2017年4月13日木曜日

[0]の追憶、日本人ゼロ戦操縦

昔、私が右足靱帯損傷で入院していた時、病院の喫煙室でたばこを
吸っていた時、ペースメーカー取り換えの為入院していた親父と同年代の
元ゼロ戦乗りと云う人が居た。
ミッドウエー海戦で操縦席が火の海になり仕方なく海に突っ込んだと、
顔から首の下までやけどの跡、もう20年も前の事もう生きてはいないだろうが、海釣りに行く約束もはたせなかったが~~~

【動画付き】
米本土で日本人が零戦操縦 “初飛行”の可能性
 
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フライトを終えた柳田一昭さんと零戦22型=11日(現地時間)、
米カリフォルニア州チノ空港(中村将撮影)

 【ロサンゼルス=中村将】
米カリフォルニア州サンバーナディーノ郡のチノ空港で11日、
ロサンゼルス近郊に住む飛行教官、柳田一昭さん(66)が
零戦22型の訓練飛行を成功させた。
零戦に詳しい航空ジャーナリストの藤森篤氏は「知る限りでは戦後、
米国で零戦を操縦した日本人はいない」としており、
“初飛行”の可能性がある。

ブルルルッ。機首のプロペラが独特の機械音をたてて回転する。
ゆっくりと滑走路を走り始めた。
しなやかに速度を上げていき、ふわっと機体が浮かぶと、一気に高度を
上げていった。

柳田さんは同日午後、零戦の操縦ライセンスを取得するための訓練と
して、チノ空港から約1時間のフライトを行った。

この零戦は戦後、パプアニューギニアで墜落しているのがみつかった。
米国人が残骸や部品を集めて米国に持ち帰り、その後ロシアで設計図を
元に修理した。ロシアに持ち込まれた背景には、ソ連(当時)が崩壊し、仕事を失った軍需産業従事者らが低価格でも修理・修復を
請け負っていたという事情があったという。

https://youtu.be/WQShFyKH7yQ

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エンジンはオリジナルではないが、それ以外はほぼ当時の零戦と同じで、柳田さんがメンテナンスを担当。オーナーの了解を得て、
訓練飛行が実現した。

22型は三菱重工業製で、先の大戦で日本軍と連合軍が激しい戦闘を
繰り広げたソロモン諸島の戦いの中盤ごろから投入された。
訓練飛行を終えた柳田さんは
「楽しめた。噂通り操縦性能の高さを実感できた。長年の夢だった」と
語った。近く、ライセンス取得の試験を受けるという。

米国には現在、飛行可能な零戦が、カリフォルニア州3機、
ワシントン州1機、サウスダコタ州1機の計5機あり、
航空ショーなどで飛行することがある。

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