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2020年6月6日土曜日

6月6日 産経抄

この話、最初米国の報道で知ったが日本の人口1億数千万人、他国と
比べて人口比の差はあると思うが、あの武漢が1千万人。東京が
同じくらい、東京は都市封鎖はしてない、日本人の私が言うのもなんだが
日本人の民度は確かに高い、日本人の多くは他人に迷惑をかけないとか
公共物は大事にするとか、それに、民度の高さを日本人は
自画自賛してるわけでない、他国の人々が称賛してくれるだけで・・

6月6日 産経抄

日本人が日本の特長を誇ることが、まるで恥ずかしい
よくないことのように非難されるのも、戦後の悪弊だろう。

麻生太郎財務相は4日の国会で、新型コロナウイルス感染症による
死者が、欧米主要国に比べ日本で極端に少ない理由についてこう述べた。
「国民の民度が違う」。

▼ロックダウン(都市封鎖)など欧米が実施した強制的な措置は、
法制上取れないにもかかわらず、自粛要請や呼びかけが奏功した
「謎」に関し、外国から問い合わせがきた際に答えた言葉だという。
これに早速、立憲民主党の蓮舫副代表がツイッターでかみついた。

「貴方はどれだけ偉いのでしょう、麻生大臣」。

▼国民の文化程度の高さに自信を示すことが、どうして麻生氏自身が
偉いという話になるのか文脈が分からない。
蓮舫氏は「国籍を問わずコロナ感染症で亡くなった方、そのご家族の
お気持ちに寄り添わず…」とも批判していたが、
牽強(けんきょう)付会に過ぎよう。

▼麻生発言に関しては、予想通り数紙が5日付朝刊で批判的に
取り上げていた。
「他の国をおとしめることになりかねない発言だ」(朝日)、
「波紋を広げる可能性がある」(毎日)。
韓国のように自国のコロナ対応を自賛して日本を見下す国は、特に
問題視しないにもかかわらず。

▼5日付小紙朝刊の国際面では、三井美奈記者が緩みが目立つフランスの今を報告していた。
ルールに抵抗する国民性から、政府は問答無用の法律で
押し付けるしかないのだという。
記事は「国のかたちはさまざまだ」と締めくくる。

▼各国それぞれだからこそ、日本も日本流のやり方に自信を
持っていい。ところが、
日本が他国より劣っていたり、失敗して叱られたりしていないと
落ち着かない奇病が、一部で重篤化している。

2020年5月30日土曜日

5月30日 産経抄

自衛隊で一つ、自衛隊の中央病院があの客船患者を百数十人引き受けて
院内感染が一人もいないってこと聞いて「さすが~~」とおもった。
それに自衛隊三軍に関しても、感染の報道が一つもない。
仮に何人か感染していても報道が一つもないことはさすがだとおもった。
やはり、軍隊はこうあるべき・・・

5月30日 産経抄

透き通った青空というキャンバスに、6筋の長い白線が描かれていく-。
29日午後1時過ぎ、ふとフェイスブック(FB)を見ると、
多くの人が航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」の画像を投稿しており、お祭り状態となっていた。
天気同様、気分も晴れやかになった。

▼この日、ブルーインパルスは新型コロナウイルスに対処する
医療従事者に敬意と感謝を表すため、東京都内のコロナ患者を
受け入れている医療機関上空を飛行した。
呼応してSNS上でもその動画や、医療従事者への感謝の言葉が
あふれたのだった。自衛隊は国民の心を一つにする。

▼ブルーインパルスは今年1月、2020年東京五輪開幕式で
披露するため、五輪のマークである5つの輪を空に描く訓練を
始めていた。
五輪開催は今夏から1年延期となったが、その力強い飛行光景を見て、
来年が一層楽しみになった人も少なくないことだろう。

▼ところが、28日に今国会でようやく初めて開催された
衆院憲法審査会では、憲法9条への自衛隊明記に関する発言はろくに
なかった。
新たな感染症流行や、大規模自然災害発生などに備える憲法への
緊急事態条項盛り込みに関しても、
「不急」(国民民主党の奥野総一郎氏)で済ませる始末である。

▼「憲法について不断に論じるべき国会議員が、惰眠をむさぼっている
場合でない」。
日本維新の会の馬場伸幸幹事長が訴えた通り、寝ぼけている。
麻生太郎財務相も先月の国会で「国会議員も半分にしたらどうか。
正直言っていいことだと思う」と答弁したが、国会は仮眠室ではない。

▼ブルーインパルスは、8月の東日本大震災復興行事への参加も
検討されている。国会議員も少しは見習い働いてもらいたい。

韓国の新型コロナ感染者 39人増=全国で確認
社会・文化 2020.05.30 11:01

【ソウル聯合ニュース】

韓国の中央防疫対策本部は30日、この日午前0時現在の
新型コロナウイルスの感染者数は前日午前0時の時点から39人増え、
計1万1441人になったと発表した。
新規感染者が40人を下回るのは26日以来となる。

延期されていた釈迦誕生日の祝いの法要が開かれた済州島にある寺で
発熱検査が行われている=30日、済州(聯合ニュース)

ソウル近郊・京畿道富川市にあるインターネット通販大手「クーパン」の物流センターで発生した集団感染の影響で首都圏を中心に数日間感染者が急増していたが、追跡調査や関係者に対する検査が迅速に行われ、
増加幅が縮小したとみられる。

ただ、集団感染がソウル市や京畿道、仁川市の物流センターなどに
広がっているほか、全国各地でも感染者が出ており、感染者数が再び
増加する可能性が高い。

新たに感染が確認された39人のうち、27人が国内での市中感染で、
12人は海外関連だった。
5人は空港での検疫で判明した。地域別では京畿道が13人、
ソウル市が9人、仁川市が5人、大邱市と光州市がそれぞれ2人、
釜山市と全羅南道、江原道がそれぞれ1人だった。

1日当たりの新規感染者数は、22~24日は20人台、25~26日は10人台だったが、27日は物流センターの従業員を中心に感染者が
増加して40人となり、28日には79人と急増。
29日は58人となっていた。

 死者は前日と変わらず計269人だった。

kimchiboxs@yna.co.kr

2020年5月24日日曜日

5月24日、産経抄

そう、ハンコが今話題やね、この間韓国の新聞で日本のハンコ文化を
IT時代に取り残される文化なぞと揶揄してたけど、日本人からハンコを
なくせばやはり何か気が抜ける、気迫の一つがなくなる、
なにせ日本人には「血判」なる習慣がある。

5月24日

あるものに関するクイズを一つ。
高価なものは金や七色の石でできており、安価なものは1円の値打ちもない。
『三国志』では、賊の手に落ちないよう都の女官がこれを抱いて井戸に身を投げ、
後に呉の孫堅がこれを拾った。

▼答えは、印章(はんこ)である。
日本最古のものは「漢委奴国王」と刻まれた純金製の逸品、孫堅が手に入れたのは
「伝国の玉璽」という中国正統王朝の証しだった。
宅配物の受け取りには三文判を押し、拇印(ぼいん)や実印、消印など
「はんこの国」で培われた言葉の数々も、耳になじみ深い。

▼聞けば、行政手続きや契約で判を押すのは、日本や韓国、台湾など少数派らしい。
いまや希少種となった「はんこ文化」が、長引くウイルス禍の中で「罪人」の
烙印(らくいん)を押されている。テレワークの障害になっているとの批判である。

▼契約書や決裁文書に判を押すため、緊急事態宣言の中を出勤した人は多かったと
いう。
ビジネスの現場では電子押印や電子署名の導入が加速し、経済界からは
「はんこは美術品として残せばいい」と身も蓋もない声も聞こえてくる。

▼押印のデジタル化で事が円滑に運ぶのはいい。
さりとて不慣れなお年寄りら「IT弱者」を置き去りにした議論の加速は
いかがなものか。
給付金のオンライン申請では役所の混乱という質の悪い喜劇も見た。
決意のほどを示す手段として、はんこが重きを担った歴史も忘れてはなるまい。

▼〈納得と言ふにはあらず人生の時間惜しみて印鑑を押す〉棚田浩一郎。
不動産の売り買いや婚姻届など人生の岐路を前に、決断をはんこに委ねてきた
日本文化の歩みがある。ウイルス禍の時代にまず惜しむべきは命だが、
全ての決断をクリック一つに託すのも味気ない。何より落ち着かない。

2020年4月29日水曜日

UFOとの遭遇に備え「手順定めたい」 河野防衛相

私も信じて居ないといえば嘘になるが心のどこかにあってほしいと、やはり、これは
ロマンだ、未確認飛行物体とか映像を見ても、ジェットエンジンみたいな
噴射口が全く見えないというかないみたいだし、幻想にしてもあまりにも多くの人が
同時に見る。
真実は今の地球人には衝撃が大きすぎるのかも~~~


UFOとの遭遇に備え「手順定めたい」 河野防衛相
2020.4.28 12:07政治政策 防衛最前線

河野太郎防衛相(春名中撮影)

河野太郎防衛相は28日午前の記者会見で、米国防総省が
未確認飛行物体(UFO)のような円盤状の飛行物体を記録した映像を公開したことに関連し、自衛隊がUFOに遭遇した際に備えて
「(対応の)手順をしっかり定めたい」と述べた。

河野氏は「正直に言うと、私はUFOを信じてはいない」と前置きし、映像公開に
ついて「米国から真意や分析を聞きたい」と語った。また、
自衛隊機のパイロットがUFOに遭遇したことは「ないと聞いている」と述べる一方、万が一遭遇した際の映像の撮影や報告の段取りについて航空自衛隊をはじめとする
各自衛隊に検討を求めた。

米国防総省が公開したのは海軍が撮影した「謎の空中現象」とする3種類の映像で、
同省は「映像に残された現象の正体は分からないままだ」としている。

2020年4月26日日曜日

コロナの第2次大流行の予感

そう、日本も今年の秋から冬にかけて再発生が考えられる、何としても今年の夏の
終わりには殲滅しとかなきゃ来年延期された五輪もあやうくなる。

【萬物相】コロナの第2次大流行
  
人間であれ動物であれ、狂犬病にかかるとほとんどは生き続けることはできない。
致死率がほぼ100%で、歴史的に見ても感染病の中では最高だ。
狂犬病に匹敵する致死率をエボラ出血熱が記録した。
1976年にアフリカ中東部で初めて発生が確認された当時、358人が感染し325人
(90.7%)が犠牲になった。2014年に感染が絶頂に達したが、その後ワクチンの
開発などで最近は患者数が大幅に減少した。
しかし世界保健機関(WHO)によるエボラ終息宣言を3日後に控えた今月10日、
コンゴで新たな感染者が再び発生し非常事態になっている。

一度流行した感染病が再び猖獗(しょうけつ)し、より大きな被害を出したケースが
スペイン風邪だ。1918年春に米国や欧州などで大流行し、夏になっていったん落ち着いたが、その年の秋に第2次の大流行が起こり世界中で5000万人の命を奪った。
英国では第2次流行当時の致死率が第1次の5倍に達した。
ただしスペイン風邪は特別なケースだ。
漢陽大学医学部のイ・グンファ教授によると、
重症急性呼吸器症候群(SARS)・中東呼吸器症候群(MERS)・ジカ・ウイルスなど、
ほとんどの感染病で第2次の大流行が起こったケースはほぼないという。

しかし今回のコロナ事態はスペイン風邪のように進行するとの見通しが相次いでいる。米モルガン・スタンレーは
「今年11月ごろに第2次の波が流行し、来年3月まで続くだろう」と予想しており、
米国立感染病研究所長も「経済は5月から段階的に再開したとしても、ウイルスは
今年秋に再発するかもしれない」との見方を示している。
何よりも心配なのはコロナウイルスの非常に強い生命力だ。
「セ氏60度で1時間が過ぎても引き続きウイルスの複製が起こっている」との
研究結果が先日の国際学会で報告された。
今南半球は夏の後半だが、それでもコロナによる非常事態が続いている。
ブラジルの患者数は4万人、ペルーとエクアドルでは1万人を上回っている。
暑さもコロナの前ではお手上げだ。

ワクチンであれ治療薬であれ、どちらかがあれば第2次の流行を阻止できるが、
どちらも開発に時間がかかっている。
ワクチン・治療薬開発のスピードよりもウイルス変異のスピードが早いという事実も
懸念されている。ここ4カ月の間に4300種以上の突然変異ウイルスが発見されており、その中にはこれまで知られたものより270倍も多く増殖する変種もあるという。
ワクチンや治療薬が開発されても、変種が立て続けに発生すれば、その効果は
どうしても下がってしまう。

韓国国内におけるコロナの新たな感染者数は昨日は4人にまで減少した。
海外で感染し国内に流入したケースまで合わせても、新たな感染者数は10人前後だ。
患者数が最も多いときの1-2%レベルだ。しかしこの日、
防疫当局は「コロナとの戦争は長期戦であり、再流行は避けられない」と警告した。
手洗い、マスクの着用、ソーシャルディスタンスなど、どれ一つ取っても緊張を
緩めるときではない。

朴恩鎬(パク・ウンホ)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

2020年4月19日日曜日

4月19日 産経抄

この記事、不思議な文字の世界を垣間見るきがする、日本語の「要請」の頭に「K]を
つければ、これが強制すなわち「強請」だ。
要請という言葉や文字は日ごろから常に半ば強制のニュアンスが含まれている。
こんな田舎の当地でもコロナが身近に迫ってる雰囲気だ。

4月19日

英単語のつづりには、表記されていても声に出さない文字がある。
「knife(ナイフ)」や「knock(ノック)」の頭につく「k」が、
代表例としてよく知られている。これを「黙字」と呼ぶそうである。

▼英語の先祖にあたる古英語では、いまの「黙字」もしっかり発音されていた。
ものの本にそう書いてある。
時代とともに音が省略され、表記だけが残ったらしい。思えば英語にかぎらない。
声に出さなくとも読み取らなければならない黙字は、現代の日本にもある。

▼不要不急な外出の自粛「要請」。
歓楽街などに向けた休業「要請」。

ウイルス禍の広がりで全国に拡大された緊急事態宣言だが、都内ではまだ、夜遅くに
場末の居酒屋から笑い声が漏れてくる。
「yousei」の頭についた黙字の「k」を、読み取れぬ人が多い。

▼保養地の長野県・軽井沢や茨城県のパチンコ店には、首都圏ナンバーの車が
増えたという。
「コロナ疎開」なる造語も耳にする。
この10年、大きな災害の度に胸を痛め、被災地に思いを寄せ、自制的な行動で
世界の共感を集めた人々とは別の人種を見る思いがする。

▼誰に強制(kyousei)されるでもなく身を慎む。
日本人の美質と良識を信じての政府や自治体の「要請」ではなかったか。
音にならない「k」を読み取り、社会の約束事として受け止める。その努力が、
感染の連鎖を食い止めるための数少ない手立てだろう。

▼黙字の「k」といえば、「night(ナイト=夜)」の頭についた
「knight(勇士)」も思い浮かぶ。
日々の自制と自粛に心を砕く一人一人が、息苦しい夜から社会を救うことのできる
「勇士」である。
憎らしいウイルスどもに、いつまでも暮らしを乱されてはならない。

2020年4月12日日曜日

4月11日、産経抄

今日4月12日、当地は久しぶりの雨昨日まで空気が乾燥して火の元注意だったが
こうして雨が降り湿度があがればコロナも勢いをそがれる。
今、世界の国々でまともに国会審議ができる国はそうあるまい、日本とて同じ、
せめて審査会ぐらいはやれば・・・
コロナ感染症が最高の言い訳材料になってる、何、「不要不急」って、
立憲民主党も政党理念が皆無だろう、こんな四字熟語を引用とは・・・

4月11日

新型コロナウイルスの感染拡大は、国権の最高機関であり立法機関である国会の
機能すら麻痺(まひ)させかねない。
憲法56条は「総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することが
できない」と定める。
議員の間に感染者や濃厚接触者が広がれば、あっという間に国会は停止する。

▼さすがに危機感を覚えたのだろう。
これまで憲法改正論議に消極的に見えた公明党の北側一雄憲法調査会長は9日、
こう明言した。
「感染症の拡大がどう展開していくか分からない。(緊急事態に関する)憲法上の
規定を議論するのはとても大事だ」。

▼ところが、立憲民主党など野党の多くは
「不要とは言わないが不急だ」などと言葉遊びではぐらかして憲法審査会開催に
応じない。
「本当に事態が深刻になったときにはもう議論なんてできない」
(与党の憲法審幹事)にもかかわらずである。

▼駒沢大の西修名誉教授(比較憲法学)は新著『憲法9条を正しく知ろう』で、
衆参両院に設置された憲法審に費やされた予算が全く生かされていないと嘆いている。審査会がめったに開かれないので、仕事の機会が与えられない衆参事務局の
人件費だけでこれまで16億2千万円がかかっていると。

▼日本維新の会の馬場伸幸幹事長の今年1月の衆院予算委員会での次の質問も
紹介されている。
「全然、議論しない。仕事をしないのに海外視察だけ行っている。
一人200万円もの大金を使って。私からいえば慰安旅行ですよ、これ」。

▼視察しても審議はしないのだから、成果は反映させようがない。野党は、
安倍晋三首相主催の「桜を見る会」に5千万円もかけたのはけしからんと
追及してきたが、はるかに多額の血税を平気でどぶに捨てるようなまねをしている。

2020年4月9日木曜日

大分県、新たな感染者は男女6人 新型コロナ

今日は、朝一番地元でも新型コロナの感染が近づいてきた。
大分県竹田市はわが町の隣、しかも私はその竹田によく行く、飲料水の湧き水汲み、
天然温泉の銭湯とか、しかも、目に入れても痛くない娘が竹田の菓子店にいるし
こうやって感染が確認されるのはいいが、どこで感染し確認されるまでの経路が
問題、感染者は治療のため隔離されるだろうが・・・・・
大分県総数41人とか、よその出来事・他人事ではないぞ~~!!

新たな感染者は男女6人 新型コロナ
2020/04/08 20:33

大分県は竹田市などで新たに男女6人の新型コロナウイルス感染を確認したと
発表した。
県内での感染確認は計41人になった。

2020年4月7日火曜日

NYの動物園、トラに新型コロナの陽性反応 ライオンにも症状

そう、動物に人間から感染するということは、動物から人間に感染するも同じ、
この動物園無症状の飼育係から感染とか・・・
トラやライオンは猫科の動物、日本でも家庭猫がいっぱいいるが大丈夫か

NYの動物園、トラに新型コロナの陽性反応 ライオンにも症状
4/6(月) 9:21配信CNN.co.jp

4歳のメスのマレートラ「ナディア」。
新型コロナウイルスの陽性反応が出た

(CNN) 米ニューヨーク市のブロンクス動物園は、4歳のメスのマレートラ
「ナディア」に新型コロナウイルスの陽性反応が出たと発表した。

トラの陽性反応が確認されたのは初めて。

動物園の発表によると、ナディアは咳(せき)の症状が出たため検査を受けさせた
結果、陽性反応が出た。症状は回復が見込めるとしている。

米農務省(USDA)によると、ナディアのほかにもブロンクス動物園のトラと
ライオン5頭が呼吸器系の症状を発症している。
それ以外の動物に症状は出ていない。

動物園によれば、トラやライオンは食欲が多少減退しているものの、それを除けば
元気な様子で、獣医師の手当てを受けて意識もはっきりしており、飼育係にも
反応しているという。

「新型の感染症に対する反応は種によって異なることから、大型ネコ類たちの症状が
どう進行するのかは分からない。
だが我々は今後も注意深く観察を続け、完全回復を見込んでいる」と動物園は
説明している。

ブロンクス動物園では飼育係1人の無症状感染が確認されており、この飼育係から
動物たちに感染したと同動物園は見ている。動物園は3月16日から休園中。

農務省は、新型コロナウイルスについてもっと多くの情報が明らかになるまで、
感染者はペットを含む動物との接触を最小限に抑えるよう勧告している。

2020年4月3日金曜日

4月3日 産経抄

日本の春先は花粉症対策でマスク姿が多いので、今回の感染症と勘違いされることが
おおいだろう。
今首都東京では集団感染が勃発してるし、外国人が入国してないだけいい方かも

4月3日

日本人が外出時にマスクをするようになったのは、1910年代に世界中で猛威を
ふるったスペイン風邪がきっかけである。
政府が予防のために着用を呼び掛けたからだ。実は欧米でも奨励されていた。

▼米国では多くの地域で、マスクなしで公共の交通機関が利用できなかったほどだ。
もっとも、予防効果に乏しいとの認識が広がり、廃れていった。では、
なぜ日本だけ定着したのだろうか。

▼江戸時代までは、風邪=風であり、玄関にお札を貼って追い払おうとした。
明治以降も残ったこうした伝統的な考えが背景にある、と社会学者の堀井光俊さんは
指摘する。
お札の代わりというわけだ。
現代でも社会が危機に直面するたびに、不安を吸収する機能を果たしてきた
(『マスクと日本人』)。

▼こうした日本のマスク文化は外国人にはなかなか理解されなかった。
スギ花粉を防ぐためだと知らず、日本の深刻な大気汚染を象徴していると論じた
欧米メディアの記者がいた。
東京電力福島第1原発の事故の後は、放射能対策、との誤解も生まれた。

▼新型コロナウイルスの感染拡大が止まらなくなって、ようやく米国もマスクの効用に気づいたようだ。
ニューヨーク・タイムズ紙は1日付の紙面で、「マスクの作り方」と題した記事を
載せている。では本家本元の日本はどうか。

▼確かに、マスクの品薄状態は相変わらず続いている。だからといって、
布製マスク1億枚を購入し、全世帯に2枚ずつ配布するという、政府の発表には
耳を疑った。
患者の急増で医療現場は機能不全に陥りつつある。
資金繰りにあえいでいる中小企業の多くは、悲鳴を上げている。
優先すべき政策は山のようにある。
首相の決断を押しとどめるブレーンはいなかったのか。

2020年2月29日土曜日

2月29日 産経抄

日本の安倍首相ほど難しい行政をしている宰相はいないとおもう。
日本ほど難しい国は世界に例がないと私は考える、まずは宗教、仏教と神道、神道は
目に見えない、経典もない、それでいて日本人の根底に本人が否定してもねづいてる。
ただ一つ、見えるのは神社、それに、今は、言論の自由や、政党結社の自由が
保障されてる、1945年以降、社会主義・共産主義が台頭したが、いまそれほど
影響力もない。
この間、イランがサウジアラビアの米軍基地にミサイルを撃ち込んだ時イランの
大統領が米軍が報復しなければこれ以上の攻撃はないといった。
イランも軍部や国民の面目を考えての所業、これは戦争を避けるための大統領の
決断だろう。

2月29日 産経抄

政治家、なかんずくリーダーである首相に求められる第一の資質とは何か。
複雑な利害やしがらみが絡み合い、白黒つけ難い問題を果断に処理する決断力だろう。竹下登元首相は就任が決まった際、周囲に漏らした。
「51対49の問題に決着をつけなければならない立場になった」。

▼一口に首相といってもそれぞれタイプは違う。以前、
阪神大震災と東日本大震災の両方で対応に当たった官僚から、時の首相について
聞いたエピソードである。
「村山富市さんは『困ったら私に言え。責任はとる』と任せてくれた。一方、
菅直人さんは『私に話を持ってくるな』と言いつつ、何かあったら
お前の責任だという態度だった」。

▼新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、全国の小中高校などを3月2日から
休校とするよう要請した安倍晋三首相は、どんなタイプといえるだろうか。
巷(ちまた)ではこの決断に対し、賛否両論が飛び交っている。

▼くだんの菅氏はツイッターで息巻いていた。
「安倍総理は対応の遅さを批判されて、それを気にして急遽(きゅうきょ)準備も
なく対策を発表しているように見えます。リーダとして最悪です」。当然、
あなたがそれを言うのかという反応が相次いでいる。

▼「皆で議論して決めれば、『総理の顔が見えない』といい、総理が決めれば、
『独裁者だ』といい、この国はどうなっているの…」。
織田邦男元空将が、フェイスブックに記したテレビ番組への感想である。
政府高官は「どちらにしても批判は出る」と達観している。

▼中世フィレンツェの政治思想家、マキャベリは言う。
「大衆はつねに、外見だけを見て、また出来事の結果によって、判断してしまう」。
安倍首相は、政治は結果がすべてだと誰より理解しているはずである。

2020年2月18日火曜日

台湾、後藤進平、李・登輝、頼清徳(らい・せいとく)氏

台湾もすごいと思う、日本の小豆島ぐらいしかない、いちばんは思想的に
自由民主主義を選んだことだ、
中華国民党の政権から自由思想の民主政権を自分たちで成し遂げた、どこか隣国とは
雲泥の差だ。
この、後藤進平あの「関東大震災」の後東京の町つくりをした人物のはず。

2月18日 産経抄

明治中期から昭和にかけて東京市長などを歴任した後藤新平はもともと医師だった。
政治家に転じるきっかけとなったのが、日清戦争である。

▼復員将兵の検疫業務で辣腕(らつわん)をふるい、陸軍次官だった児玉源太郎の目に留まった。
児玉が日本統治下の台湾の総督に就任すると、総督府の民政長官に
抜擢(ばってき)される。
後藤の台湾経営は8年間に及び、インフラ整備を進め、日本の衛生行政制度を
導入した。

▼後藤の生誕150年を記念して、国家や地域に貢献した人に贈られる
「後藤新平賞」が創設されたのは、平成19年である。
第1回の受賞者に選ばれたのが、元台湾総統の李登輝氏だった。
東京で行われた授賞式に出席した李氏は、「後藤新平と私」と題した講演を行った。
台湾の近代化を進めた後藤と、民主化を実現した李氏との間には、
「精神的な深いつながりがある」と述べていた。

▼小紙の矢板明夫記者が今年5月に台湾の次期副総統に就任する
頼清徳(らい・せいとく)氏にインタビューした、昨日の記事を興味深く読んだ。
後藤と同じく元医師で公衆衛生の専門家である頼氏は、当然のことながら
新型コロナウイルスの感染拡大に高い関心を示している。
中国当局の不透明かつずさんな対策を憂慮していた。

▼「22歳まで日本人だった」と語る李氏は、日本文化に造詣が深かった。
矢板記者によると、頼氏もまた日本との関係を最も重視する政治家の一人だ。
「機会があれば、ぜひ日本に行ってみたい」と話していた。

▼私人として来日していた李氏は授賞式の後、亡兄がまつられている靖国神社に
参拝している。
副総統に就任するまでは一民間人である頼氏の日本訪問にも、外交上の問題が
生じるはずがない。
中国への過度な忖度(そんたく)はやめて、ぜひ実現したいものだ。

2020年2月2日日曜日

2月2日 産経抄

中国の新型肺炎に、中国が初めて外国への渡航禁止をうちだした、日本では
コロナウイルスの分離報道があり特効薬は時間の問題とか、日本では、
武漢帰国者の受け入れ業務を担当していた役人が亡くなってるし「自殺」と推定
早く特効薬ができてほしいところだ。

2月2日  産経抄

空襲で焼け出された作家の内田百●(ひゃっけん)は戦後、東京の麹町に
土地を買った。
庭に池をこしらえ、母屋とは別に広さ3畳の離れも建てている。余人がよほど
疎ましかったらしい。訪客お断りの歌を詠んで門柱に張った。

▼〈世の中に人の来るこそうれしけれ/とはいふもののお前ではなし〉。
随分なご挨拶である。随筆にも「だれも上がらせないから、皆さんもそのおつもりに
願ふ」と書く念の入れようだった。
「禁客寺(きんかくじ)」と名付けられた庵の前で、鼻白むお客さんの姿が目に
浮かぶ。

▼お断りしたところで、家人の迷惑などお構いなしに上がり込む客もいる。
当節は新型肺炎を起こすコロナウイルスが、招かれざる客の筆頭だろう。
電脳空間にも不逞(ふてい)の徒がいて、コンピューターの誤作動を招く
不正ソフトは目を合わさずに締め出したい客である。

▼それにしても、情報という商品を収めた金庫にどんな錠前を付けていたのだろう。
中国系とみられるハッカー集団に攻撃されたNECである。
自衛隊装備に関する資料など、約2万8千点のファイルが流出した恐れがある。
部外者が出入り自由の金庫とはあきれる。

▼子会社のパソコンに仕込まれた不正ソフトから、安全管理の甘い領域に
侵入されたらしい。
宇宙・防衛産業を扱う三菱電機でも、情報流出が明るみに出たばかりである。
いずれも昨年以前の話というから、悪意に満ちた客にとって日本のサイバー空間は
楽園だろう。

▼余談ながら〈お前ではなし〉が効いたとみえ、禁客寺には百●もあまり足を
向けなかった。それに比べて国の重大事を扱う企業の接客の不手際はどうしたことか。観光名所でもあるまいし、千客万来では怖くてならない。
招かれざる客はこの瞬間も、日本を狙っているというのに。

●=門がまえに月  【閒】

2019年11月17日日曜日

昭和天皇史、第176回 真珠湾攻撃(2)

当時の日本、世界観、この戦争でも分かるように日本は味方のいない
戦争をしてはいけない。
日本は資源も何もない国、友好国・同盟国、そういう国が多ければ多いほどいい。
開戦初期はいい、だけど、広域な守備範囲が広がり・・・・・
そして、昭和天皇の苦悩がはじまる・・・

英戦艦も2隻撃沈 驚愕したチャーチル 「太平洋が日本の手に」
2019.11.17  ■第176回 真珠湾攻撃(2)

ハワイの米太平洋艦隊が奇襲を受け、壊滅的打撃を受けたとの急報がワシントンの
米海軍省に入ったのは、1941(昭和16)年12月7日午後1時50分
(日本時間8日午前3時50分)。
作戦部長らと会談中だった海軍長官、ノックスは絶句した。

「そんなバカなことがあるはずがない。
  これはフィリピンを意味してるにちがいない」

日米交渉の終盤、アメリカが日本に「最初の一弾」を撃たせようと画策していたことはすでに書いた。しかし、まさかハワイで、これほどの巨弾になろうとは、
誰も予想していなかったのだ(※1)。

 ホワイトハウスの様子はどうか-。

大統領のルーズベルトは側近の一人に、趣味で収集した自慢の切手アルバムを
見せていたところだった。だが、
ノックスから電話連絡を受けて「NO!」と叫び、黙り込んでしまった。

やがて顔を上げたルーズベルトは、意外にもさばさばした表情になり、
こうつぶやいたという。

 「自分に代って日本が決定を下した…」

すでに戦争を決意していたルーズベルトは当時、日本やドイツと戦うことについて、
どうやって国民を説得するか頭を痛めていた。
前年の大統領選で、
「自国の青少年を外国の戦争には送らない」と公約していたからだ。
もしも日本がシンガポールを攻撃した程度なら、世論は参戦を認めなかっただろう。
しかし、ハワイなら違う。

日本側の最後通告(宣戦布告)の手交が遅れたことも、ルーズベルトに幸いした。
日本政府は真珠湾攻撃の開始30分前に手交できるよう、前夜から通告文を
駐米大使館に打電していたが、駐米大使館の不手際で手交が攻撃開始後に
ずれ込んでしまったのだ。
アメリカ側はそれを奇貨とし、
「卑怯なだまし討ち」と喧伝(けんでん)して世論喚起に利用する(※2)。以後、
「リメンバー・パールハーバー」のスローガンが、アメリカ中を駆け巡った。

× × ×

英首相のチャーチルも、真珠湾攻撃にほくそ笑んだ一人だ。
ルーズベルトから電話で、
「日本は真珠湾を攻撃しました。いまやわれわれは同じ船に乗ったわけです」と
伝えられたチャーチルは、その時の気持ちをこう書き残している。

「合衆国をわれわれの味方にしたことは、私にとって最大の喜びであったと私が
公言しても、私が間違っていると考えるアメリカ人は一人もいないだろう」
「ヒトラーの運命は決まったのだ。ムッソリーニの運命も決まったのだ。
日本人についていうなら、彼らはこなごなに打ちくだかれるだろう」

ルーズベルトもチャーチルも、日本軍の実力を見くびっていたようだ。
チャーチルのほくそ笑みは、3日足らずで泣きっ面に変わる。

× × ×

日本の陸海軍は真珠湾攻撃の12月8日未明、南方の英植民地でも行動を開始し、
陸軍の第25軍がマレー半島に奇襲上陸した。
これを阻止しようとシンガポールから英東洋艦隊が出撃すると、仏印の飛行場から
海軍の第22航空戦隊が飛び立ち、10日午後、
英戦艦プリンス・オブ・ウェールズと英巡洋戦艦レパルスを撃沈。
開戦3日目にして早くも米太平洋艦隊と英東洋艦隊を撃破し、太平洋の制空、制海権を握った(※3)。

その報告を受けたあとの衝撃を、英首相のチャーチルが書き残している。

「私は一人なのがありがたかった。
すべての戦争を通じて、私はこれ以上直接的な衝撃を受けたことはなかった。(中略)寝台で寝返りを繰り返していると、この知らせの十分な恐ろしさが私に浸透してきた。カリフォルニアへの帰路を急いでいた真珠湾の残存艦を除いて、インド洋にも
太平洋にも英米の主力艦は一隻もいなくなったのだ。
この広大な海域にわたって日本が絶対の力を誇り、われわれは至るところで弱く、
裸になってしまったのである」--。
(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)



(※1) 真珠湾攻撃については、ルーズベルトはじめ米政府中枢が事前に
察知しながら、暗号解読の事実を秘匿するためハワイの司令官に伝えなかったとする
説がある。だが、
米側が解読できた日本の外交暗号のみでは、日本軍の作戦内容を察知するのは
不可能とみるのが通説である。
米側は当時、日本軍の先制攻撃を予測していたが、その目標はフィリピンなど
南方であるとみており、真珠湾攻撃は世界の軍事史でもまれな、
見事な奇襲成功だった

(※2) 日本側にとって対米開戦は自衛目的であり、国家の固有の権利である
先制的自衛権を認める立場からすれば、そもそも最後通告による宣戦布告は
必要ないとする説も有力である。
実際上の問題としても、アメリカ側は日本の最後通告を7日午前10時までに
全文解読し、それを読んだルーズベルトは
「これは戦争ということだ」と語っており、真珠湾攻撃前に開戦を把握していた。
アメリカ側は以後、日本の駐米大使館の不手際につけ込んで
「卑怯なだまし討ち」と喧伝するが、通告の遅れは、日本を断罪した東京裁判でも
大した問題にはならなかった

(※3) 作戦行動中の戦艦を航空機が撃沈したのは史上初めてで、世界に衝撃を
与えた。なお、
英国諜報部は日本軍機の実力をイタリア空軍と同水準(英軍の60%)と
過小評価しており、それが勝敗を分ける要因のひとつとなった



2019年11月11日月曜日

昭和天皇史、苦難の生涯を生きた大帝

私は昭和22年(1947)生まれの72歳、昭和に生まれ昭和天皇が一番気になる
人生だった。
やはり、昭和天皇は、艱難辛苦の苦難の生涯だったとおもう、
日米開戦の善悪は関係ない、これは運命だったとおもう、多くの先人達と未来ある
若者と幼い少年・少女が命を落としたが、終戦勅語で日本は救われたのだ。
昭和天皇の全国巡幸で確か九州の炭鉱と思うが昭和天皇の帰り際、炭鉱夫が
「天皇陛下万歳」とさけんだ、それに答えるように昭和天皇の右手が高く上がった
万歳三唱と昭和天皇の右手が三回上がり、その時の昭和天皇満面の笑みの映像が
あるが、この記録映像が今でも脳裏に焼き付いてる。
終戦勅語で「堪え難きを耐え・忍び難きを忍び・」大成を開かんといった昭和天皇の
希望がそこにあったのでは、と思った。
偉大だ、偉大な天皇、昭和大帝と呼びたい・・・

号泣した東条英機 宿命の真珠湾へ、日本軍機が飛び立った
2019.11.10

画=筑紫直弘
第174回 開戦前夜(2)

歴代内閣の和平努力にもかかわらず、日米開戦は避けられなかった。
東条英機内閣が発足する1年前、1940年秋の米大統領選で
「自国の青少年を外国の戦争には送らない」と公約し、3選したルーズベルトは、
いつの時点で戦争を決意したのか-。

諸説あるが、1941年夏の独ソ開戦が大きな影響を及ぼしたことは
間違いないだろう。
それより前、日独伊ソの4国が連携を強めることはアメリカにとって脅威だった。
しかし、独ソ開戦でその脅威は解消した。
日本に譲歩する必要はなくなったのだ。
7月の閣議でルーズベルトは、石油の禁輸は「戦争を意味する」と自ら述べながら、
8月に日本が南部仏印に進駐すると、米海軍作戦部長の反対を押し切って石油の
全面禁輸に踏み切った。

当時、アメリカは日本政府の暗号電報を解読していた。
「マジック」の名で知られる、極秘の傍受情報だ(※1)。
8月上旬の米英首脳会談で、ルーズベルトがチャーチルに
「三カ月間ぐらい彼ら(日本)をあやしておける」と話したことはすでに書いたが、
アメリカは日本の手の内を読みながら、自国の戦争準備が整うまで日本を「あやして」おけたのである。

× × ×

一方、日本側の事情はどうか。
日米開戦の原因の一つは、いうまでもなく日中戦争である。
昭和6年の満州事変にはじまる日本の軍事行動をみるとき、少なくとも蒋介石政権の
中国に対しては、自衛の範囲を大きく超えたものだったことを認めなければなるまい。

本連載で再三言及したように、大元帥である昭和天皇が決してのぞまなかった戦火を
強引に広げたのは軍部の革新派であり、それをあおったのは大手新聞メディアである。国家社会主義的な理想に燃える彼らは、現実的な視点から和平に努めた保守派重臣や
昭和天皇の側近たちを圧迫し、日本の国策を歪めた。

日中戦争で蒋介石政権は疲弊し、その後の国共内戦に敗れて台湾に移った。
日本の戦後歴代内閣の「おわび」の言葉は、台湾にこそ向けられるべきだろう。

ただし、ことアメリカに対しては、自衛のために立ち上がったとはっきり言える。
当時の米国務省顧問、ハーバート・ファイスが指摘したように、アメリカの真の
狙いは中国ではなく、太平洋にあった(※2)。
無限の資源と可能性を秘めたこの大海原を支配するため、アメリカにとって日本は、
遅かれ早かれ叩き潰さなければならない存在だったのだ。

× × ×

日米交渉を断ち切る「ハルノート」が手交された昭和16年11月26日、択捉島の
単冠(ひとかっぷ)湾に集結した、連合艦隊機動部隊が錨(いかり)を上げた。
空母赤城に座乗する第一航空艦隊司令長官、南雲忠一が率いるのは空母6隻を
はじめ戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など計33隻、目指すはハワイ、
真珠湾である(※3)。

真珠湾には米太平洋艦隊の主力が在泊している。
これを開戦劈頭(へきとう)の奇襲攻撃でやっつけてしまえと考えたのは、
日米開戦に反対だった連合艦隊司令長官、山本五十六その人だ。
失敗すれば虎の子の空母の大半を失う。海軍上層部の多くは危険すぎると反対したが、山本は自説を押し通した。
正攻法の艦隊決戦では、万に一つも勝てないと考えたからだ。

もっとも、出撃の時点で開戦とは決まっていない。日米交渉が妥結すれば、作戦を
中止し直ちに帰還するよう、山本は厳命していた。

× × ×

一方、戦争回避の思いを捨てきれない昭和天皇は11月29日、宮中に首相経験者を
集めて懇談形式の重臣会議を開き、意見を聴いた。

 「大変難しい時代になったね」

そういって発言を促す昭和天皇に、重臣の多くは
「ヂリ貧を避けんとしてドカ貧にならない様に…」(米内光政)などと避戦を
示唆したが、ハルノートを突きつけられた以上、政府と統帥部は一致して
「開戦あるのみ」だ。

30日には高松宮宣仁親王が参内し、
《敗戦の恐れある戦争の取り止めにつき提案》を受ける
(昭和天皇実録29巻124頁)。
だが、立憲君主として、政府と統帥部の決定を覆すことはできなかった。

12月1日、戦前最後の御前会議で、開戦が決定する。
会議の終盤、首相の東条英機が厳かに言った。

「今や皇国は隆替の関頭に立っており、開戦と決定すれば、一同共に政戦一致施策を
周密にし、挙国一体必勝を確信し、全力を傾倒して速やかに戦争目的を完遂し、
誓って聖慮を安んじ奉らん」

 昭和天皇は、一言も発しなかった。

× × ×

その日以降、東条は秘書官らと、昭和天皇を気遣う会話を繰り返したという。
7日未明には、首相官邸の執務室から東条の泣き声が漏れるのを、隣室にいた妻の
かつ子が聞いている。
押し殺した声はやがて号泣となり、心配したかつ子がのぞくと、東条は一人、
正座して肩を震わせていた。
昭和天皇の期待に応えられなかった、慚愧(ざんき)の涙だろうか-。

翌日未明、日本時間8日午前1時、ハワイ沖に達した機動部隊の空母から、
183機の攻撃機、爆撃機、戦闘機が、真珠湾に向けて飛び立った--。
(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載 来週からは
「太平洋の死闘」編を連載します)



(※1) マジックには誤訳や曲訳もあり、日本側の戦争回避の姿勢が
米政府首脳に的確に伝わらなかったとする説もある

(※2) ファイスによれば、ハルの4原則で米国務省は
「日本に何でも好きなものを太平洋から引き出させるだろうと判断」していた

(※3) ほかに潜水艦を中心とする30余隻の先遣部隊がハワイに向かった

2019年11月10日日曜日

突きつけられた「ハルノート」 日本は立ち上がるしかなかった

近・現代史に興味のある歴史好きの日本人なら誰もが知ってる事実がこれ米国の、
最後通牒・「ハルノート」だ。
ハル国務長官・日本は開戦するしか道はないと・・・
一個人日本人の私が考えるにこの時代日本は外交とともに、国家戦略でも米国に
敗れた。
当時もう独ソ戦ははじまっていたし、ホワイトハウスににはソ連とつながってた
内通者もいたと聞く、日本が米国と開戦すればソ連は背後の心配がなくなる。
米国も参戦すれば、戦後の世界指導権を握ることができる。
米国のフランクリン・ルーズベルト大統領は、叔父のセオドア大統領と違って
日本人を憎しみほど嫌っていたらしい。そしてもう一つ米国に教えてしまった!?
空母に戦闘爆撃機をのせる、「空母打撃群」の編成を
昭和天皇陛下・40歳~か

突きつけられた「ハルノート」 日本は立ち上がるしかなかった
2019.11.9

画=筑紫直弘

第173回 開戦前夜(1)

昭和天皇の意をくみ、日米交渉を一歩でも、いや半歩でも進めようと奔走した
駐米大使の野村吉三郎-。

だが、その結末はあまりに無残だった。

昭和16年10月18日に発足した東条英機内閣が日米交渉の土台として、
中国や仏印からの撤兵問題で日本が譲歩する「甲案」と、中国問題を棚上げして
暫定的に妥協する「乙案」をまとめたことは前回書いた。
外務省の訓令を受けた野村は11月7日、ハルと会談して甲案を提示。
「日本の内政上許す限りの最大の譲歩」と理解を求めたが、ハルは一般的な
平和原則を述べるにとどめた。

同月12日、ハルは野村に、甲案には何も触れず、平和政策実行の誓約などを求める
2通の文書を手交。15日には、列国共同で中国の経済開発を行うなどとする、
日本の政策と相容れない新提案を持ち出した上、日独伊三国同盟の死文化を
再三強調した。

17日、野村を補佐する特命大使の来栖(くるす)三郎が着任、会談に参加するが、
ハルは来栖を「初対面から嘘つきだと感じた」だけだった。

18日、米政府が開戦に傾いているとみた野村は決心し、乙案を提示する前に、
乙案よりさらに妥協した暫定協定の私案を示す。
しかしハルは取り合わず、東京からも野村の独断を批判され、20日、野村は改めて
乙案を手交した。

 だが、アメリカは最初から、日本に1ミリも譲歩する気はなかったようだ。

25日、大統領のルーズベルトはホワイトハウスにハル、スチムソン(陸軍長官)、
ノックス(海軍長官)、マーシャル(参謀総長)、スターク(海軍作戦部長)の
5人を招集。そこで協議されたのは、スチムソンが日記に書いたように、
「われわれ自身が過大な危険にさらされないで、最初の一弾をうたせるような立場に、日本をいかにして誘導して行くべきかということ」であった。

翌26日、ハルは野村と来栖に米政府の回答、いわゆる「ハルノート」を手交する。
日本に対し、
(1)中国と仏印からの全面的無条件撤兵
(2)満州国政府および汪兆銘政権の否認
(3)日独伊三国同盟の実質的廃棄-を求めるという、激烈過酷な内容だった。

× × ×

野村の戦いは終わった-。
交渉努力の一切を無視し、日本に一方的な敗北を迫るハルノートは、事実上の
最後通牒(つうちょう)とみていい。
先の大戦後、東京裁判で判事を務めたパールは、判決文にこう書いている。

「現代の歴史家でさえも、つぎのように考えることができたのである。
すなわち今次戦争についていえば、真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府に
送ったものとおなじような通牒(ハルノート)を受取った場合、モナコ王国や
ルクセンブルク大公国でさえも合衆国にたいして戈(ほこ)をとって
起ちあがったであろう…」

野村に「ハルノート」を手交したハルは翌日、陸軍長官のスチムソンにこう
語ったという。

「私はもう交渉から手を引いたから、問題は君とノックス(海軍長官)の手に移った」

この時点でアメリカは、臨戦態勢に入ったといえよう。
日本は結局、アメリカの思惑通りに、開戦への道を歩まされたともいえる。

一方、日本側の交渉手法にも問題はあった。ハルは4月の段階で、
(1)あらゆる国家の領土保全
(2)内政不干渉
(3)通商上の機会均等
(4)太平洋での現状維持-の4原則を示していたが、それを野村がすぐには
外務省に伝えなかったため、日米双方に誤解が生じ、疑心暗鬼に陥ってしまった。

もっとも、日本が4原則をのめば事実上の敗北に近い結果となったに違いない。
当時の米国務省顧問、ハーバート・ファイスによれば、この4原則で米国務省は、
「日本に何でも好きなものを太平洋から引き出させるだろうと判断」していたからだ。

 ハルの要求を受け入れれば日本はどうなるか-。ファイスは言う。

「人口過剰な島々からなる狭い地域で、はげしく忍耐強い労働によって乏しい
生活手段をかせぎながら平和に暮らすチャンスを与えられるだけであり、
平和的で秩序ある国々の仲間に戻り、その末席を許されるうえに何のプレミアムも
残念賞もない」

日本は、自存自衛のために、戦わざるをえなかったのだ--。
(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

2019年11月9日土曜日

11月8日 産経抄、立冬

この産経抄、私はこよなく愛読する愛読者であるが、今や「ワサビ」は隣国が起源とか
発祥とかいってるらしい。
半島にたとえ自生していても、食材になる、栽培できるなどの概念はなかったろう。
それが証拠に今現在半島にある「イチゴ・ミカン」の問題が・・・
もう二年も前か、日本の「ソメイヨシノ」が韓国の桜とは全く別物と韓国の大学と
林野庁が発表したときは失意の報道があって「挿し木・接ぎ木・取り木」の日本の
園芸技術も我々にもできると豪語していたが・・・・・

11月8日  産経抄

昨日の「朝晴れエッセー」は、読んでいるだけで舌がしびれそうになった。
盛岡市で飲食業を営む筆者はこの時期、赤唐辛子(とうがらし)のペースト作りに
励んでいる。発酵が進むと、瓶のフタを開けたとたんにあふれ出す。少量でも
飛び上がるほど辛いそうだ。

▼胡椒(こしょう)を求めてインドに向かったつもりのコロンブスが、
アメリカ大陸で見つけたのが唐辛子である。
「レッド・ペッパー」としてスペインに持ち帰り、欧州に広まった。
日本には戦国時代にポルトガル人により持ち込まれた。朝鮮半島に伝わったのは、
豊臣秀吉の朝鮮出兵がきっかけといわれる。

▼ただし、逆のルートで、日本に入ってきたとの説もある。ともかく日本人より、
朝鮮半島の人々の口にあったのは確かである。
もともと冬の保存食として白菜や大根を塩漬けしていたキムチは、現在のように
赤く染まるようになった。

▼韓国出身の評論家、呉善花(オ・ソンファ)さんは、石原慎太郎さんとの対談で、
日本人と韓国人の違いを、両国を代表する香辛料である
ワサビと唐辛子にたとえていた(『東京の窓から日本を2』)。

▼ワサビを食べた場合は、体内の血が心臓周辺に集まることにより、鎮静作用が
生まれる。
唐辛子を食べると、血の巡りがよくなり、血液は頭部に集まる。
「興奮しやすい韓国人と、落ち着きすぎている日本人を象徴的に表している」。

▼今日は「立冬」である。戦後最悪といわれる日韓関係もまた、冬の時代を
迎えている。
もちろん相手側の理不尽な言い分の数々に、落ち着いてばかりもいられない。
鍋物の薬味としても重宝する唐辛子は、冷えた体を温め、風邪の予防にも力を
発揮する。
大いに食して、厳しい冬を乗り越えたい。

〈唐辛子からき命をつなぎけり〉正岡子規。

2019年10月24日木曜日

10月23日 産経抄

もう、何年前か、私が幾つだったか記憶は定かでないが、先帝平成上皇陛下の結婚式の
祝賀パレードで陽光降り注ぐ中のパレードを鮮明に記憶してる。
今回も即位礼の始まるころ、雨はやみ皇居を包むように鮮明な虹がたったときくが、
天の叢雲の剣が恵みの雨をふらせ、天照大神が恵みの陽光を、そして富士山が、
初冠雪と万全の令和時代だ。  日本は、やはり何かに護られている。

10月23日 産経抄



天皇陛下が長年、「水」の問題に取り組んでこられたことはよく知られている。実は
「道」への興味が出発点だった。
英国留学の思い出をつづった『テムズとともに』のなかで明かされている。

▼外に出たくてもままならない幼少時代、よく赤坂御用地内を散策されていた。
ある日「奥州街道」と書かれた標識を見つけられ、かつて街道が御用地内を
通っていたと知る。
学習院大学文学部史学科では、中世の陸上交通を研究するはずだった。
瀬戸内海の水運へとテーマを移されたのは、史料の制約によるものだ。
英オックスフォード大学でまとめられた英語の論文は、
「交通路としてのテムズ川」だった。

▼陛下はやがて、日本の歴史に秘められた、人々と大雨や洪水との闘いに目を
向けられるようになる。
気候変動に伴って世界中で激化している水災害にも、警鐘を鳴らされてきた。
今回の台風19号についてはいち早く、皇后さまとともに、犠牲者や被災者に
「お見舞いと哀悼の気持ち」を発表されている。
祝賀パレードは11月に延期になった。

▼実は5世紀に、日本で最初の治水工事を行ったとされるのは仁徳天皇である。
自らには質素な生活を課しながら、常に民の竈(かまど)から煙が立っているか
気にかけていた。
古代の聖帝は、こんな逸話で知られる。
「日本書紀」には、淀川水系に堤防「茨田(まむたの)堤(つつみ)」を築いた、
との記述がある。

▼天皇陛下は昨日、即位を国内外に宣明された。
国民の幸せと世界の平和を常に願うとのお言葉で、強い決意を示された。
朝から降り続いていた雨は、「即位礼正殿の儀」の直前にはほぼやみ、雲の間から
青空さえのぞくようになった。

▼引き続き「水」の問題に立ち向かわれる陛下に、天が敬意を表したかのようである。

2019年10月22日火曜日

「国民の幸せと世界の平和を常に願う」





「国民の幸せと世界の平和を常に願う」 天皇陛下、即位を宣明される 
「即位礼正殿の儀」
2019.10.22 13:27ライフ皇室 天皇陛下即位礼

「即位礼正殿の儀」で、即位を宣明される天皇陛下=22日午後、
宮殿・松の間(AP=共同)

「即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿の儀」が22日、国事行為として
皇居・宮殿で執り行われ、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、
国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴と
してのつとめを果たすことを誓います」と宣明された。

儀式は午後1時過ぎ、約2千人の参列者が見守る中、宮殿「松の間」で始まった。
鉦(しょう)の合図で参列者が起立すると、陛下の側近である侍従らにより
玉座「高御座(たかみくら)」と隣の「御帳台(みちょうだい)」の帳が開かれた。
陛下は古式装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包まれ、
皇后さまは十二単(ひとえ)のお姿。参列者が鼓(こ)を合図に敬礼した後、陛下が
即位を宣明された。

陛下はこの中で、上皇さまの在位中のご活動にも触れながら
「国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、
国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と
述べられた。

儀式では、三種の神器のうち剣と璽(じ)=勾玉(まがたま)、
国の印章「国璽(こくじ)」、
天皇の印「御璽(ぎょじ)」が、高御座の「案(あん)」と呼ばれる台に安置された。宮殿内には賓客が両陛下のお姿を見られるようモニター30台が設置された。


「即位の礼」見守るソウル市民

天皇が即位を国内外に宣言する「即位礼正殿の儀」が22日、東京の皇居で行われた。ソウル駅のテレビで中継を見つめる市民たち=22日、ソウル(聯合ニュース)

2019年9月30日月曜日

産経抄 9月30日

私は、サッカーもラグビーもよくはしらない。
昔は野球も好きだったが、今は興味がない、どちらかといえばチーム競技よりも
個人競技、マラソン、柔道、剣道、が今は好きだ。
特に、世界剣道選手権は特に好きだ、日本ではラグビーよりもサッカーが人気が
あるのだろう。
両者を比べれば私はラグビー、試合方法もよくはわからぬが、確かボールをゴールに
運ぶとき、自分より前にいる味方にボールを渡してはいけないとか??
日本が勝ち、韓国で不買のビールの何倍ものビールがのまれたはずだ。

産経抄 9月30日

寒風吹きすさぶ秩父宮ラグビー場で一杯やったホットウイスキーこそ、ラグビーの
味だと思い込んでいたが、違った。
「ワールドカップ史上、最大の番狂わせ」と英BBCに言わしめた
アイルランド戦では、日本全国で何千万杯のビールが注がれ、何千万回の万歳が
こだましたことだろう。

▼「誰も日本が勝つことを信じていない。接戦になるとは思っていない。でも
信じられるのは自分たちだけだ」と日本代表を率いるジョセフ・ヘッドコーチは
試合前、「俳句風」英語で選手たちに檄(げき)を飛ばした。
国境を越え、桜のエンブレムのもとに集った「ワンチーム」の団結力に、ただただ
脱帽するしかない。

▼日本ラグビー界は冬の時代が、長く続いた。昔、抄子も母校の応援に駆り出され、
何回か出かけたが、人気の早慶、早明戦と違い、閑古鳥が鳴き続けていた。

▼お世辞にも便利とは言えない静岡スタジアムに5万人近い大観衆が
詰めかけようとは、夢にも思わなかった。その夢の実現は、一人の男の並外れた
突破力から始まった。

▼小欄でもとりあげた早大ラグビー部出身の奥克彦大使が外務省課長時代、ときの
森喜朗首相に招致を連日、働きかけたとき、関係者の大半は
「できるわけがない」と冷ややかだったという。
その奥大使がイラクで凶弾に倒れた後、元首相をはじめ多くの仲間が彼の遺志を
ついでボールを前へ前へとつないでいった。

▼日本でのワールドカップ開催こそ奇跡だったのである。
奥大使をはじめ、宿沢広朗、上田昭夫、平尾誠二といった伝説のラガーたちは既に
この世にない。
ギリシャの先人が喝破したように
「神々が愛する人は若くして死ぬ」のは本当かもしれない。
今宵(こよい)は、今はなき英雄たちに感謝しつつ、杯を上げたい。