2016年8月19日金曜日

再燃か、韓国建国節

毎年8月15日を境に韓国ではこんな議論が白熱するが、韓国・朝鮮人の
垣間見えるでなく、民族資質丸出しってとこ、
虚構・虚飾の世界、確かに上海臨時政府なんてのがあったが、大韓民国と
云う国なぞ存在していないのに・・・ あ~だろう、こうだろうと
独特の朝鮮人民族資質の虚構・虚飾の民族塗料が塗りつけられていく、
どう云う結果になるかは日本人の私も、世界もどうでもいいこと~~~

光復節:「1948年」「1919年」 韓国政界で建国論争が過熱
韓国与党「1948年の建国、金大中元大統領も主張」
野党、朴大統領の発言を「独立運動の正統性を否定」と批判

 「大韓民国の建国」は1948年なのか、1919年なのか。

韓国の与野党が17日、韓国の建国の時期をいつとするかをめぐり、論争を
繰り広げた。
与党側は現在の韓国政府が樹立された1948年を、野党側は
「大韓民国臨時政府」が樹立された1919年を、韓国が建国された年と
みなしているが今月15日の光復節
(日本の植民地支配からの解放を記念する日)に
朴槿恵(パク・クンヘ)大統領と、
野党・共に民主党の文在寅(ムン・ジェイン)元代表が異なる認識を
示したことで、論争に火が付いた格好だ。

与党セヌリ党はこの日、党の最高委員と重鎮議員による懇談会で
「『1948年8月15日を建国節として記念すべきだ』というのは
とぼけた主張」という文・元代表の最近の発言を問題視した。

鄭鎮碩(チョン・ジンソク)院内代表は
「文・元代表こそ、反歴史的、反憲法的、反国家的なとぼけた主張を
慎むべきだ。
(初代大統領)李承晩(イ・スンマン)博士の功罪については認め、
(臨時政府の)金九(キム・グ)先生のような独立志士の愛国心も
ありのまま受け入れるべきだ」と述べた。
ナ・ギョンウォン議員は
「(1948年の建国を否定するのは)韓国政府の正統性を否定したり、
正統性の意義を弱める行為だ」と主張し、
趙源震(チョ・ウォンジン)最高委員は
「金大中(キム・デジュン)政権下でも(1948年を建国の年と見なし)
大々的な建国50周年記念行事を行った」と述べた。
議員たちの発言が続く中、李貞鉉(イ・ジョンヒョン)代表は
「国会の場を通じ、国民の前で健全な討論がなされるよう、あらゆる方法を
模索していく」と主張した。

一方、共に民主党の党大会(今月27日)で選出される新代表に名乗りを
上げている候補者たちは、15日の光復節記念式典での
「きょうは71回目の光復節であり、(1948年から数えて)建国68周年だ」と
いう朴大統領の式辞について批判した。
李鍾傑(イ・ジョンゴル)議員は17日、ラジオ番組に出演し
「大統領の資格がないことをはっきりと示した。
朴大統領は臨時政府をはじめとする抗日独立運動の正統性を否定したがって
いるようだ。(日本の)関東軍に属した父親を意識してのことではないか」と主張した。

キム・ソンゴン議員もこの日「今年の8月15日は、71回目の光復節であって、建国68周年ではない。
朴大統領の『建国68周年』という発言は、大韓民国の正統性を
否定するものだけに、撤回すべきだ」と主張した。
秋美愛(チュ・ミエ)議員も「日本の植民地支配の被害者である
元慰安婦たちの問題にも言及すらせず、光復節に『建国節』を
強調したのは、抗日独立運動を否定し、建国以前の
親日行為(日本の植民地支配に賛同・協力)正当化しようとする下心が
あってのことではないか」と述べた。

宣政敏(ソン・ジョンミン)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

映画「ラブストーリー」のアーサー・ヒーラー監督が他界

メロ映画の古典と言われている「ラブストーリー」(1970年)で有名な
アーサー・ヒーラー監督(写真)が17日(現地時間)、米ロサンゼルスの
自宅で老衰で亡くなった。享年92歳。

カナダ・アルバータ州のエドモントンで生まれた氏は、カナダテレビで
コメディー物を制作していたが、商業映画の本家と言われている
米ハリウッドに渡り、1960年代以降70数本の映画やテレビシリーズを
演出した。
彼の最高の興行作は、「愛とは決して後悔しないこと。
(Love means never saying you are 
 sorry)」という名セリフを残した不朽の名作「ラブストーリー」。
小説家・エリック・シーガルのベストセラー「ラブストーリー」を基に
作られたこの映画は、百万長者の息子であり、ハーバード大学法科大学院の
学生である男と、イタリア系労働者の娘である音楽部学生が恋に落ちるが、
白血病にかかった女主人公の悲劇的死で結末を結ぶ。
男女の主人公を演じたライアン・オニールとアリ・マックローは、
世界的スターとなった。

ヒーラー監督は、多様なジャンルの商業性大衆映画を作って、映画界の
ゴッドファーザーに位置づけられた。氏は、1993〜1997年に
アカデミー賞を主管する米映画芸術科学アカデミーの代表を歴任し、
2001年は、映画産業の発展に貢献した功労が認められ、アカデミーから
授与する「ジーン・ハーショルト友愛賞」を受賞した。

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