2014年11月27日木曜日

麒麟にはなれない、駄馬は駄馬

へ~ェ、もう地元に帰っているんですか、もう遅いわな今度の選挙で当選!落選?
本人は俺が落選するはずは無いと思っているかもしれないが、分からんぞ
もう三年になるんだ、あの災害から何度地元に帰った。
選挙だけに地元に帰り媚を売っても有権者は馬鹿ではない、安倍総理が遊説最初を
岩手にしたらしいが、岩手の県民も考え物だ。
これでもまだ当選させるなら県民資質が疑われると言うものだ。
日本の政治も過去とは違うのだ。国民の生活など省庁や、地方自治に任せればいい。
第一は日本国の誇り、尊厳が最優先だろう。
ハエや、蚊みたいに日本に絡む隣国があるんだ、こんな国に媚を売る議員など
無用というもの!!・・・・・・・・・。

「何とか一郎、誰だか分かる?」 壊し屋も今や「過去の人」に…
苦しむ小沢氏 側近に離党促す
(1/3ページ)【衆院解散、総選挙へ】

会見で、生活の党の政権公約をまとめた冊子を手にする小沢一郎代表=26日午後、
参院議員会館(酒巻俊介撮影)

生活の党の小沢一郎代表が苦しんでいる。
衆院解散直前まで模索した新党構想は不発に終わり、側近らに離党を促す窮余の策に
出た。
生活の党も自らも展望がないことを証明したようなものだ。
47歳で自民党幹事長に上り詰め、「剛腕」の名をほしいままにした小沢氏は
「過去の人」になりつつある。

 「今回の選挙は政権交代を目指す選挙戦にはならなかった」

24日、岩手県一関市内で開かれた生活の党岩手3区総支部の会合。小沢氏は
あいさつで、今回の衆院選について早くもこう語った。こんなことを言うのも、
自ら目指した最善の形が実現しなかったためだ。
 
「壊し屋」過去のこと

政党の離合集散で常に中心にあり、「壊し屋」ともいわれた小沢氏だが、ここ数年は
思い通りに物事が進まず、政治力も確実に低下している。

平成24年7月、消費税増税に反対し、民主党から約50人の議員を引き連れて
「国民の生活が第一」を結成した。増税反対で民意をつかめると踏んだのだが、
そういう見通しがないと分かると、同年11月の衆院解散を受けて、
当時の嘉田由紀子滋賀県知事を口説いて、日本未来の党(代表・嘉田氏)の結党に
参加、原発ゼロを目指す「卒原発」を掲げて衆院選に臨んだ。それでも惨敗した。

直後に嘉田氏側と対立し、未来の党は空中分解。小沢系が居残る形で名称を
生活の党に変えた。

今回、衆院解散の気配をいち早く察知した小沢氏は民主党などを巻き込んだ
野党統一戦線の形成を模索した。狙いは「選挙協力や選挙区調整よりも、最も効果が
出る新党の結成」(生活幹部)だった。だが、小沢氏が絡む新党構想に、多くの
野党幹部らは警戒した。

次善の策として、小沢氏を除くメンバー全てを民主党に復党させる計画も
浮上したが、これも頓挫。個々の選挙区事情に加え、民主党側が小沢氏に近い
メンバーを全て受け入れるはずもなかった。

時間切れと判断した小沢氏は「政治生活を続けていくため、自分の思う一番いい
方向に進んでよろしい」と党所属議員に通告し、離党を容認する考えを示した。
「仲間が別の政党で議員として生き残れば展望が開ける可能性がある」
(別の生活幹部)というわけだ。
 
民主になお秋波送る

「民主党が旗を振って野党の統一戦線をつくらなくちゃいけないということは
最初から言っている」

24日、盛岡市内で記者会見した小沢氏は、民主党になおも秋波を送った。

だが、輿石東参院副議長ら一部を除き、民主党側に現在の小沢氏を評価する
向きはない。

岡田克也代表代行は26日発行の夕刊フジの特別インタビューで、生活幹事長だった
鈴木克昌氏らの民主党への移籍を決めた小沢氏との会談について
「小沢氏の復党という話は一切ない」と語っており、党内に
「小沢アレルギー」がいかに強いかをうかがわせる。

「ここは日本の政治を牛耳ってきた、ある政治家の党の部屋です。何とか一郎、
誰だか分かるかな?」

21日、衆院解散を直後に控えた国会議事堂内で、国会見学の小学生らを
案内していた民主党のある衆院議員(当時)は、生活の党控室前でクイズを出題した。

その言いぶりは、もはや小沢氏を「過去の人」と言わんばかりだった。

(原川貴郎)

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