2015年11月20日金曜日

目標はすぐそこに~~?、韓国

この記事、感心なことに日本の支援は自覚があるようだ、だが、日本には
追いつくことはむりだろう。
韓国は模倣技術の模倣製品であり、独自技術の独自製品ではないからだ。
韓国ではサムスンがどのくらい大きいのか知らないが、日本の資本金
50億ぐらいの中小企業の製品を止めればサムスンなんぞ、あァ~と
いう間に破綻してしまう、独自技術というものはそういうものだ。
GDPも一人当たりの名目上GDPもただの数字、日本を追い越しても
世界一にはなれない、("^ω^)・

【コラム】高地はすぐそこなのに…=韓国(1)
2015年11月19日10時08分 [中央日報/中央日報日本語版]

「1960年代末に技術研修生として日本の三洋電機に行った。
すべてが珍しかった。統計的管理技法を利用した品質管理、産業工学技法を
利用した生産管理などが活発だった」。
サムスン電子の尹鍾竜(ユン・ジョンヨン)前副会長の回想だ
(尹鍾竜、『超一流に行く考え』、2004年)。

当時サムスン電子の成長モデルは日本だった。
三洋電機とNECから資本と技術を持ってきた。
原材料と部品、設備は日本製で、工場設計と工程配置、機械設置と試運転、
稼動まですべて日本の技術陣に依存した。
技術も日本が教えた。他の企業も同様だった。当時日本は
「超えられない壁」だった。そして克服対象だった。

模倣の究極の目的は独自開発だった。

80年代初めに半導体事業を始めた当時の李秉チョル(イ・ビョンチョル)
会長は「いったい日本に勝つことのできない理由は何か」と叱責した。
追撃を超え追い越すという意志だった。だが、
その夢が現実化されるとはだれも壮語できなかった。それだけ日本の壁は
高かった。しかし夢は実現された。
2000年代初めにソニーを破り、“師匠”の三洋電機はつぶれた。

この話を切り出したのは近く日本を追い越すという国際通貨基金の
見通しのためだ。
購買力基準の1人当たり国内総生産(GDP)は3年後に追い越し、
1人当たり名目GDPは5年後に同水準となる。憂鬱な話ばかりの中で
久しぶりに聞くうれしい便りだ。いまや
企業を超え国の経済すら日本を追い抜くとは。高地(目標)はまさに
そこだという意味ではないのか。その上日本は依然としてさまよっている。
このような時にもう少し努力すれば追い越しを早められる。しかし
不幸にも韓国も「第2の日本」になりつつある。
ゴールイン地点目前でどっと疲れてしまった局面だ。別の言葉で言えば
経済活力が急激に落ちた。
貯蓄と投資のギャップ拡大が傍証だ。
10年前には投資が貯蓄より多かったり貯蓄がやや多かった。だが
いまは貯蓄がはるかに多く、ますますそのギャップが拡大している。
投資をしないという意味だ。

【コラム】高地はすぐそこなのに…=韓国(2)

その理由として世界経済沈滞、高齢化、家計と企業の負債などが
挙げられている。しかし
これよりさらに重要な原因は最近の企業家の意志とマインドではないかと
考える。
成長の根本要因は企業家精神と制度だからだ。
制度経済学の説明がそうだ。同じ資本と技術を持ってもある国は栄え
ある国は滅びる。
韓国がそうだった。資本と技術がない国が資本は借りて、技術は模倣して
今日の韓国を作った。だが、いまは? 
規模を拡大しようとする意志とマインドが不足している。企業家精神が
失われたという証拠だ。
制度経済学によるとその結果は低成長だ。
韓国も5年連続で年平均2%台の低成長から抜け出せない。

むかしの企業家は安住しようとする気持ちがなかったのだろうか。
LGグループ創業者の具仁会(ク・インフェ)会長は50年代初めに
クリーム化粧品とプラスチックのくしで大金を稼いだ。すると悩みに
なったようだ。
「(ここで止まって)実利を得て幸福も見つけるなら世の中心配なく
生きていくことができる」と考えた。しかし
すぐ気を取り直した。
「行くところまで行ってみよう。それが事業をする人たちに負わされた
羈絆であり召命だ」(LG、『一度信じたらすべて任せろ』、2004年)。LG電子を設立した背景だ。

財界は、企業家精神が大きく落ち込んだのは過度な政府規制、反企業感情、
起業しにくい環境のためという。もっともな話だが、
むかしの企業家はこれよりもっと悪条件だったということを考えてみれば
決定的理由ではない。信じられないという人のためのクイズだ。

75年ごろに中東の建設現場を見てきた政府官僚はみんな首を横に振った。
彼らにとって中東は建設ができない国だった。
土地は砂と砂利だらけ、天候はとても暑く働くことができず、雨が降らず
工事に必要な水がなかった。
それでは現代の鄭周永(チョン・ジュヨン)会長も同じ考えだっただろうか。答は「正反対」だ。リスクはチャンスだった。

「雨が降らない? それなら1年中工事ができる。砂と砂利が多い? 
別の場所から資材を調達する必要がない。昼間に働けない? 
昼間に寝て夜に働こう」。
鄭会長に中東は建設に最適な土地だった。
同じ物を見るのでも本当に企業家の目はこのように違う。
来週25日は鄭会長誕生100周年だ。彼の精神が復活してこそ韓国が
高地を占めることができる。

  金永郁(キム・ヨンウク)金融研究院常勤諮問委員

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