朝鮮日報が面白い記事を載せているので紹介、映画のなかで朝鮮水軍が船に
大砲をのせているなんて、まずこれが大嘘、当時朝鮮には武術、刀法術はなかった
この映画の最後はどういう結末か知らないが、
まあ、槍、弓矢、棍棒、新石器時代じゃないんだ、水磨石(研ぎだした石材)
なんなんだよこれは・・・!? 笑、笑・・
このあと、30年ぐらいたっての満州女眞族の ”ヌルハチ”にたったの45日で
半島を制圧され明国侵略の先鋒に使われた。
朝鮮半島は有史以前からシナ王朝に従属、哀しい歴史のはじまりだ。
朝鮮水軍は日本の水軍と斬り合いをしたのか?
大ヒット映画『鳴梁』日本との戦闘シーン、どこまで正確か、やりや、こん棒で
なぎ払ったという記録はあるが、剣術では日本側が上「白兵戦」はなかった
船をぶつけて敵艦を沈める場面…木造船では困難
朝鮮水軍は日本の水軍と斬り合いをしたのか?
「船で船を壊す戦術があったのか」
「李舜臣(イ・スンシン)も剣術がうまかったのか」
7月30日の封切りからわずか8日で、観客動員数700万人を突破した映画『鳴梁』。
この映画を見た観客たちの頭には、次々と疑問が湧き起こっているようだ。
『鳴梁』は壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)で朝鮮水軍を率いて
活躍した朝鮮王朝時代の名将、李舜臣(イ・スンシン)を扱った史劇だ。
史劇とは、歴史記録にクリエーターの創造力を加味したジャンル。
ノ・スンソク汝諧(じょかい)古典研究所長(元順天郷大李舜臣研究所教授)は
「どちらかというと、『乱中日記』に忠実な映画を作っている。
ほかの史劇映画に比べ、考証をきっちりやっているようだ」と語った。
例えば、李舜臣と息子の李薈(イ・フェ)が杯を傾ける場面。
『乱中日記』にも「苦しい胸の内を分かってくれるのは李薈」という記述がある。
それでも、この映画の考証をめぐる疑問は絶えない。
「有名税」だからなのか。映画『鳴梁』を見た人たちが疑問を抱くと思われる点に
迫ってみた。
(1)朝鮮水軍は日本の水軍と斬り合いをしたのか?
映画では、戦闘の真っ最中に、李舜臣が「白兵戦(刀や剣などで戦うこと)の
準備をしろ」と命じる。その後、日本の水軍が大将船に乗り込み、
朝鮮水軍の兵士と斬り合いを繰り広げる。
海軍士官学校のイ・ミンウン教授(『壬辰倭乱海戦史』の著者)は
「白兵戦はなかったはず」と語った。当時、
剣術は一般的に日本の方が朝鮮・明より優れていたため、李舜臣は白兵戦を
やらなかったというわけだ。
映画ではイ・スンジュンが演じた巨済県令・安衛(アン・ウィ)の船に、
日本の水軍が乗り込もうとしたとき、船内の水軍兵士がやりで押し返し、
必死に阻止したという記録はある。
『乱中日記』には「敵将の船と他の敵船2隻が安衛の船に近づき、先を争って
乗り込んだ。安衛と船上の人々は、それぞれ死力を尽くして
(各尽死力)こん棒を取り、あるいはやりを握り、あるいは水磨石(研ぎだした石材)で慌ただしく
打ち払った」と記されている。
(2)「沖破」で日本の軍船を粉砕したのか?
観客が痛快なシーンの一つに挙げているのが、この
「沖破(船をぶつけて敵艦を破壊すること)」の場面。
朝鮮の板屋船が日本の軍船に、上から突き刺すようにしてぶつかり、粉砕する。
イ・ミンウン教授は「沖破ではなく、撞破(どうは)というのが正しい。しかし、
そういう形の撞破戦術は使われなかっただろう」と語った。
「板屋船と倭船はどちらも木造だったので、ぶつかったらどちらも壊れたはず」と
いうのがその理由だ。
卞熙媛(ピョン・ヒウォン)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
大砲をのせているなんて、まずこれが大嘘、当時朝鮮には武術、刀法術はなかった
この映画の最後はどういう結末か知らないが、
まあ、槍、弓矢、棍棒、新石器時代じゃないんだ、水磨石(研ぎだした石材)
なんなんだよこれは・・・!? 笑、笑・・
このあと、30年ぐらいたっての満州女眞族の ”ヌルハチ”にたったの45日で
半島を制圧され明国侵略の先鋒に使われた。
朝鮮半島は有史以前からシナ王朝に従属、哀しい歴史のはじまりだ。
朝鮮水軍は日本の水軍と斬り合いをしたのか?
大ヒット映画『鳴梁』日本との戦闘シーン、どこまで正確か、やりや、こん棒で
なぎ払ったという記録はあるが、剣術では日本側が上「白兵戦」はなかった
船をぶつけて敵艦を沈める場面…木造船では困難
朝鮮水軍は日本の水軍と斬り合いをしたのか?
「船で船を壊す戦術があったのか」
「李舜臣(イ・スンシン)も剣術がうまかったのか」
7月30日の封切りからわずか8日で、観客動員数700万人を突破した映画『鳴梁』。
この映画を見た観客たちの頭には、次々と疑問が湧き起こっているようだ。
『鳴梁』は壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)で朝鮮水軍を率いて
活躍した朝鮮王朝時代の名将、李舜臣(イ・スンシン)を扱った史劇だ。
史劇とは、歴史記録にクリエーターの創造力を加味したジャンル。
ノ・スンソク汝諧(じょかい)古典研究所長(元順天郷大李舜臣研究所教授)は
「どちらかというと、『乱中日記』に忠実な映画を作っている。
ほかの史劇映画に比べ、考証をきっちりやっているようだ」と語った。
例えば、李舜臣と息子の李薈(イ・フェ)が杯を傾ける場面。
『乱中日記』にも「苦しい胸の内を分かってくれるのは李薈」という記述がある。
それでも、この映画の考証をめぐる疑問は絶えない。
「有名税」だからなのか。映画『鳴梁』を見た人たちが疑問を抱くと思われる点に
迫ってみた。
(1)朝鮮水軍は日本の水軍と斬り合いをしたのか?
映画では、戦闘の真っ最中に、李舜臣が「白兵戦(刀や剣などで戦うこと)の
準備をしろ」と命じる。その後、日本の水軍が大将船に乗り込み、
朝鮮水軍の兵士と斬り合いを繰り広げる。
海軍士官学校のイ・ミンウン教授(『壬辰倭乱海戦史』の著者)は
「白兵戦はなかったはず」と語った。当時、
剣術は一般的に日本の方が朝鮮・明より優れていたため、李舜臣は白兵戦を
やらなかったというわけだ。
映画ではイ・スンジュンが演じた巨済県令・安衛(アン・ウィ)の船に、
日本の水軍が乗り込もうとしたとき、船内の水軍兵士がやりで押し返し、
必死に阻止したという記録はある。
『乱中日記』には「敵将の船と他の敵船2隻が安衛の船に近づき、先を争って
乗り込んだ。安衛と船上の人々は、それぞれ死力を尽くして
(各尽死力)こん棒を取り、あるいはやりを握り、あるいは水磨石(研ぎだした石材)で慌ただしく
打ち払った」と記されている。
(2)「沖破」で日本の軍船を粉砕したのか?
観客が痛快なシーンの一つに挙げているのが、この
「沖破(船をぶつけて敵艦を破壊すること)」の場面。
朝鮮の板屋船が日本の軍船に、上から突き刺すようにしてぶつかり、粉砕する。
イ・ミンウン教授は「沖破ではなく、撞破(どうは)というのが正しい。しかし、
そういう形の撞破戦術は使われなかっただろう」と語った。
「板屋船と倭船はどちらも木造だったので、ぶつかったらどちらも壊れたはず」と
いうのがその理由だ。
卞熙媛(ピョン・ヒウォン)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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