2019年11月17日日曜日

昭和天皇史、第176回 真珠湾攻撃(2)

当時の日本、世界観、この戦争でも分かるように日本は味方のいない
戦争をしてはいけない。
日本は資源も何もない国、友好国・同盟国、そういう国が多ければ多いほどいい。
開戦初期はいい、だけど、広域な守備範囲が広がり・・・・・
そして、昭和天皇の苦悩がはじまる・・・

英戦艦も2隻撃沈 驚愕したチャーチル 「太平洋が日本の手に」
2019.11.17  ■第176回 真珠湾攻撃(2)

ハワイの米太平洋艦隊が奇襲を受け、壊滅的打撃を受けたとの急報がワシントンの
米海軍省に入ったのは、1941(昭和16)年12月7日午後1時50分
(日本時間8日午前3時50分)。
作戦部長らと会談中だった海軍長官、ノックスは絶句した。

「そんなバカなことがあるはずがない。
  これはフィリピンを意味してるにちがいない」

日米交渉の終盤、アメリカが日本に「最初の一弾」を撃たせようと画策していたことはすでに書いた。しかし、まさかハワイで、これほどの巨弾になろうとは、
誰も予想していなかったのだ(※1)。

 ホワイトハウスの様子はどうか-。

大統領のルーズベルトは側近の一人に、趣味で収集した自慢の切手アルバムを
見せていたところだった。だが、
ノックスから電話連絡を受けて「NO!」と叫び、黙り込んでしまった。

やがて顔を上げたルーズベルトは、意外にもさばさばした表情になり、
こうつぶやいたという。

 「自分に代って日本が決定を下した…」

すでに戦争を決意していたルーズベルトは当時、日本やドイツと戦うことについて、
どうやって国民を説得するか頭を痛めていた。
前年の大統領選で、
「自国の青少年を外国の戦争には送らない」と公約していたからだ。
もしも日本がシンガポールを攻撃した程度なら、世論は参戦を認めなかっただろう。
しかし、ハワイなら違う。

日本側の最後通告(宣戦布告)の手交が遅れたことも、ルーズベルトに幸いした。
日本政府は真珠湾攻撃の開始30分前に手交できるよう、前夜から通告文を
駐米大使館に打電していたが、駐米大使館の不手際で手交が攻撃開始後に
ずれ込んでしまったのだ。
アメリカ側はそれを奇貨とし、
「卑怯なだまし討ち」と喧伝(けんでん)して世論喚起に利用する(※2)。以後、
「リメンバー・パールハーバー」のスローガンが、アメリカ中を駆け巡った。

× × ×

英首相のチャーチルも、真珠湾攻撃にほくそ笑んだ一人だ。
ルーズベルトから電話で、
「日本は真珠湾を攻撃しました。いまやわれわれは同じ船に乗ったわけです」と
伝えられたチャーチルは、その時の気持ちをこう書き残している。

「合衆国をわれわれの味方にしたことは、私にとって最大の喜びであったと私が
公言しても、私が間違っていると考えるアメリカ人は一人もいないだろう」
「ヒトラーの運命は決まったのだ。ムッソリーニの運命も決まったのだ。
日本人についていうなら、彼らはこなごなに打ちくだかれるだろう」

ルーズベルトもチャーチルも、日本軍の実力を見くびっていたようだ。
チャーチルのほくそ笑みは、3日足らずで泣きっ面に変わる。

× × ×

日本の陸海軍は真珠湾攻撃の12月8日未明、南方の英植民地でも行動を開始し、
陸軍の第25軍がマレー半島に奇襲上陸した。
これを阻止しようとシンガポールから英東洋艦隊が出撃すると、仏印の飛行場から
海軍の第22航空戦隊が飛び立ち、10日午後、
英戦艦プリンス・オブ・ウェールズと英巡洋戦艦レパルスを撃沈。
開戦3日目にして早くも米太平洋艦隊と英東洋艦隊を撃破し、太平洋の制空、制海権を握った(※3)。

その報告を受けたあとの衝撃を、英首相のチャーチルが書き残している。

「私は一人なのがありがたかった。
すべての戦争を通じて、私はこれ以上直接的な衝撃を受けたことはなかった。(中略)寝台で寝返りを繰り返していると、この知らせの十分な恐ろしさが私に浸透してきた。カリフォルニアへの帰路を急いでいた真珠湾の残存艦を除いて、インド洋にも
太平洋にも英米の主力艦は一隻もいなくなったのだ。
この広大な海域にわたって日本が絶対の力を誇り、われわれは至るところで弱く、
裸になってしまったのである」--。
(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)



(※1) 真珠湾攻撃については、ルーズベルトはじめ米政府中枢が事前に
察知しながら、暗号解読の事実を秘匿するためハワイの司令官に伝えなかったとする
説がある。だが、
米側が解読できた日本の外交暗号のみでは、日本軍の作戦内容を察知するのは
不可能とみるのが通説である。
米側は当時、日本軍の先制攻撃を予測していたが、その目標はフィリピンなど
南方であるとみており、真珠湾攻撃は世界の軍事史でもまれな、
見事な奇襲成功だった

(※2) 日本側にとって対米開戦は自衛目的であり、国家の固有の権利である
先制的自衛権を認める立場からすれば、そもそも最後通告による宣戦布告は
必要ないとする説も有力である。
実際上の問題としても、アメリカ側は日本の最後通告を7日午前10時までに
全文解読し、それを読んだルーズベルトは
「これは戦争ということだ」と語っており、真珠湾攻撃前に開戦を把握していた。
アメリカ側は以後、日本の駐米大使館の不手際につけ込んで
「卑怯なだまし討ち」と喧伝するが、通告の遅れは、日本を断罪した東京裁判でも
大した問題にはならなかった

(※3) 作戦行動中の戦艦を航空機が撃沈したのは史上初めてで、世界に衝撃を
与えた。なお、
英国諜報部は日本軍機の実力をイタリア空軍と同水準(英軍の60%)と
過小評価しており、それが勝敗を分ける要因のひとつとなった



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