日本は決っして暴走などしていない、先の大戦において日本は宣戦布告したが、
暴走などではない。
世界戦略、外交戦略を誤ったにすぎない。
インド国民軍創設の背景に日本の第五列組織「KAME」
(1/4ページ)
日本の「第五列」組織「KAME」のシンボルマークと
アイデンティティーバッジを伝えるMI5の報告書
(英国立公文書館所蔵)世界有数のインテリジェンス
シンガポール陥落の背景に「第五列」など日本軍の完璧なインテリジェンスがあったと分析した英国立公文書館所蔵の秘密文書(KV3/426)は、
かつて日本が世界有数のインテリジェンス能力を持っていたことを
示している。
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」など国際テロとの戦いでは、
インテリジェンスが喫緊の課題となっているだけに注目を集めそうだ。
(編集委員 岡部伸)
戦わずに兵投降
シンガポールのマーライオン像近くにインド国民軍(INA)の
「無名戦士」にささげる記念碑が建てられている。INAは1942年、
英国からインドを解放するため、日本軍の支援を受けて陥落後の
シンガポールで創設された。INAを誕生させたのは41年9月に誕生した
藤原岩市少佐率いる「F機関」だった。
英軍守備隊の7割を占めるインド兵を切り崩すことを目的に、タイにあった
インド独立同盟(IIL)と協力。
ベルリンに滞在していたインド独立運動の指導者、チャンドラ・ボースとの
連絡を斡旋(あっせん)するなど植民地支配からの解放を目的に彼らを味方につけ、多くのインド兵を戦わず投降させ、INAに参加させた。
藤原が昭和17年に作成した「F機関の馬来工作に関する報告」によると、
(1)インド兵、インド人工作
(2)マレー人の反英民族主義運動組織、マレー青年同盟(YMA)を
支援して協力を促す「亀工作」
(3)マレー人の反英、対日協力を醸成するためマレー人匪賊(ひぞく)の
頭目ハリマオ(谷豊)を活用する「ハリマオ工作」
(4)親英の華僑を切り崩す「華僑工作」-などがあった。
1942年6月6日、MI5海外担当責任者の報告書によると、英国は
亀工作を見破り、「侵攻前と後に数多くの証拠がある」とした。さらに、
「KAME」は「マレーの反英運動組織を内包して、侵攻の際に情報提供と
破壊活動を担う例示的な『第五列』組織」で、日本軍の占領後の統治も
手助けしたという。
F機関は、亀の輪郭の六角形をシンボルマークとし、敵と区別するため
メンバーは赤の腕章と左の手首に赤十字章を巻いて、あらゆる場所で組織に
関わる人間は衣服に「F」文字をつけていた。インドでも、
ダークブルーの円形に黄色い朝日が昇り、ピンクのハスが咲く絹のバッジを
衣服につけていたという。「第五列」活動は戦闘前と戦闘中の2種類あり、
戦闘前に弾薬庫の隠蔽(いんぺい)、英軍服の収集、秘密の無線通信の
手助けなどを行ったとしている。
パレンバン攻略
シンガポール陥落の前日の42年2月14日、陸軍落下傘部隊329人が
スマトラ島のパレンバン製油所を強襲、無傷で制圧した。
この作戦の背後には周到な準備があった。
前年3月、杉山元・陸軍参謀総長から、パレンバン攻略計画策定のための
情報収集を命じられた陸軍中野学校幹事(教頭)、上田昌雄大佐は、家族に
「暫(しば)らく蘭印(オランダ領インドシナ=現在のインドネシア)へ
行く」と言い、偽名で数カ月出張した。
すでに新聞記者などの身分で潜入していた2人の中野学校の教え子と
現地調査し、帰国後、参謀総長に「地上戦で時間を費やせば石油施設を
破壊されるおそれがある。無傷で奪取するには落下傘部隊による急襲を
最善策とする」と意見具申した。これが採用され、
空挺(くうてい)部隊が編成され、同年10月から極秘訓練が行われた。
上田大佐は中野学校長、川俣雄人少将、同校の岡安茂雄教官(統計学が専門)とともに、文献調査も行い、製油資源の分布、産出量、開発予定地なども
調べた。
三井物産など民間会社からはパレンバン製油所の航空写真も入手。
こうしたデータをもとに中野学校で分析、製油所構内の配置、守備隊の
配置などを詳細な報告書にまとめ、参謀本部に提出。陸軍上層部の
情報要求に基づいて精緻な情報を集約、分析し、それが作戦に生かされると
いう一連のインテリジェンス・サイクルが機能した。
◇
■元ニューヨーク・タイムズ東京支局長、英国人記者
ヘンリー・S・ストークス氏「独立の手助け行った日本」
「『第五列』活動が成功したのは、日本軍の侵攻が、植民地となった
アジア諸国を欧米の帝国主義から解放し、独立に導くものだったからだ。
日本軍はアジアを占領するために暴走したのではない。
日本は植民地となった人々に教育や軍事訓練を行い、独立の手助けを行った。日本軍の支援を受け、インド国民軍の司令官となったチャンドラ・ボースは
『日本がアジアの希望の星だ』と語り、日本に感謝した。
マレーシアやシンガポールも同じだ。
アジアを白人支配から解放する目的があったからこそインテリジェンスが
成功し、英国軍はなすすべもなく降伏したといえる」
暴走などではない。
世界戦略、外交戦略を誤ったにすぎない。
インド国民軍創設の背景に日本の第五列組織「KAME」
(1/4ページ)
日本の「第五列」組織「KAME」のシンボルマークと
アイデンティティーバッジを伝えるMI5の報告書
(英国立公文書館所蔵)世界有数のインテリジェンス
シンガポール陥落の背景に「第五列」など日本軍の完璧なインテリジェンスがあったと分析した英国立公文書館所蔵の秘密文書(KV3/426)は、
かつて日本が世界有数のインテリジェンス能力を持っていたことを
示している。
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」など国際テロとの戦いでは、
インテリジェンスが喫緊の課題となっているだけに注目を集めそうだ。
(編集委員 岡部伸)
戦わずに兵投降
シンガポールのマーライオン像近くにインド国民軍(INA)の
「無名戦士」にささげる記念碑が建てられている。INAは1942年、
英国からインドを解放するため、日本軍の支援を受けて陥落後の
シンガポールで創設された。INAを誕生させたのは41年9月に誕生した
藤原岩市少佐率いる「F機関」だった。
英軍守備隊の7割を占めるインド兵を切り崩すことを目的に、タイにあった
インド独立同盟(IIL)と協力。
ベルリンに滞在していたインド独立運動の指導者、チャンドラ・ボースとの
連絡を斡旋(あっせん)するなど植民地支配からの解放を目的に彼らを味方につけ、多くのインド兵を戦わず投降させ、INAに参加させた。
藤原が昭和17年に作成した「F機関の馬来工作に関する報告」によると、
(1)インド兵、インド人工作
(2)マレー人の反英民族主義運動組織、マレー青年同盟(YMA)を
支援して協力を促す「亀工作」
(3)マレー人の反英、対日協力を醸成するためマレー人匪賊(ひぞく)の
頭目ハリマオ(谷豊)を活用する「ハリマオ工作」
(4)親英の華僑を切り崩す「華僑工作」-などがあった。
1942年6月6日、MI5海外担当責任者の報告書によると、英国は
亀工作を見破り、「侵攻前と後に数多くの証拠がある」とした。さらに、
「KAME」は「マレーの反英運動組織を内包して、侵攻の際に情報提供と
破壊活動を担う例示的な『第五列』組織」で、日本軍の占領後の統治も
手助けしたという。
F機関は、亀の輪郭の六角形をシンボルマークとし、敵と区別するため
メンバーは赤の腕章と左の手首に赤十字章を巻いて、あらゆる場所で組織に
関わる人間は衣服に「F」文字をつけていた。インドでも、
ダークブルーの円形に黄色い朝日が昇り、ピンクのハスが咲く絹のバッジを
衣服につけていたという。「第五列」活動は戦闘前と戦闘中の2種類あり、
戦闘前に弾薬庫の隠蔽(いんぺい)、英軍服の収集、秘密の無線通信の
手助けなどを行ったとしている。
パレンバン攻略
シンガポール陥落の前日の42年2月14日、陸軍落下傘部隊329人が
スマトラ島のパレンバン製油所を強襲、無傷で制圧した。
この作戦の背後には周到な準備があった。
前年3月、杉山元・陸軍参謀総長から、パレンバン攻略計画策定のための
情報収集を命じられた陸軍中野学校幹事(教頭)、上田昌雄大佐は、家族に
「暫(しば)らく蘭印(オランダ領インドシナ=現在のインドネシア)へ
行く」と言い、偽名で数カ月出張した。
すでに新聞記者などの身分で潜入していた2人の中野学校の教え子と
現地調査し、帰国後、参謀総長に「地上戦で時間を費やせば石油施設を
破壊されるおそれがある。無傷で奪取するには落下傘部隊による急襲を
最善策とする」と意見具申した。これが採用され、
空挺(くうてい)部隊が編成され、同年10月から極秘訓練が行われた。
上田大佐は中野学校長、川俣雄人少将、同校の岡安茂雄教官(統計学が専門)とともに、文献調査も行い、製油資源の分布、産出量、開発予定地なども
調べた。
三井物産など民間会社からはパレンバン製油所の航空写真も入手。
こうしたデータをもとに中野学校で分析、製油所構内の配置、守備隊の
配置などを詳細な報告書にまとめ、参謀本部に提出。陸軍上層部の
情報要求に基づいて精緻な情報を集約、分析し、それが作戦に生かされると
いう一連のインテリジェンス・サイクルが機能した。
◇
■元ニューヨーク・タイムズ東京支局長、英国人記者
ヘンリー・S・ストークス氏「独立の手助け行った日本」
「『第五列』活動が成功したのは、日本軍の侵攻が、植民地となった
アジア諸国を欧米の帝国主義から解放し、独立に導くものだったからだ。
日本軍はアジアを占領するために暴走したのではない。
日本は植民地となった人々に教育や軍事訓練を行い、独立の手助けを行った。日本軍の支援を受け、インド国民軍の司令官となったチャンドラ・ボースは
『日本がアジアの希望の星だ』と語り、日本に感謝した。
マレーシアやシンガポールも同じだ。
アジアを白人支配から解放する目的があったからこそインテリジェンスが
成功し、英国軍はなすすべもなく降伏したといえる」
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