2014年7月20日日曜日

韓国、インスタントラーメン創業者、死す

すべては、1945年以降の韓国政府の国民教育の問題だ、反日教育でなく国力を
あげるために国民の基礎教育だったならば今の韓国ではなかったろう。
哀しい国は千年たとうが哀しい国でしかありえない。

「韓国の一つの終わり」実感
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先日、韓国でインスタントラーメンの草分けだった「三養(サムヤン)食品」の
創業者、全仲潤(チョン・ジュンユン)名誉会長が亡くなった。94歳だった。
インスタントラーメンは1958年に日本で開発され、その後、世界に広がった。
現在、世界で最大の生産国は中国だが1人当たりの消費量では韓国が世界一である。

その韓国で1960年代に初めて製造販売を手がけたのが、全仲潤氏だった。
世界インスタントラーメン史の初期に、彼がどのようにしてそれを始めたのか、
その歴史は何回、思い出しても感動的である。

彼は、日本で1959年に食べたインスタントラーメンのことが忘れられず、
まだ貧しく食糧難だった韓国の国民に
「何とかあれを食べさせられないものか」と一念発起し、日本からの導入を決意する。国交正常化2年前の1963年、
「国民の窮乏を救いたい」という彼の志にいたく共感し協力を約束してくれたのが
「明星食品」の当時の奥井清澄社長だった。

技術提供は無償(!)。全仲潤氏は明星食品の工場に10日間、通い詰めて
製造技術を学び、最大の難問だった原料配合表(レシピ)も提供された。
帰国後、明星食品から技術者が1カ月間、派遣された。
製造機械の半額提供以外はみんな無料だった。

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こうして翌1964年、初めての製品が出荷され、これが“ラーメン王国・韓国”の
スタートとなった。

全仲潤氏の死去に際しては韓国のマスコミも「庶民の飢えを解決した
“ラーミョンのゴッドファーザー”」(東亜日報)などと大きく報道していたが、
肝心の明星食品との“美談”に触れたものはなかった。

生前、彼に長時間インタビューしたことのある林廣茂・前同志社大教授によると、
彼は青年時代だった日本の戦時中、ソウル(当時は京城)で逓信省の仕事をしていて、同僚の日本人たちが
「この戦争は日本の負けだ。そのうち朝鮮は解放されるからもう少し辛抱しろ」と
いっていたと、心優しい日本人の思い出を語ってくれたという。

また日韓併合など過去の歴史については
「不幸の始まりだったが、ロシアや中国の支配下に入らなかったことは不幸中の
幸いだった」というのが持論だったという。

戦後の日韓交流史にはビジネスをはじめ多くの分野でこうした美談があるのだが、
韓国ではなぜか表向き語られず、記録されない。
マスコミが伝える“美談”というと、歴史問題や領土問題などで韓国の立場を
支持し、日本を批判する日本人との協力話ばかりだ。

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ところで先日、ソウルのロッテホテルが予定されていた日本政府の公式外交行事で
ある「自衛隊創設記念日レセプション」への会場提供を拒否した。
韓国マスコミの非難報道におじけづいたためだが、ロッテホテルは在日韓国人資本で
日本系として日本人に人気があり、
いわば日本の政財界の“御用達ホテル”でもあった。

そのロッテホテルが日本との義理を無視したのだ。全仲潤氏の死、さらには
「日本より中国」の外交もそうだが、このところ
「韓国の一つの終わり」を感じさせられることが多い。
(ソウル駐在客員論説委員・黒田勝弘)

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