2014年10月22日水曜日

幻想、南北統一

日韓の間で経済がそれほど縮っているのですか、欧州、世界の経済がちよっと
揺れれば、大地震のごとく破壊される経済で何を言うか。
近づくことが難しければ近づくな、分かれることが出来なければそのままでいろ。
日本に絡むな、絡んでくるんじゃないよ。
平和的南北統一など不可能ということがわからないのか。

韓国「65年体制」、変化が必要…
対等な関係で日本から統一協力を引き出すべき(1) 2014年10月21日12時11分
[中央SUNDAY/中央日報日本語版]

趙世暎(チョ・セヨン)教授   高市早苗総務相ら日本の安倍晋三内閣のうちの
閣僚3人が18日、太平洋戦争A級戦犯が合祀されている靖国神社を電撃参拝した。8日、安倍首相が参議院予算委員会で
「(韓国との)首脳会談ができれば良い」としてラブコールを送ってから
10日後だ。
色目と妄動を繰り返す日本のジグザグ外交によって8・15以後せっかく前向きな
対日ジェスチャーを取ってきた政府は再び苦しい立場に置かれた。

どうにも近づくことは難しいが別れることもできない対日関係を、いかに
解決していくべきか。外交部で北東アジア局長をつとめた日本専門家の
趙世暎(チョ・セヨン)東西(トンソ)大学特任教授が、そうした疑問に
答える本を出した。
『韓日関係50年、対立と協力の足跡』という題名で見るように、著者は両国が
長期間に明と暗を共に背負っていくしかない、とても特異な関係だと規定している。過去の歴史のような暗を短期間に解決する道はないので、安保・経済のような
光を追求するものの暗(過去の歴史)に対する問題提起をしつこく継続する
「分離対応」が必要だという提言だ。

朴槿恵(パク・クネ)政権が今年の下半期に入って対日柔和路線に転換したのは、
南北対話の進展を念頭に置いたものだという観測が多い。
執権3年目であり分断70周年である来年に南北首脳会談のような顕著な成果を
望む政府としては、南北密着に対する米国の憂慮をしずめるためにも対日関係を
改善しておく必要が大きいという分析だ。与党の高位関係者も
「南北対話の日程を勘案すれば、年末中に韓日首脳会談が自治現しなければ
ならないというのが政府の判断」と伝えた。

だが中国の台頭に対応して米国と手を組み、右傾化を加速化している日本に対して
政権レベルの工学的計算で対応するのは明らかな限界があるというのが趙教授の
指摘だ。代わりに来年50周年を迎える「65年体制」を両国の変化した国力と
周辺情勢に合うよう改編して、統一に備えた韓日協力を構造化することが急務だと
彼は強調する。変化した現実を冷遇して冷戦時期に構築された韓日関係の枠組みに
固執すれば、両国は大きな危機を迎える可能性があるということだ。

  --対日外交を担当した専門家の立場から韓日修交50年史を記した。
      その核心は何か。

「韓日国交が正常化した『65年体制』は、日帝植民35年間より15年も長い。
この体制を支えてきた2本の柱が経済と安保だ。
1965年当時に最貧国だった韓国は、大統領が海外から1000万ドルを集めて
きたことがニュースになるほどだった。それだけ外資が切実だった。
こんな韓国にお金を貸す国は、すでに先進国の隊列に上っていた日本だけだった。
結局、65年修交を通じて日本から確保した5億ドル(有償2億、無償3億)に
よって韓国は経済成長の種子を作った。
これが65年体制の核心である経済の柱だ。
2番目は安保の柱だが、65年はベトナム戦争が本格化した冷戦の絶頂期だ。
反共陣営の結束が重要だった。ところが
日本は安保を米国に任せて経済にオールインした。
国防費が国民総生産(GNP)の1%にもならなかった。それで韓国は
『日本が安保により多くの寄与をすべきだ』として韓国を支援するよう主張した。
今とは正反対の状況であるわけだ」

  --日本はどのように出てきたか。

「韓国の要求を適当に聞き入れるふりをしながら北朝鮮とも対話する等距離外交を
行った。
代表的なのが74年の在日同胞・文世光(ムン・セグァン)の
陸英修(ユク・ヨンス)女史狙撃事件だ。文世光は朝鮮総連と関わっていた
人物で、日本の派出所から盗んだ拳銃を犯行に使った。
日本は当初は責任を否認し、韓国が強く反発すると『道義的責任を感じる』と
転換し、その後韓国を支援するに至る。
日本の右派が韓国を助けるべきだと主張したからだ。このように反共によって
韓日が結びつきながら65年体制は反共連帯に基づく安保の柱で維持されてきた」
(中央SUNDAY第397号)

--今、2本柱の状態はどうなのか。

「まず、韓日間の国力の差が狭まり経済の柱が大きく弱まった。
韓国は80年代までは日本に経済協力資金として40億ドルを要求したほど
外資事情が良くなかったが、86~88年の『檀君以来の最大好況』を
たどりながら90年代からは日本に手を差し出す理由がなくなった。
安保の柱も変質した。
中国が韓国と密接になりながら米国・日本との軍事協力にアレルギーを
見せるようになった。65年体制が岐路に立ったのだ。
65年体制が韓日関係のバージョン1.0ならば、バージョン2.0が必要な時だ」

  --バージョン2.0はどのようなものでなければならないか。

「安保は冷戦時期の韓米日の協力枠組みに固執していては韓日、韓米関係を
害することになる。日本とより対等な協力構図を作らなければならない。
経済も、両国企業が対等に協力する関係に変えなければならず、
韓日自由貿易協定(FTA)を推進しなければならない。
ここに統一をもう1本の柱に追加しなければならない。
統一に関して日本の協力をどのように確保するかがカギだ。
このようにバージョン2.0が確保されれば韓日関係は再び緊密になるだろう」

  --2012年に李明博(イ・ミョンバク)政権が推進して撤回した
韓日軍事情報保護協定は、当時の実務をつとめた者としてどのように見るか。

「安保の柱が変わっても、韓国の安保機軸は依然として韓米同盟だ。
この同盟の土台は、日本にある国連傘下の後方基地7つだ
韓米日の安保の枠組みの中に韓国の安保の土台が存在するわけだ。したがって、
合理的範囲で日本と協力する必要がある。
日本と協定を締結しても、情報は選別的にやりとりできる。その上韓国は、
敵性国家だったロシアとも情報協定を結んでいる。日本は衛星、
韓国はヒューミント(HUMINT:human intelligence、
人的情報)が比較的優位なので情報交流をすればシナジー効果が出る。
83年にソ連の戦闘機が大韓航空007機を迎撃した時、ソ連機の交信内容を
最初に盗聴したのが日本の自衛隊だ」

  --韓米日の安保協力が依然として必要だという話だが、
      中国の反発はどのようにすべきか。

「米国が主導するミサイル防衛(MD)システムを例に挙げてみよう。MDは
韓米日が共に動いてこそ完ぺきに働く構造だ。中国はもちろんロシアも反発する。
したがって韓国がMDに編入されるのは望ましくない。MDに入らない状態で
韓米、韓米日を機軸にした安保構造を維持する知恵を発揮すべきだ。
例えば韓米日の合同訓練は継続することだ」

  --韓日関係に統一の柱を追加しろというのはどういうことなのか。

「90年にドイツが統一した時、ドイツとフランスの首脳はほとんど毎日のように
電話をした。韓国も統一のためには日本など周辺列強国と緊密に疎通して助けを
受けなければならない。それが統一の柱だ。どの国も敵にしてはいけない」

  --過去の問題に進展がないのに日本と統一をめぐって対話できるだろうか。

「日本には指摘すべきことは指摘し、協力すべきことは協力する『分離対応』が
避けられない。韓国の大統領にとって対日関係は、常にポピュリズムと迎合したい
誘惑の対象だ。それでも冷静かつ実用的な観点からアプローチすべきだ。
65年6月22日の韓日修交協定が妥結するとすぐに当時の
朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は特別談話を出した。
『昨日の敵も今日と明日のために必要ならば手を握るのが賢明な対処』だとして
国民の理解と協調を訴えた。
こうした姿勢が本当に必要だ。特にSNSが発達したこの頃は、指導者が状況を
率直に説明して国民の理解を得ることができなければ、どんな外交政策も
成功できない」

  --現在、韓日関係が修交以来、最悪ではないのか。

「違う。40年前が最悪だった。74年の文世光の陸女史狙撃に激昂した
ソウルのデモ隊が日本大使館に乱入して日章旗に火を付けた。東京でも前例のない
嫌韓の雰囲気の中で韓国の大使館員が断交に備えて撤収準備に入った。その時、
米国が韓日に
『関係を収拾せよ』という希望を伝えながら危機をかろうじて回避した」

  (中央SUNDAY第397号)

--米国は韓日関係の均衡者の役割をしてきたのが事実だ。
    その米国が「今は日本と和解せよ」と圧迫しているが。

「いくらそうでも韓国が慰安婦や独島(ドクト、日本名・竹島)問題を
覆い隠していけるか。結局は分離対応が答えだ。米国の憂慮をある程度
解消させながら韓国の国益にも助けになるからだ。分離対応は単純に
『政経分離』レベルではない。
対話をしながらも刺々しい問題を提起し続けるのが分離対応だ。
これは米国も同じだ。慰安婦や靖国参拝問題には彼らも断固としているではないか。その一方で米国は、今年初めにハーグで韓米日の首脳会談を成功させた。
こうしたことが分離対応だ」

  --韓日首脳会談はどのようにすべきか。

「両国間の立場の差が大きく、首脳が会って顔を紅潮させるようなら、
しないほうがましだ。
2011年の京都での韓日首脳会談がそうだった。私が担当局長だったのに
実務調整がそこまでいかない上に会談直前にソウルの日本大使館前で開かれてきた
水曜集会が1000回を迎えて世論の圧迫が重なった。結局、
韓日トップが顔を紅潮させるだけで物別れに終わった。それが今まで続いている。
こうした災難を避けるには、朴槿恵大統領と安倍首相は、
互いに立場の差が狭まった後に会うのがふさわしい。だが外相会談はいち早く
開いて分離対応トラックを稼動しなければならない。
外相の間で顔を紅潮させてもかまわない」

  --日本は今後、どのように出てくるだろうか。

「日本の関心はすべて北東アジアの力のバランス変化に注がれている。したがって
『普通の国』化を絶えず推進するだろう。その結果、地域の不安定を高める憂慮が
大きい。これを防ぐには韓日中の3国間協議システムが活発に
稼動しなければならない。韓国が主導すべきだ。外交の創造力が必要だ」

  --40年前には韓国のデモ隊が日本大使館に乱入した。今は韓日関係が
悪化してもそんなことはない。両国間のファンダメンタルが強くなったことなのか。

「そうだと見ている。日本の政治家の妄言を糾弾する集会をした後に和食を
食べて、日本製の車で帰宅する。
大きくなった国力にともなう余裕の表現かもしれない。日本も同じだ。
98年までは韓国よりも中国に親近感を感じていたが、その後は反対に背を
向けている。韓日国民の間の相互認識が急進展したのだ。
独島や慰安婦問題は簡単に解決することができないが、
市民レベルで蓄積された両国関係の底辺は大きな力になるだろう」

  --外交部で日本通として勤めながら最も印象的だった場面は。

「98年に金大中(キム・デジュン)大統領と明仁天皇が会った時、私が通訳を
つとめた。
天皇が“トラジ(キキョウ)”のような言葉を韓国語で表現して親近感を表わし、
突然『桓武天皇の生母が百済武寧(ムリョン)王の子孫だと”続日本記”に
出てきたことについて韓国とのゆかりを感じる』と話した。戦慄を覚えた。
純血を強調する日本の天皇家でこうした話が出ることはきわめて難しいためだ。
この発言は当時公開できなかったし報道もされなかった。だが、2001年に
天皇が記者会見でこの話を直接して世の中に伝わった。98年当時、
天皇のその発言は途方もなく破格的なことだった」

  --そのほかに思い出す秘話は。

「金大中大統領(DJ)と小渕恵三首相の首脳会談でも通訳をした。
会談が終わった後、車に乗った際にDJが私を前の席に乗せた。車の中で
『通訳はうまかったが、語彙はもう少し増やさなければならない。
日本の小説をたくさん読めばいい』と助言してくれた。
日本語世代で私よりもはるかに日本語が上手だった」
(中央SUNDAY第397号)

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