乗り越えるためには
朝鮮王朝史の矛盾と限界を徹底的に批判しなければならない。
アウシュビッツ博物館の正門には哲学者サンタヤーナの名言が刻まれている。
「過去を記憶できない国民は、その過去を繰り返すほかはない」。恐らく
ビショップ女史が老体をひきずって朝鮮の山川を旅行した理由なのであろう。
ソン・ジェユン、マクマスター大学教授
コラムで載せているのだろう。
この歴史を国民に教えるのだ、真実の歴史を、他国の責任ではない、みんな
自分達民族の責任なのだ。
【コラム】「歴史はいくら汚い歴史でも良い」=韓国(1)
2014年06月24日17時42分
イザベラ・バード・ビショップ(1831~1904)の『朝鮮とその隣国』は、
韓国学の必読書だ。
1890年代中盤に老齢のビショップは長い間の探訪を経て、直接調査した朝鮮の
実状を旅行記として整理した。
1964年、詩人キム・スヨンはこの本の一部を翻訳しながら
「私たち自らを知るための貴重な文献」と評した。同じ年に発表された詩
「巨大な根っこ」で彼は自ら「ビショップ女史に恋をしている」と書いた。
彼がビショップの記録を通じてみた「巨大な根っこ」とは何だろうか。
120年前にビショップが見た朝鮮は、貧しく無力な国であった。
朝鮮人はほとんどがみすぼらしいあなぐらで極貧の暮らしをしていた。
人口25万人の首都ソウルは、北京に続き世界で2番目に汚い都市だった。
狭苦しい路地横には緑色の汚物が流れ、飢えた犬の群れがうろついていた。
女たちは一日中、男たちの白衣を洗ってはゆでて糊付けとアイロンをかけなければ
ならなかった。そのような風習は、ビショップには
女性的奴隷制(female slavery)に映った。
夕方8時、普信閣の大鐘の音に合わせてすべての男たちの通行が禁止された
「奇異な習慣」の国、キム・スヨンの詩句のように
「長安の男たちがみな消えて突然婦女子の世界へ変わった劇的な」ソウルだった。
急流をわけて漢江(ハンガン)の航路を見で回ったビショップは、朝鮮の絶景に
驚嘆するが、彼女の関心はいつも一般民のみじめな生活像にとどまっていた。
無愛想にキセルをごしごし洗う両班(ヤンバン)や百姓たちの血を絞り取るような
衙前(地方役人)を描写した場面を読むと鳥肌が立つほどだ。
「両班はキセルも直接持たず、貴族の息子は寺小屋に行く時も本さえ持って
行かなかった」。地主と衙前は無理やり人民の財産を奪い、抵抗すれば投獄させて
ムチを打った。
人々は暇さえ出来れば酔うまでマッコリを飲みまくった。
両班は洋酒まで求めて飲んだ。酒に酔って気を失っても恥にならない
「酒をすすめる社会」であった。要するにビショップが記録した朝鮮末期の社会像は
ひどいものだった。列強の狭間で危機に追い込まれた政府は無力だった。
私欲にかられた支配層は残酷だった。軟弱な国民らは意欲を喪失し、
堕落と無気力に追いやられた。
【コラム】「歴史はいくら汚い歴史でも良い」=韓国(2)
2014年06月24日17時43分
儒教経典に「天命靡常」という言葉がある。その教えによれば、
天は民の目と耳を通じて見聞きする。民がドン底に落ちれば、天は天命でもって
次の王朝を開く。易姓革命、すなわち反乱による王朝交替を正当化した儒家の
政治理論だ。儒家の経典に記録された古代の独裁者は全て政治革命の結果、
処刑された。儒教の原則で見れば、朝鮮は当然崩れるべき国だった。
辛亥革命は、中国現代史の華だ。孫文が掲げた共和政の旗のもと、反乱軍は
清朝を打倒して皇権を解体した。その政治革命で中国は自力で“民国”の時代を
開いた。
中国の知識人は、苛酷なほど徹底して伝統を批判し、王朝史の闇を告発した。
儒教は「食人の理念」だとさげすんだ。最後の皇帝は獄中生活を免れることが
できなかった。不幸にも朝鮮の人民は“民国”の革命を成し遂げられなかったし、
短命な大韓帝国は植民地へと転落した。
キム・スヨンは残酷な朝鮮末期の社会像を見ながら精神的なさまよいを経て、
泣き叫んだ。「歴史はいくら汚い歴史でも良い」と。否定の否定を通じて、
新たな希望を見出したのか。
巨大な根っこを発見したキム・スヨンは、朝鮮のその“汚い”歴史を直視したことで
あろう。
朝鮮王朝の批判は、親日にはなりえない。王室の安全だけを保証してもらい国を
日帝に売ってしまった朝鮮の指導部を擁護することこそ、親日ではないのか。
シカゴ大学のカミングス教授は、北朝鮮の政権が朝鮮王朝の延長だと主張する。
彼の診断のとおりならば、韓半島で朝鮮王朝は依然として持続しているわけだ。
すなわち朝鮮の克服は、現在進行形の課題だ。植民史観を乗り越えるためには
朝鮮王朝史の矛盾と限界を徹底的に批判しなければならない。
アウシュビッツ博物館の正門には哲学者サンタヤーナの名言が刻まれている。
「過去を記憶できない国民は、その過去を繰り返すほかはない」。恐らく
ビショップ女史が老体をひきずって朝鮮の山川を旅行した理由なのであろう。
ソン・ジェユン、マクマスター大学教授
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