日本にとって朝鮮は友人を隠れ蓑に足を引っぱり、すねをかじる追い払うことも
出来ぬ隣国のやっかいな知り人にすぎぬ。
今回のAIIB参加やこの50年やりたい放題、言いたい放題、日本が
ほんの少し嫌気がさし、左手に握りこぶしをにぎっただけで、100年前
祖父や、父親がやったのとおなじペコペコと土下座でもやりそうな雰囲気だが
もう遅いとおもうぜ・・・・
【コラム】日本はまだ韓国を「悪友」と思っているのか
▲世論読者部=李先敏(イ・ソンミン)部長
「日本近代化の父」福沢諭吉は1885年3月、自身が発行する日刊紙
「時事新報」に後日「脱亜論」と呼ばれる論説を発表した。
「我が国は隣国の開明を待ち、共にアジアを興す余裕はない。むしろ、
それらから脱し、西洋の文明国と進退を共にし、その支那・朝鮮に接する方法も
隣国だからといって特別の待遇をする必要はない。(中略)
我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものである」。
金玉均(キム・オッキュン)、朴泳孝(パク・ヨンヒョ)、
兪吉濬(ユ・ギルジュン)ら朝鮮の開化派を支援していた福沢は、朝鮮の開明を
急進的に試みたクーデター「甲申政変」(1884年)が失敗すると、この記事を
書いて自身の心から朝鮮を消した。
福沢の晩年に出版された回顧録には、朝鮮開化派と交流したことが
書かれていない。
故郷・中津(現・大分県中津市)に建てられた福沢記念館にも朝鮮開化派への
言及はない。
「アジアの悪友」を謝絶しようとする動きは、福沢の知的後継者たちによって
深く体系的に進められた。日本の学者たちは
「日本が封建社会を経て西洋と同様の発展の道を歩んできたのとは違い、中国と
韓国は長年足踏みしてきた」と主張、その違いを強調した。
日本が英独などをモデルに西欧化を急速に進める中、日本人の心の中で
中国と朝鮮はさらに遠ざかっていった。
20世紀前半の日本帝国主義による韓国・中国侵略の過程では多くの被害が
発生したが、やむを得ないこととされた。
日本は今も、前世紀に自国が韓国と中国に与えた破壊的な結果についてほとんど
言及していない。
東京都内の靖国神社を訪れた時、衝撃的だったのは付設の軍事博物館
「遊就館」で軍国主義を美化する映像を流しながらも、最大の被害者だった
韓国と中国に対し全く配慮がないことだった。
日本帝国海軍の揺りかごだった広島県江田島市の「旧海軍兵学校」や隣接する
呉市の「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を見学した時も同じだった。
日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争など東アジアを廃虚にした戦争に
ついて、それが不可避だったことや旧日本海軍の武功を誇るだけで、近隣諸国に
及ぼした被害には何の認識もなかった。
しかし今や東アジアは福沢が「脱亜論」を発表した時代とは大きく変わった。
韓国と中国は日本に劣らない「開明」を遂げた。日本と共にアジアを興すのに
十分な力を持っている。
福沢がもし現代によみがえったら、おそらく「脱亜論」を撤回することだろう。
それでも日本はまだ韓国を「悪友」とでも思っているかのように行動している。
安倍首相は先日、「韓国は重要な隣国だが、近いためにさまざまな問題を
抱えている」と述べた。しかし、
韓日親善と東アジアの繁栄を願う人々は、日本が韓国を「重要な隣国」を越え
「良き友」と考えることを望んでいる。
元文藝春秋編集長で歴史著述家の半藤一利氏は
「日本人は今、かつて朝鮮人や中国人に与えた痛みをあまり感じて
いないようだが、人間は歴史を背負って生きていく。
自然なつき合いのためにも、知っておくべきことはある」と言った。
安倍首相と日本国民もこの思慮深い知識人の声に耳を傾けてくれたらと思う。
世論読者部=李先敏(イ・ソンミン)部長 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
出来ぬ隣国のやっかいな知り人にすぎぬ。
今回のAIIB参加やこの50年やりたい放題、言いたい放題、日本が
ほんの少し嫌気がさし、左手に握りこぶしをにぎっただけで、100年前
祖父や、父親がやったのとおなじペコペコと土下座でもやりそうな雰囲気だが
もう遅いとおもうぜ・・・・
【コラム】日本はまだ韓国を「悪友」と思っているのか
▲世論読者部=李先敏(イ・ソンミン)部長
「日本近代化の父」福沢諭吉は1885年3月、自身が発行する日刊紙
「時事新報」に後日「脱亜論」と呼ばれる論説を発表した。
「我が国は隣国の開明を待ち、共にアジアを興す余裕はない。むしろ、
それらから脱し、西洋の文明国と進退を共にし、その支那・朝鮮に接する方法も
隣国だからといって特別の待遇をする必要はない。(中略)
我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものである」。
金玉均(キム・オッキュン)、朴泳孝(パク・ヨンヒョ)、
兪吉濬(ユ・ギルジュン)ら朝鮮の開化派を支援していた福沢は、朝鮮の開明を
急進的に試みたクーデター「甲申政変」(1884年)が失敗すると、この記事を
書いて自身の心から朝鮮を消した。
福沢の晩年に出版された回顧録には、朝鮮開化派と交流したことが
書かれていない。
故郷・中津(現・大分県中津市)に建てられた福沢記念館にも朝鮮開化派への
言及はない。
「アジアの悪友」を謝絶しようとする動きは、福沢の知的後継者たちによって
深く体系的に進められた。日本の学者たちは
「日本が封建社会を経て西洋と同様の発展の道を歩んできたのとは違い、中国と
韓国は長年足踏みしてきた」と主張、その違いを強調した。
日本が英独などをモデルに西欧化を急速に進める中、日本人の心の中で
中国と朝鮮はさらに遠ざかっていった。
20世紀前半の日本帝国主義による韓国・中国侵略の過程では多くの被害が
発生したが、やむを得ないこととされた。
日本は今も、前世紀に自国が韓国と中国に与えた破壊的な結果についてほとんど
言及していない。
東京都内の靖国神社を訪れた時、衝撃的だったのは付設の軍事博物館
「遊就館」で軍国主義を美化する映像を流しながらも、最大の被害者だった
韓国と中国に対し全く配慮がないことだった。
日本帝国海軍の揺りかごだった広島県江田島市の「旧海軍兵学校」や隣接する
呉市の「呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)」を見学した時も同じだった。
日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争など東アジアを廃虚にした戦争に
ついて、それが不可避だったことや旧日本海軍の武功を誇るだけで、近隣諸国に
及ぼした被害には何の認識もなかった。
しかし今や東アジアは福沢が「脱亜論」を発表した時代とは大きく変わった。
韓国と中国は日本に劣らない「開明」を遂げた。日本と共にアジアを興すのに
十分な力を持っている。
福沢がもし現代によみがえったら、おそらく「脱亜論」を撤回することだろう。
それでも日本はまだ韓国を「悪友」とでも思っているかのように行動している。
安倍首相は先日、「韓国は重要な隣国だが、近いためにさまざまな問題を
抱えている」と述べた。しかし、
韓日親善と東アジアの繁栄を願う人々は、日本が韓国を「重要な隣国」を越え
「良き友」と考えることを望んでいる。
元文藝春秋編集長で歴史著述家の半藤一利氏は
「日本人は今、かつて朝鮮人や中国人に与えた痛みをあまり感じて
いないようだが、人間は歴史を背負って生きていく。
自然なつき合いのためにも、知っておくべきことはある」と言った。
安倍首相と日本国民もこの思慮深い知識人の声に耳を傾けてくれたらと思う。
世論読者部=李先敏(イ・ソンミン)部長 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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