2016年3月21日月曜日

短い歴史の反撃=韓国

この前文8行が、韓国・朝鮮人がほんとに勘違いの極致ともいえる・・。
この記事だっていま2016年韓国産業界が衰退し復活の道、方法も判らず
苦しんでいるってことだろう。それをこのようなざっと読みならば
何が云いたいんだ~~~~と??
これは国内版にも掲載されているのか知らないが、一般庶民がこんな記事を
読むのか。
日本語版だけなら、大いに無駄、無駄、このうえない。 勝手に書いてろ・

【コラム】短い歴史の反撃=韓国(1)
2016年03月21日08時48分 [中央日報/中央日報日本語版]

1960年代の経済開発後、そして90年代の民主化後、韓国社会は
一時的に慢心した。
世界で最も短い期間に経済成長と民主化を同時に成し遂げたということだ
産業革命とフランス大革命を経て西洋が数百年の長い歳月をかけて果たした
ことを、わずか50年間という短い期間に成し遂げたため自慢するほどの
ことだった。それは時に自慢を越えて神話化され、この神話イデオロギーは
我々の社会の一部で依然として通用したりもする。しかし本来、
神話は虚構や希望の想像的な充足にすぎない。世の中に「ただ」はない。

真の意味の経済的成長は適切な水準の分配を伴う時に「先進性」を持つ。
成長自体は根本的に不平等に依存している。正しい分配が「良い」成長を
完成する。
成長の過程で疎外された多数に対する配慮がない成長は根本的に
「後進的」だ。
長い歴史的な過程を通じて成長した国が、その間に生じた問題を修正して
補強する過程で社会的安全網を強化していったとすれば、我々はまだ
「分配」「平等」という言葉に過度にうなされている。
「分配」を断るなら、我々の社会が経済的に「成長」したという事実も
拒否したり偽りだと話さなければいけない。
まだ十分に成長していないため分配に関する議論を遅延させるべきだと
いうのが反分配論者の立場であるためだ。

適切な分配とは無条件にすべて同じように分けようというのではなく、
「最小限」の社会的安全網を構築しようということだ。
一言でいえば、お金がなく食べられなかったり、治療を受けられなかったり、教育を受けられないというようなことがあってはいけないということだ。
高度成長の裏で多くの人々が生存の問題に恐れ、震えている。
生計を解決することだけを人生の唯一の目的とする社会はどれほど野蛮か。

政治の領域を見れば話す必要もない。
討論と同意を土台とする民主主義の最も基本的な原則もあまり守られない。
理性も合理性もない。
総選挙を控えて政治家が見せる姿はまさに露骨な「俗物ショー」だ。
政治的な大義とそれに基づく政策はほとんど聞こえず、公認が政治行為の
唯一の目的であり、多数党になって権力を振りかざすことが彼らの唯一の
存在理由という事実を、この時代の政治家はいかなる偽装もなく見せている。この図々しさは我々の政治の「後進性」と「低級性」を見せる重要な指標だ。

政治領域の退行性は、韓国社会をあの美しい先進化の世界に進んで
いけないよう抑留している。
このように権力の機能だけが残った政治行為の根本的な根源は何だろうか。
意外に簡単だ。
「公衆の善(the public good)」を忘却した、名前だけの
共和政のためだ。

【コラム】短い歴史の反撃=韓国(2)

我々の社会を病気にさせるもう一つのものは、日々の生活も厳しい時に
いつのまにか消費が最高の美徳になってしまったということにもある。
もう人々は生計単位の消費で満足しない。ひたすら過剰消費あるいは
浪費段階の消費が美徳である社会で我々は暮らしている。

社会は(厳密に言えば資本は)生計以上の浪費欲求を助長する。
地上最高のスマートフォンを所有しているという消費者の満足感は、
半年足らずで新しいモデルが出てきて無惨に破壊される。
ボードリヤールの言葉のように、この「無駄」な浪費が
「経済という機関車に力を与える役割をする」。ところが、
いったい誰のための経済なのか。

健全な豊かな社会は豊かな財物を適切に分ける時に完成される。
無駄な浪費のためそうでなくても貧しい社会的存在がさらに貧しくなり、
それによって別の一方ではさらに裕福になる社会は、見かけとは違い非常に
脆弱で「危険」な社会だ。
社会的少数である「余分」の集団が社会的多数である「必要」の集団を
配慮する社会が「健全」な社会であり「堅実」な社会だ。

短い期間に多くのことを成就したという我々の社会には前近代的なもの、
近代的なもの、後期近代(ポストモダン)的なものが入り乱れている。
急いで我々の社会の「前近代性」を克服しなければ、
短い歴史の反撃は避けにくいだろう。

  オ・ミンソク檀国大教授・英文学

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