己が身をつつむ衣がほころびているのは他の指摘でわかるもの、沈没船が韓国
社会に試練を与えたのかも・・・
民主主義を勘違いしているんだよな・・韓国社会は
【コラム】韓国政治のマヒ、お手上げなのか(1)
2014年09月22日11時13分 [中央日報/中央日報日本語版]
この5カ月間、韓国議会の民主主義はマヒ状態に陥っていた。いわゆる
87年体制の効用性が次第に限界に達しているという憂慮が深まると、ついには
セウォル号惨事の余波が韓国政治を民主政治の破綻の危機に追い込んでいる。
全国をさらった民主化の興奮の中でスタートした87年体制が、どうして年を
繰り返すほどに光と効能が失われることになったのか、冷静に振り返って
みなければならない時だ。特に、
このように深刻な事態にもかかわらずこれに対する解決策や治癒策を模索する
積極的な動きが見られないのは、実に奇異な現象に違いない。
独裁政権や権威主義体制を崩壊させた民主化の成功が、自動的に民主政治制度の
定着と安定的な運営を保障できないということは、すでに政治発展論では
常識化されて久しい。北アフリカと中東で花が咲いたアラブの春が、
どれほど空しく終わった短い夢であったかを見なかっただろうか。
ゆえに政治参加と言論の自由が保障されて公正選挙が常識化され、何よりも軍の
政治介入の可能性が基本的に消えた韓国の民主化は、ひとまず成功事例で
あることは間違いない。しかし87年韓国民主化の成功は、
国民の自由投票で当選した大統領が法と制度によって国家を運営するという
外形的変化に焦点が合わせたのに比べ、
「多数による統治、少数の権利保障」という代議民主主義の原則を後押しできる
市民政治文化を担保するには、極めて粗雑にしていたというのが事実だ。
議会が中心となる代議民主主義の運営は、冗長な討論と数多くの妥協および折衝の
長い過程を経るほかはないので、これに耐えうる国民の忍耐心を必要としている。
しかし能率とスピードに重点を置く、特にどちらかの確実な決断を好む韓国的な
政治文化では、議会民主主義のわずらわしい手続きが非能率的であり非生産的だと
いう批判的見解にぶつかることが常だった。
そのたびに強力な指導者の快刀乱麻式の国事処理に対する期待、場合によっては
独裁に対する郷愁さえも高まる可能性があった。また
一方では議会政治のうっとうしい手続きにしばられるよりは、街に出て物理的な
行動で政治の行方を決定するという衝動が習慣化してきたのも事実だ。
【コラム】韓国政治のマヒ、お手上げなのか(2)
このように民主主義の大原則である「多数による統治と、少数の権利保障」に対する国民的確信が未熟な状況で、87年体制が比較的無難に最初の15年を
運営できたのは恐らく当時の韓国政治を導いた盧泰愚(ノ・テウ)、
金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、
金鍾泌(キム・ジョンピル)ら4人の指導者が多数と少数の関係に対する
バランスの取れた認識を持っていたために可能だったと回顧される。
彼らは例外なく本人が大多数の国民の支持を受けていることができないという
事実を自認して、執権のためには、さらに執権後の国政運営のためには多数の
支持を確保するための妥協と連合が必要だという政治の基本原則を確かに
理解していた現実主義の政治家たちだったために民主化時代の初期の安定を
担保するのに大きく寄与したと言える。
2002年の大統領選挙後から韓国政治では安定よりも不安定の力学が次第に
議会民主主義の基本を揺さぶる病理的現象が深まることになった。
国民が直接選挙で選んだ大統領や国会、特に「多数による統治」という原則を
軽く無視する風潮が日常化されたためだ。選挙結果で出てきた劣勢を強い所信と
組織力で穴埋めできるという危険な発想がよどみなく流行してきた。
その結果として多数党ながらも自信や責任を感じられない一方、少数党はむしろ
全国民を代表しているかのように幻想に染まった民主政治の奇形化を
持ち込んでしまったのだ。
結局、今日の韓国政治が直面している問題は憲法的レベルでの危機であり、
単純な試行錯誤の結果ということはできない。87年体制も簡単な
リフォームよりは再建築レベルの大きな改革を必要としている。
ところで、どうして本格的な構造調整の議論は誰も始めないまま
躊躇するばかりなのか。
これまでの改憲議論がまともに展開できないのは、
歴代の青瓦台(チョンワデ、大統領府)と野党の優柔不断のためだった。
青瓦台は政治議論の中心が汝矣島(ヨイド)に向かうことを願わないと同時に、
40年前に試みられた「政治の非政治化と行政の政治化」への未練が
残っているかもしれない。
一方、野党の立場としては改憲を含めた民主政治の構造調整の議論は、
与野党と各界の立場を調整する幅広い協議が必須なのに、このために
闘争第一主義をしずめることができるのかと思う疑問にぶつかることになる。
韓国政治の行方を左右する歴史的な選択に青瓦台と野党の賢い決断を国民と共に
待ってみたい。
李洪九(イ・ホング)元首相・中央日報顧問
社会に試練を与えたのかも・・・
民主主義を勘違いしているんだよな・・韓国社会は
【コラム】韓国政治のマヒ、お手上げなのか(1)
2014年09月22日11時13分 [中央日報/中央日報日本語版]
この5カ月間、韓国議会の民主主義はマヒ状態に陥っていた。いわゆる
87年体制の効用性が次第に限界に達しているという憂慮が深まると、ついには
セウォル号惨事の余波が韓国政治を民主政治の破綻の危機に追い込んでいる。
全国をさらった民主化の興奮の中でスタートした87年体制が、どうして年を
繰り返すほどに光と効能が失われることになったのか、冷静に振り返って
みなければならない時だ。特に、
このように深刻な事態にもかかわらずこれに対する解決策や治癒策を模索する
積極的な動きが見られないのは、実に奇異な現象に違いない。
独裁政権や権威主義体制を崩壊させた民主化の成功が、自動的に民主政治制度の
定着と安定的な運営を保障できないということは、すでに政治発展論では
常識化されて久しい。北アフリカと中東で花が咲いたアラブの春が、
どれほど空しく終わった短い夢であったかを見なかっただろうか。
ゆえに政治参加と言論の自由が保障されて公正選挙が常識化され、何よりも軍の
政治介入の可能性が基本的に消えた韓国の民主化は、ひとまず成功事例で
あることは間違いない。しかし87年韓国民主化の成功は、
国民の自由投票で当選した大統領が法と制度によって国家を運営するという
外形的変化に焦点が合わせたのに比べ、
「多数による統治、少数の権利保障」という代議民主主義の原則を後押しできる
市民政治文化を担保するには、極めて粗雑にしていたというのが事実だ。
議会が中心となる代議民主主義の運営は、冗長な討論と数多くの妥協および折衝の
長い過程を経るほかはないので、これに耐えうる国民の忍耐心を必要としている。
しかし能率とスピードに重点を置く、特にどちらかの確実な決断を好む韓国的な
政治文化では、議会民主主義のわずらわしい手続きが非能率的であり非生産的だと
いう批判的見解にぶつかることが常だった。
そのたびに強力な指導者の快刀乱麻式の国事処理に対する期待、場合によっては
独裁に対する郷愁さえも高まる可能性があった。また
一方では議会政治のうっとうしい手続きにしばられるよりは、街に出て物理的な
行動で政治の行方を決定するという衝動が習慣化してきたのも事実だ。
【コラム】韓国政治のマヒ、お手上げなのか(2)
このように民主主義の大原則である「多数による統治と、少数の権利保障」に対する国民的確信が未熟な状況で、87年体制が比較的無難に最初の15年を
運営できたのは恐らく当時の韓国政治を導いた盧泰愚(ノ・テウ)、
金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、
金鍾泌(キム・ジョンピル)ら4人の指導者が多数と少数の関係に対する
バランスの取れた認識を持っていたために可能だったと回顧される。
彼らは例外なく本人が大多数の国民の支持を受けていることができないという
事実を自認して、執権のためには、さらに執権後の国政運営のためには多数の
支持を確保するための妥協と連合が必要だという政治の基本原則を確かに
理解していた現実主義の政治家たちだったために民主化時代の初期の安定を
担保するのに大きく寄与したと言える。
2002年の大統領選挙後から韓国政治では安定よりも不安定の力学が次第に
議会民主主義の基本を揺さぶる病理的現象が深まることになった。
国民が直接選挙で選んだ大統領や国会、特に「多数による統治」という原則を
軽く無視する風潮が日常化されたためだ。選挙結果で出てきた劣勢を強い所信と
組織力で穴埋めできるという危険な発想がよどみなく流行してきた。
その結果として多数党ながらも自信や責任を感じられない一方、少数党はむしろ
全国民を代表しているかのように幻想に染まった民主政治の奇形化を
持ち込んでしまったのだ。
結局、今日の韓国政治が直面している問題は憲法的レベルでの危機であり、
単純な試行錯誤の結果ということはできない。87年体制も簡単な
リフォームよりは再建築レベルの大きな改革を必要としている。
ところで、どうして本格的な構造調整の議論は誰も始めないまま
躊躇するばかりなのか。
これまでの改憲議論がまともに展開できないのは、
歴代の青瓦台(チョンワデ、大統領府)と野党の優柔不断のためだった。
青瓦台は政治議論の中心が汝矣島(ヨイド)に向かうことを願わないと同時に、
40年前に試みられた「政治の非政治化と行政の政治化」への未練が
残っているかもしれない。
一方、野党の立場としては改憲を含めた民主政治の構造調整の議論は、
与野党と各界の立場を調整する幅広い協議が必須なのに、このために
闘争第一主義をしずめることができるのかと思う疑問にぶつかることになる。
韓国政治の行方を左右する歴史的な選択に青瓦台と野党の賢い決断を国民と共に
待ってみたい。
李洪九(イ・ホング)元首相・中央日報顧問
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