2016年8月23日火曜日

韓国社会に一石を投じる~~か

ちょっと、これは驚嘆すべきと云える意外な記事だ・・・、こんな記事を
韓国国民が読んで批判は起こるか~~の事案だな。
昨日の記事にこの「徳恵翁主」の甥になる人物のインタビューが掲載されて
いたが、この甥の発言とは内容を異にする記事だ。
大韓帝国・皇帝・高宗は朝鮮の未来を5人の大臣に丸投げしたのだ。しかも
4人は日本との併合に反対したが、ひとりの・李・何とかの大臣に説得され
日本との併合が決まった。
虚構に虚飾に虚言とは韓国・朝鮮人の民族資質、まァ、こういう記事も
韓国社会に一石を投じることにはな~る・・・
   
【コラム】映画『徳恵翁主』、韓国人の自尊心をくすぐる歴史「脚色」

光復節を翌日に控えた8月14日、退勤後に映画『徳恵翁主』を見に行ったが、終始不愉快だった。
主人公の徳恵翁主はもちろん英親王についても、映画での描かれ方が
あまりに事実と懸け離れていたからだ。映画を見ながら、こう思った。
「朝鮮の王室があれほど覚醒していたら、そもそも国を奪われることもなかっただろう」

映画で徳恵翁主は、対馬藩の貴族、宗武志との強制的な結婚を全力で
拒否する。しかし実際は、
結婚前から統合失調症を患っており、自分の意志をきちんと表現できる
精神状態ではなかった。その結婚に怒ったのは、徳恵翁主ではなく朝鮮の
世論だった。
国は滅んでも一時は皇室ですらあった家門が、対馬の一介の貴族と婚姻を
結ぶことを恥辱と感じた。
1931年5月8日に二人が結婚すると、朝鮮日報紙は結婚式の写真から宗武志の
姿を削除し、ウエディングドレス姿で立っている徳恵翁主一人を
残すことで、民族的な怒りを代弁した。

映画の中で英親王が亡命を試みたシーンは、さらにあきれた
英親王が亡命を試みたという事実はない。亡命どころか、27年5月には
家族同伴で世界遊覧に出掛けた。
海外の独立志士は、英親王が上海に立ち寄るというニュースを聞き、
英親王を拉致して独立運動に合流させようとした。しかし
この情報を事前に入手した日本側が、英親王の上陸をやめさせてしまった。
英親王自身も、安楽な暮らしを捨てて苦難の独立運動に身を投じるつもりは
全くなかった。

作家の宋友恵(ソン・ウへ)が書いた英親王の一代記
『最後の皇太子』では、オランダのホテルに滞在している英親王の元に
海外の独立運動陣営から送られた手紙のことが紹介されている。
「殿下がもし、高宗皇帝が(中略)ハーグに密使をお送りになっていた
事実をお忘れならば、(中略)殿下を日帝から奪還し、上海や蘆嶺に
お連れする計画も立てましたが、そもそも殿下のお心が弱く、日本の軍人を
先に立てて行かれながら欧州旅行をお楽しみになるばかりとは、なんと
情けないことではありませんか!」

日本が戦争に敗れると、英親王は
「どうかこれまでと同じ待遇を続けてもらえないか」と日本の内閣に
哀願した-という証言もある。
光復(日本の植民地支配からの解放)後は、
マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学した息子・李玖(イ・グ)の
卒業式に出席するため日本国籍を取り、日本のパスポートを取得するという
ことまでやった。
日本国籍取得という英親王の意向に接した宮内庁側が、逆に
「いかに息子に会いたいからとはいえ、いま一度しっかりお考えください」と押しとどめたほどだ。

映画を見た翌日、「否定的な国家観を克服しよう」と訴える、
朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の光復節の演説を聞いた。
その通りだと思う。
光復後に韓国が歩んできた道は、世界のどこに出しても誇れる成果に
違いない。
そんな自負が過剰になったのだろうか。このところ、
祖国を滅亡に追いやった事実すら隠したり、自尊心を押し立てて歴史を
脚色したりといったことが、しばしば行われている。

最近、高宗が露館播遷(ろかんはせん、高宗がロシア公使館に移って
執政したこと)の際に逃げた道を「高宗の道」として復元するという
韓国政府の計画が発表された。
「日本がねじ曲げた大韓帝国のアイデンティティーの回復」
「大韓帝国の誕生につながる露館播遷」などの意味付けがなされた。
お笑いぐさだ。王妃を失い、
一介の後宮の駕籠(かご)に身を隠したみすぼらしい逃亡を、自主独立の
美辞麗句で飾ろうとするものではないか。
亡国に至る痛嘆の歴史を胸に刻み、二度と再び韓民族が外部勢力に
屈服することがないようにすべく、映画では描かれなかった厳然たる
真実をはっきりと記す。

金泰勲(キム・テフン)世論読者部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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