2015年7月21日火曜日

7月19日、

1965年、90歳だよな、亡くなったのは、その前60年か85歳だろう
不正選挙をしてまで大統領にとどまろうなんて・・やはり、李朝の血を
受け継いでいるのだろうよ。
きれいに引退していればここまで無視される事は無いだろう。まあ、国に
戻れただけでも良しとしなけりゃ・・・・?

【社説】韓国現代史の立て直しは李承晩再評価から

昨日19日は大韓民国初代大統領の李承晩(イ・スンマン)大統領が
死去してからちょうど50回目の命日だった。
1960年の4・19革命で大統領を辞任し、その後は米国のハワイに逃げるように
して渡り、余生を過ごしていた李承晩氏は1965年7月19日、現地の病院で
寂しくこの世を去った。
李承晩氏は生前、普段から「祖国の地をもう一度踏んでから死にたい」と
何度も語りながら、散髪に必要な5ドル(現在のレートで約600円)を節約し
少しずつ費用をためていたが、結局は夢をかなえることなくこの世を去り、
遺体となって祖国に戻ってきた。

17日に国立ソウル顕忠院で李承晩大統領50周忌追悼式が開催された。
本来なら命日の当日に行うべきだが、日曜日で出席者が少なくなる恐れが
あったため、この日に前倒しされたという。
主催も国家報勲処(庁に相当)など国の機関ではなく、民間団体
「建国大統領・李承晩博士記念事業会」だった。
また例年の李承晩大統領追悼式と同じく、今回も野党代表は出席せず、
野党関係者の姿は少なかった。それでも今年は50回目の命日であると同時に
生誕から140年となる節目の年でもあるため、李承晩氏の業績をたたえる
学術会議くらいは開催するべきだが、そのような行事が開催されたという
ニュースは一向に聞こえてこない。
それどころか国営放送のKBSは「李承晩政権、韓国戦争(朝鮮戦争)発生直後に
日本へ亡命を打診」などととんでもないニュースを報じ、建国大統領を
侮辱するような出来事ばかりが目についた。

李承晩氏は生涯を独立運動にささげ、制憲国会の議長として大韓民国憲法の
制定に大きく貢献した。
異民族による支配から脱却して新しい国を建てると同時に、
国民の自由と人権、平等が保障される民主共和国の礎を築き上げる
「二重革命」の中心に李承晩氏はいた。
第2次世界大戦の終戦以降に独立した世界140カ国のうち、
産業化と民主化を同時に成功させ先進国となった国は大韓民国しかない。
これは李承晩氏が自由民主主義と市場経済体制を選択し、
韓国戦争という悲劇の中から国を立て直し、韓米同盟という洞察力によって
安全保障を強固にした土台の上で実現したものだ。

トルコでは毎年11月10日午前9時5分、国中の通りにサイレンが鳴り響き、
市民は足を止めるという。
それはトルコ建国の父とされるムスタファ・ケマル・アタテュルク氏を
追悼するためだ。ところがトルコよりも大きな成功を収めた韓国には
建国記念日もなく、建国記念公園も、また建国記念館もない。
建国大統領をたたえる記念館の建設や、その著書の全集の発刊も、国会の
予算審議で一向に認められないのが大韓民国だ。

李承晩氏は12年にわたる強権政治と独裁体制で、数々の失政を犯したのは
事実だ。しかし人間なら誰もが功績もあれば過ちもあろう。
歴史に名の残る人物であれば、その功績と過ちを一層公正かつバランスを
もって評価しなければならない。
中国の故・毛沢東主席は数多くの悪行に加え数千万人の国民を虐殺する大罪を
犯したが、実際に迫害された経験のあるトウ小平氏は毛沢東主席について
「功績の方が大きい」という理由から
「建国の父」としてたたえるようにさせた。

韓国社会には李承晩氏の評価を引き下げようとする勢力が常に存在するが、
その目的は最終的に大韓民国の建国と発展の歴史を侮辱することに他ならない。つまり彼らは大韓民国を「生まれるべきでない国」としたいのだ。
このような虚偽に満ちた扇動からわれわれの誇り高い現代史を守るには、
何よりもまず建国大統領に本来の地位を取り戻させることから
始めなければならない。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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