2015年8月18日火曜日

謝罪要求はこれぐらいにして、韓国

ふ~~ん、この記事日本語版だけかな、国内版にも載っているのか、
あの70年談話、安倍首相の肉筆だ、と聞いているが、安倍首相の日本と
日本人に対する思いが伝わってくると云うものだ、
私は中華や、韓国に配慮しなくてもっと衝撃的な談話がほしかったけど
現代の韓国でも100年前、400年前とおなじことをやろうとしえいる・・

【コラム】謝罪要求は、もうそれぐらいにして=韓国(1)
2015年08月18日11時21分 [中央日報/中央日報日本語版]

何度か読み返した。赤線を引きながら繰り返し読んだ。
日本の安倍晋三首相の戦後70周年談話(安倍談話)のことだ。
最初の印象は、まあまあだった。特別な感興がなかった。
名節日の祝宴を整えるようにたくさん並べたが、鮮明に迫ってくる
メッセージがなかった。
重ねて言った感じだろうか。
論述試験の答案用紙だったらCプラス以上は取りにくいという気がした。

だが、なんと! 繰り返し読んでみると、それは違った。
次第に苦心して書いた労作になった。単語ひとつ、表現一行にまで注意深く
熟考して琢磨した跡が歴然だった。
論理構造もかなりの枠組みを備えていた。見る人によっては評点がはるかに
高くなりうるという考えになった。

安倍首相が自ら冒頭で明らかにしたように、談話は歴史の教訓と未来に向けた
確約を2つの軸としている。
第1次世界大戦以後に構築された新たな国際秩序に挑戦することによって、
数多くの人に損害と苦痛を与えた事実を認め、再びそのようなことを
繰り返さないと誓った。
痛切な反省と心からのおわびを表明した歴代政権の立場は今後も
揺るぎないものだとか、これ以上戦争と関係のない日本の戦後世代に
謝罪を要求しなければ良いという希望を表明した。
さらに過去の過ちに対する反省に基づいて世界平和と繁栄に寄与すると
いう覚悟で最後を結んだ。

予想通り、米国政府は両手を挙げて歓迎した。
ホワイトハウスは国家安保会議(NSC)報道官の声明を通じて
「安倍談話を歓迎し、戦後日本が『すべての国家の模範』になっている」と
賞賛した。
中央日報がワシントンのシンクタンクと学界専門家たちを対象に実施した
緊急アンケート調査では、回答者の63%が安倍談話を肯定的に評価した。
日本国内の世論でさえ肯定(44%)と否定(37%)で評価が交錯するのに
比較すれば、非常に高い評価だ。

日本の植民統治と侵略を最も苦痛を持って経験した韓国や中国の立場と
しては、安倍談話は不十分なことこの上ない。
安倍首相は自身の言葉で直接謝罪しなかった。
特に韓国に対しては無視をし、嘲弄した態度が明らかだった。
乙巳保護条約の締結と国権侵奪につながった日露戦争について
「植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と
強弁したのが代表的だ。
韓国を植民地にしておきながらアジア人に勇気を与えたと主張するのは詭弁だ。少しでも韓国を配慮していたら、とうていできない表現だ。

彼は反省とおわびに言及しながらも、その対象を「先の大戦での行動」に
限定した。
植民地支配は対象からはずれている。戦争の陰で名誉と尊厳を傷つけられた
女性を取り上げながらも日本軍の慰安婦は口にしなかった。
内鮮一体の皇国臣民であり、内地人だった朝鮮人に対しては謝罪することは
ないという認識の発露だったのだろう。
安倍談話について韓国と中国で、水増し・幽体離脱・間接謝罪・形だけ
謝罪といった批判が出てくるのは当然だ。

安倍首相は「侵略に対する定義は定まっていない」と公言して、侵略戦争の
象徴である靖国神社をこれ見よがしに参拝した人物だ。そんな彼にで
期待できる「最大値」が何なのかを、安倍談話は明らかに見せた。
A級戦犯を母方の祖父に持つ彼の限界だ。
これ以上、彼に謝罪を要求するのは無理だ。

400年余り前、日本は朝鮮を侵略した。
自ら国を守る力がない朝鮮は、明国に救援を求め、
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)は日中戦争になった。忠武公が活躍した海で
韓日戦争の様相を見せただけだ。
延世(ヨンセ)大学のソン・ボク名誉教授が
著書(『柳成龍(リュ・ソンリョン)、国を再びつくる時になりました』)で
指摘した通り、壬辰倭乱は「朝鮮分割戦争」だった。
倭は朝鮮の南側4島を占領しようとし、明は漢江(ハンガン)北側4島を
守って防衛の垣根にしようとした。
言葉では表せない苦痛と侮辱を受けても朝鮮は
「懲ビ(先の過ちを戒めて後難を警戒する)」できなかった。
急忘と外勢依存に陥った朝鮮は300年後、国を日本に
そっくり譲り渡してしまった。
自ら強くなれず植民地となり、ついに南北分割までが現実となった。 

光復(解放)70年を迎えた韓国に「偉大な旅程」を祝う歓声や合唱は
あったが、どこからも懲ビの声は聞こえなかった。
懲ビを通した自強こそ、安倍談話に対する私たちの最も強力な対応だ。
だが大統領の光復70年の祝辞にも懲ビと自強の叫びはなかった。
声ばかり張り上げるとなるのは、もちろん違う。
賢くならなければならず、道徳と品格で尊敬を受けなければならない。
果たして私たちは賢いのか。
安倍首相を恥ずかしくさせるほどの徳性があるのか。まだまだだ。

  ペ・ミョンボック論説委員・巡回特派員

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