2017年3月3日金曜日

今上天皇、ベトナム訪問~~

ベトナムは不思議な国だ、この国は確か共産主義の国のはず、中華や、
北朝鮮やらとはちと違う。
南米の共産主義国とも違うように感じるが~~~、それにしてもこの
ベトナムでも元日本兵が残留して独立運動に参加したのか・・・??
インドをはじめインドネシア、ベトナムまで独立戦争に参加か
こうやってみると、聞くと日本もほんと不思議な国だ~~な

残留元日本兵の妻、スアンさん「ご訪問うれしい」…感謝の涙

(1/2ページ)

グエン・ティ・スアンさん(右手前)ら元日本兵の家族と言葉を
交わされる天皇、皇后両陛下=2日、ハノイ(代表撮影・共同)

【ハノイ=伊藤弘一郎】天皇、皇后両陛下は2日、ハノイの
宿泊先ホテルで、ベトナム残留元日本兵家族と面会された。
戦後、各地で苦難の道を歩んだ日系人に心を寄せてきた両陛下の
お気持ちを踏まえ、実現した今回のご面会。
両陛下のねぎらいのお言葉に家族は涙を流し、感謝を伝えた。

「両陛下がベトナムに来られることをうれしく思い、頑張ってここに
来ました。お心をかけてくださり、非常に感動しております。
夫が日本に帰ってから1人で子育てし、苦労しました」

天皇陛下を前にした残留元日本兵の妻、グエン・ティ・スアンさん
(93)は、こう話し、手にしたハンカチで目元を拭った。

 (山の淋しい湖に ひとり来たのも悲しい心)

高峰三枝子さんの戦前のヒット曲「湖畔の宿」の一節を、スアンさんは
今も口ずさむことができる。夫の残留元日本兵、清水義春さんが仲間と
歌っていたのを聞き、覚えたものだ。

スアンさんは先の大戦中、軍人の集まる店で給仕として働き、
清水さんと出会った。
1945年に結婚。清水さんは終戦後、
ベトナム独立同盟(ベトミン)とともにフランスとの
第1次インドシナ戦争に加わった。
スアンさんも4人の子供を連れ、北部各地を転々とした。

(2/2ページ)

戦争終結後、清水さんは54年に単身で帰国。その後、
音信が途絶えたが、清水さんは2006年に来越し、スアンさんと
半世紀ぶりの再会を果たした。
清水さんと多くの言葉は交わさなかったが、当時、スアンさんは
関係者に
「捨てられたとは思っていない。
 時代が許さなかったんだ」と話していたという。

清水さんが11(平成23)年に亡くなったことを、スアンさんは
知らない。
「今もどこかで生きているという思いを持ったまま幸せに過ごして
ほしい」という長女、グエン・ティ・フォンさん(68)らの
配慮からだ。

2日の両陛下との面会で、高齢のスアンさんには椅子が用意されたが、
両陛下と話すため、何度も立ち上がった。そんなスアンさんを前に、
皇后さまはしゃがみ込んで手を取り「どうぞ、お大事に」と
声をかけられた。

「両陛下の手を握り、感動した。戦争でさまざまな困難に遭ったが、
今は平和になった。これから両陛下が元気でいられることを祈念します」

 面会を終えたスアンさんは、穏やかな表情でそう話した。

 ■ベトナム残留元日本兵 1940年に当時フランス領だった
ベトナムに進駐した日本軍は45年3月、ベトナムを事実上、軍政下に
置いた。だが、
同年8月の敗戦により、多くの日本兵は日本へ帰国した。一方、
一部は現地にとどまり、約600人がホー・チ・ミンらが率いる
ベトナム独立同盟(ベトミン)に参加。再統治を狙うフランスとの
第1次インドシナ戦争に加わった。
「ディエンビエンフーの戦い」で敗れたフランスは54年7月に
ジュネーブ協定を締結。元日本兵はその後、順次、
日本に帰国したとされる。

0 件のコメント:

コメントを投稿