2015年12月20日日曜日

歴史教科書固定化問題、韓国

外交的な障害が一つ減ったと思えば、まだ続いている歴史教科書の
固定化問題・・?  しかも
建国問題、ホントに妄想社会・ファンタジー社会、この間日本の、
安全保障の関係で日本軍がもし、北朝鮮に介入できるかとかの問題と、
まったく同じではないか、主権も統治も及んではいないのに主張だけする・・
しかも臨時政府は、「自称」であって、本当は
朝鮮独立党いう政党でしかありえない。だから世界から承認もされていない。

【コラム】大韓民国建国は1919年なのか、1948年なのか

大韓民国の出生証明書の再発行でもしなければならないようなありさまだ。
教科書国定化をめぐる賛否の火の手が、最近では韓国の建国日をめぐる
論争へ飛び火している。
要するに「1919年建国論」と「1948年建国論」の対立だ。

「19年建国論」は「わが大韓民国は三・一運動で建立された
大韓民国臨時政府の法統を継承し」という韓国憲法の前文に依拠している。
韓国が臨時政府の法統を受け継ぐと明示していることから、1919年に
生まれたと見なすのが正しいという主張だ、これに対し
「48年建国論」は、政府樹立記念日の1948年8月15日に韓国が誕生したと
考える。双方はそれぞれ、強みと弱みを持っている。

韓国現代史を断絶ではなく継承の観点から見ることができる点こそが
「19年建国論」の魅力だ。
植民地化という「挑戦」に対し、臨時政府樹立という「応戦」で堂々と
韓国史を説明できる。ところがこの強みは、同時に弱みでもある。

「19年建国論」は「政治学のいろは」とズレている。現代の政治学は、
国家とは領土・国民・主権の3要素を持つものであって、3要素の一つが
欠けただけでも国家とは見なし難い、と教えている。
韓国が1919年に建国されたと見る場合、徴用や慰安婦問題といった
植民地時代の苦難をどう説明するか、はっきりしない。

「韓国の誕生」という事実判断と「臨時政府の法統継承」という価値判断を
混同している、という批判も免れ難い。

金九(キム・グ)主席の臨時政府も、1941年の「建国綱領」で
「敵の統治機構を国内から完全に撲滅し、中央政府と議会の正式な活動で
主権を行使する過程」を「建国の第1期」と規定した。
建国を今後の課題として設定したのだ。こうした事実を見過ごすと歴史が
ファンタジーの領域に退行する危険がある。 

従って「韓国の誕生日は1948年8月15日」と見る方が自然だ。ところが
「48年建国論」は、ここから一歩踏み出している。
「1948年8月15日は韓国の建国節にもかかわらず、政府樹立記念日に
格下げされている」と主張しているのだ。

しかし「48年建国論」を強調し過ぎると、
李承晩(イ・スンマン)初代大統領が1948年8月15日に行った記念の演説と
衝突するのが問題だ。
「政府樹立大統領記念辞」というタイトルのこの演説は
「大韓民国30年8月15日 大統領李承晩」という文言で終わる。
「大韓民国は1919年に樹立された臨時政府の法統を継承する」と宣言した
人物は、ほかならぬ李承晩大統領だ。
李大統領はこの記念の辞で、建国と政府樹立を、対比させるより、むしろ
自然に併用している。

二つの建国論がどちらも弱みを持っているのは、事後的な解釈だからだ。
にもかかわらず、自分の弱みからは目を背け、他人の弱みばかり暴こうと
言い争いを続けると
「兄弟の目にある塵(ちり)を見て、おのが目にある梁木(うつばり)を
認めぬ」(マタイ7章3節)ことになりやすい。
再評価は歴史家の領分だが、だからといって自分の希望する事項まで史実に
混ぜる権利は歴史家にもない。

キム・ソンヒョン文化部次長 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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