法治国家とは名ばかりの、それも事後法となれば立法の根底を無視した、
狂気国家に日本の批評などされるいわれはない。
一国を代表する新聞社が他国の国家元首、それも世界で唯一の皇帝を呼び捨てか!
こういう所がキチガイ、狂気の国と言われる所以だ。
今の自国を批評してみろ、沈没船の犠牲者は特別法を要求して断食スト、そのストを
糾弾するスト(むかい火ストというらしい)。日本は
デモをしても、竹やりを持ったりはしない、逆に警察がデモ隊をまもってくれる。
一人の日本人学者の論説を、鬼の首を取ったつもりの日本批評が出来るほどの国か!。
戦争責任を取らない日本の「無責任システム」を痛烈批判(1)
2014年07月28日13時34分 [中央日報日本語版]
今年で誕生100周年を迎えた日本の思想家、丸山真男教授。1996年に他界した
丸山氏は第2次世界大戦後の日本最高の知性に挙げられる。
第2次世界大戦で敗れた後、日本には2人の天皇がいたといわれる。
裕仁(1901-1989)と思想家の丸山真男(1914-1996)だ。当時、
東京大教授であった丸山氏は「学界の天皇」「丸山天皇」と呼ばれるほど、
戦後の日本社会で占める比重が大きかった。
今年は丸山氏の誕生100周年。日本では丸山氏を記念する学術行事が開かれている。ソウルの峨山政策研究院でも24日から2日間、韓国と日本の学者が出席して
国際学術会議が開かれた。テーマは「丸山真男と東アジア思想:近代性、民主主義、
そして儒教」。
今回の学術会議では丸山氏が研究した思想と哲学が集中的に議論された。
日本を代表する知識人だった丸山氏は、日本が近代化のために門戸を開放した時から、軍国主義と超国家主義を通じて第2次世界大戦を起こした過程を綿密に省察した。
特に丸山氏は日本が敗戦するしかなかった理由を冷静に分析した。
丸山氏は天皇を頂点とした「大アジア主義」が、日本が第2次世界大戦を起こした
名分だと指摘した。
大アジア主義とは、天皇が追求する正義を日本のほかのアジアと世界へ
伝播しなければならないという論理だ。
こうした概念が日本のナショナリズム・軍国主義とかみ合い、
韓国・中国・東南アジア国家に対する侵略を正当化させたということだ。
ソウルでの国際学術会議には丸山氏の弟子と呼ばれる渡辺浩東京大名誉教授を
はじめ、苅部直東京大教授、キム・ヨンジャク国民大名誉教授、
パク・ホンギュ高麗大教授など、両国から約20人の学者が参加した。
李洪九(イ・ホング)元首相は祝辞で、「韓日両国が現在と未来の歴史をどう
作っていくかに対する方向の設定を助けるため、
今回の学術会議が開かれた」と述べた。
東京大で丸山氏に師事した朴忠錫(パク・チュンソク)梨花女子大名誉教授も
出席した。朴教授は1962年に日本に留学し、72年に丸山氏を指導教授として
法学博士学位を取得した。朴教授に、
丸山氏の思想と最近の日本の右傾化による北東アジア情勢の変化について尋ねた。
--日本の学者の誕生100周年を記念する学術会議を韓国で開催するのは珍しい。
「それだけ日本の近現代史において丸山の研究業績が優れていることを示している。
丸山は日本の天皇制や軍国主義など第2次世界戦直後、知識人があえて触れなかった
部分を優れた洞察力で分析した学者だ。彼は敗戦後、誰も責任を取らない日本の
指導者と社会を痛烈に批判した。
戦争のため大勢の人々が死亡し、社会・経済的にも大きな被害があったからだ。
しかしどの知識人も天皇などの戦争責任者を非難しなかった。丸山は当時、
日本のこうした状況を『無責任の体系』と規定した。
『こういう文化を持つ国があり得るのか』と嘆いた。
こうした社会の雰囲気を正すため、丸山は『日本は天皇を求心点として軍国主義を
通じて望ましくない方向に進み、これによってアジア諸国を願わない状況に
陥らせた』と主張した」
--では、国家はどのように運営されるべきだと考えたのか。
「丸山は国家の方向が国民の自律意志に基づいて決定されるべきだという考えを
持っていた。
国民の判断と主体的思考を基礎に、時間がかかっても民主主義を実現させなければ
いけないということだ。これが丸山の『永久革命論』だ。
彼は徹底的に合理主義的な知識を基盤とする近代主義者だ。彼の哲学には、
他のアジアの国々の固有の民族主義を害する行為を日本がしてはいけないという
内容もある。敗戦後の日本の混乱した状況で、彼の主張は当時の日本社会で大きな
反響を起こした」
(中央SUNDAY第385号)
戦争責任を取らない日本の「無責任システム」を痛烈批判(2)
2014年07月28日13時34分 中央日報日本語版]
朴忠錫(パク・チュンソク)梨花女子大名誉教授
--日本の軍国主義が安倍政権で右傾化という名前で復活するようだが。
「予想されたことだ。安倍の政策を分析するためには、日本の文化と民族性を
まず理解しなければいけない。
安倍の政策は現実主義を基盤としている。丸山は日本人の世界観を
『勢い(floating world)』と規定した。
世の中の流れは空の雲が漂うのと似ているということだ。空の雲は風に吹かれて動く。状況によって世の中は常に変わるという意味だが、日本文化は勢いの文化といえる。
日本人はこうした状況主義に敏感だ。
安倍政権の動きも状況主義を基盤としている。16日に安倍が議会で
『在日米軍が韓半島(朝鮮半島)に出動するには(日米安保条約上)日本の了解を
得なければいけない』と発言したのもこれと軌を一にする。
中国の習近平国家主席の訪韓などで韓国と中国が密着し、歴史認識問題などで日本に
圧力を加える姿を見せると、これに対処したのだ。
良心的な日本の学者はこうした状況主義に対抗し、日本を民主的な規範文化の世界へ
引き込もうと努力している。しかし決して容易なことではない」
--日本の右傾化の雰囲気は安倍政権以前にもあったが。
「右傾化の一つの軸をなす人物が中曽根康弘だ。
彼は1982年から5年間、首相を務めた。彼は日本が経済大国に成長し、
国際社会での比重が高まると、日本の地位向上を図った。大国にふさわしい地位を
確立するということだ。
彼はこのため『戦後政治の総決算』を旗幟として掲げた。彼はこれを
『襟を正して国際社会に堂々と出ていこう』という言葉で表現した。
日米安保体制を基盤をした従来の経済大国路線から抜け出し、軍事力を含む
国際国家への成長を追求したのだ。
過去と現在の状況が大きく変わったため、これに合わせて行動するという意味だ。
安倍の右傾化発言も、敗戦後に水面下にあったこういう意識を可視化させたものだ。
彼は中曽根の哲学を忠実に実行している。結局、こういう日本の政治家の歩みは
丸山が主張した勢いと通じる」
--韓国と日本文化の差は。
「韓国は伝統的な儒教国家だ。儒教文化は道徳と規範を重視する。
状況に対して内面的・心情的に対処する傾向が濃厚だ。しかし
日本の規範は時代の状況によっていくらでも変わる可能性がある。
徹底的に現実主義的ということだ。
日本の伝統は、危機が迫ればこれを克服するため、
いくつかの案を設定して推進する。A案がだめならBとCを出すなど、徹底的に
計算的だ。こうした現実主義的な文化が日本の政治・経済・社会の発展を率いた。
日本は儒教文化圏の境界にあった島国だった。
地理的な条件により、大陸を警戒しながら、独自の文化と経済を発展させたのだ」
(中央SUNDAY第385号)
狂気国家に日本の批評などされるいわれはない。
一国を代表する新聞社が他国の国家元首、それも世界で唯一の皇帝を呼び捨てか!
こういう所がキチガイ、狂気の国と言われる所以だ。
今の自国を批評してみろ、沈没船の犠牲者は特別法を要求して断食スト、そのストを
糾弾するスト(むかい火ストというらしい)。日本は
デモをしても、竹やりを持ったりはしない、逆に警察がデモ隊をまもってくれる。
一人の日本人学者の論説を、鬼の首を取ったつもりの日本批評が出来るほどの国か!。
戦争責任を取らない日本の「無責任システム」を痛烈批判(1)
2014年07月28日13時34分 [中央日報日本語版]
今年で誕生100周年を迎えた日本の思想家、丸山真男教授。1996年に他界した
丸山氏は第2次世界大戦後の日本最高の知性に挙げられる。
第2次世界大戦で敗れた後、日本には2人の天皇がいたといわれる。
裕仁(1901-1989)と思想家の丸山真男(1914-1996)だ。当時、
東京大教授であった丸山氏は「学界の天皇」「丸山天皇」と呼ばれるほど、
戦後の日本社会で占める比重が大きかった。
今年は丸山氏の誕生100周年。日本では丸山氏を記念する学術行事が開かれている。ソウルの峨山政策研究院でも24日から2日間、韓国と日本の学者が出席して
国際学術会議が開かれた。テーマは「丸山真男と東アジア思想:近代性、民主主義、
そして儒教」。
今回の学術会議では丸山氏が研究した思想と哲学が集中的に議論された。
日本を代表する知識人だった丸山氏は、日本が近代化のために門戸を開放した時から、軍国主義と超国家主義を通じて第2次世界大戦を起こした過程を綿密に省察した。
特に丸山氏は日本が敗戦するしかなかった理由を冷静に分析した。
丸山氏は天皇を頂点とした「大アジア主義」が、日本が第2次世界大戦を起こした
名分だと指摘した。
大アジア主義とは、天皇が追求する正義を日本のほかのアジアと世界へ
伝播しなければならないという論理だ。
こうした概念が日本のナショナリズム・軍国主義とかみ合い、
韓国・中国・東南アジア国家に対する侵略を正当化させたということだ。
ソウルでの国際学術会議には丸山氏の弟子と呼ばれる渡辺浩東京大名誉教授を
はじめ、苅部直東京大教授、キム・ヨンジャク国民大名誉教授、
パク・ホンギュ高麗大教授など、両国から約20人の学者が参加した。
李洪九(イ・ホング)元首相は祝辞で、「韓日両国が現在と未来の歴史をどう
作っていくかに対する方向の設定を助けるため、
今回の学術会議が開かれた」と述べた。
東京大で丸山氏に師事した朴忠錫(パク・チュンソク)梨花女子大名誉教授も
出席した。朴教授は1962年に日本に留学し、72年に丸山氏を指導教授として
法学博士学位を取得した。朴教授に、
丸山氏の思想と最近の日本の右傾化による北東アジア情勢の変化について尋ねた。
--日本の学者の誕生100周年を記念する学術会議を韓国で開催するのは珍しい。
「それだけ日本の近現代史において丸山の研究業績が優れていることを示している。
丸山は日本の天皇制や軍国主義など第2次世界戦直後、知識人があえて触れなかった
部分を優れた洞察力で分析した学者だ。彼は敗戦後、誰も責任を取らない日本の
指導者と社会を痛烈に批判した。
戦争のため大勢の人々が死亡し、社会・経済的にも大きな被害があったからだ。
しかしどの知識人も天皇などの戦争責任者を非難しなかった。丸山は当時、
日本のこうした状況を『無責任の体系』と規定した。
『こういう文化を持つ国があり得るのか』と嘆いた。
こうした社会の雰囲気を正すため、丸山は『日本は天皇を求心点として軍国主義を
通じて望ましくない方向に進み、これによってアジア諸国を願わない状況に
陥らせた』と主張した」
--では、国家はどのように運営されるべきだと考えたのか。
「丸山は国家の方向が国民の自律意志に基づいて決定されるべきだという考えを
持っていた。
国民の判断と主体的思考を基礎に、時間がかかっても民主主義を実現させなければ
いけないということだ。これが丸山の『永久革命論』だ。
彼は徹底的に合理主義的な知識を基盤とする近代主義者だ。彼の哲学には、
他のアジアの国々の固有の民族主義を害する行為を日本がしてはいけないという
内容もある。敗戦後の日本の混乱した状況で、彼の主張は当時の日本社会で大きな
反響を起こした」
(中央SUNDAY第385号)
戦争責任を取らない日本の「無責任システム」を痛烈批判(2)
2014年07月28日13時34分 中央日報日本語版]
朴忠錫(パク・チュンソク)梨花女子大名誉教授
--日本の軍国主義が安倍政権で右傾化という名前で復活するようだが。
「予想されたことだ。安倍の政策を分析するためには、日本の文化と民族性を
まず理解しなければいけない。
安倍の政策は現実主義を基盤としている。丸山は日本人の世界観を
『勢い(floating world)』と規定した。
世の中の流れは空の雲が漂うのと似ているということだ。空の雲は風に吹かれて動く。状況によって世の中は常に変わるという意味だが、日本文化は勢いの文化といえる。
日本人はこうした状況主義に敏感だ。
安倍政権の動きも状況主義を基盤としている。16日に安倍が議会で
『在日米軍が韓半島(朝鮮半島)に出動するには(日米安保条約上)日本の了解を
得なければいけない』と発言したのもこれと軌を一にする。
中国の習近平国家主席の訪韓などで韓国と中国が密着し、歴史認識問題などで日本に
圧力を加える姿を見せると、これに対処したのだ。
良心的な日本の学者はこうした状況主義に対抗し、日本を民主的な規範文化の世界へ
引き込もうと努力している。しかし決して容易なことではない」
--日本の右傾化の雰囲気は安倍政権以前にもあったが。
「右傾化の一つの軸をなす人物が中曽根康弘だ。
彼は1982年から5年間、首相を務めた。彼は日本が経済大国に成長し、
国際社会での比重が高まると、日本の地位向上を図った。大国にふさわしい地位を
確立するということだ。
彼はこのため『戦後政治の総決算』を旗幟として掲げた。彼はこれを
『襟を正して国際社会に堂々と出ていこう』という言葉で表現した。
日米安保体制を基盤をした従来の経済大国路線から抜け出し、軍事力を含む
国際国家への成長を追求したのだ。
過去と現在の状況が大きく変わったため、これに合わせて行動するという意味だ。
安倍の右傾化発言も、敗戦後に水面下にあったこういう意識を可視化させたものだ。
彼は中曽根の哲学を忠実に実行している。結局、こういう日本の政治家の歩みは
丸山が主張した勢いと通じる」
--韓国と日本文化の差は。
「韓国は伝統的な儒教国家だ。儒教文化は道徳と規範を重視する。
状況に対して内面的・心情的に対処する傾向が濃厚だ。しかし
日本の規範は時代の状況によっていくらでも変わる可能性がある。
徹底的に現実主義的ということだ。
日本の伝統は、危機が迫ればこれを克服するため、
いくつかの案を設定して推進する。A案がだめならBとCを出すなど、徹底的に
計算的だ。こうした現実主義的な文化が日本の政治・経済・社会の発展を率いた。
日本は儒教文化圏の境界にあった島国だった。
地理的な条件により、大陸を警戒しながら、独自の文化と経済を発展させたのだ」
(中央SUNDAY第385号)
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