2017年4月7日金曜日

第2弾、異質の国、韓国

また出ましたか、釜山のスーパーでの出来事、去年の10月から、
その前から、「韓国人であるのが恥ずかしい」~~~
韓国・朝鮮人は有史以前から恥ずかしいやろ、それ以前に副う云う概念が
無いって事が恥ずかしくないか・・・
国民所得3万ドルなんて、単に総所得と人工比の数字ではないか、ただの
数字を追いかけるだけの国民に中身が付いていく訳無いだろう。

【噴水台】韓国があきれる
2017年04月07日08時15分 [中央日報/中央日報日本語版]

欲が行き過ぎた。人事発令が出た後、3日朝、馴染みのある記者室を
離れる私の手に持たせたカバンはスーツケースを含めて5つ。
光化門(クァンファムン)政府ソウル庁舎6階の記者室から2つの
セキュリティゲートを通過する道のりは遠くて険しかった。すべてが
愚かな自分のせいだが、荷物を移しながら少し、いやとても寂しかった。通り過ぎている人の中で誰も助けてくれなかった。
私がJTBCドラマ『力の強い女ト・ボンスン』に近いという点は
認める。それでも、
重い荷物を手にして息を弾ませている仲間の市民に暖かい手を
差し伸べる人が「ゼロ」というのは恥ずかしい自画像だ。

韓国の外では違った。2012年ロンドン夏季オリンピック(五輪)では「私が助けましょうか」と言った現地の紳士が、2015年
ニューヨークJFK空港では「今助けが必要でしょう」と言った現地の
女性が、先月京都では「ひょっとして今困っているなら、
お手伝いをしてもいいでしょうか」と言った現地(ひいては)
おばあさんがいた。
他人に対する真の意味の善意が生きていた。
大英博物館より、ニューヨーク現代美術館(MoMA)より、京都の
散らばる桜より、このような
普通の人々の善意がとてもうらやましかった。

私が外国人だからそうだったと?百歩譲ってそうだったことにしよう。
韓国は(英語を話す白人でない)外国人にも薄情だ。3日、
汗をかきながら引っ越した事務所に荷物を解いた後、ニュースアプリを
見たところ「韓国では人を助けるな」という外国人夫婦の記事が
載せられていた。その夫婦は大型スーパーマーケットの駐車場で
走り回っている子供に車が突き進んでいることを見つけ、大声を出して
避けるように叫んだ。
問題はその次。子供の祖父と祖母が「なぜ私の孫に大声で怒鳴るのか」と人種差別的な悪口をし始めた。
警察は仲裁どころか「韓国では自然な発言」と言ったという。
このニュースを聞いた外国人友達は驚くようなことでもないという
反応だった。
英国人友達は「私は白人でよかった」と言った。

肌の色で他の人を判断するとは、ださくて下品だ。
国民所得3万ドル(約332万6000円)に向かっていると
言いながら、国民の水準は果たしてどの程度まで来ているのだろうか。
他人は一概に警戒して疑わなければならない社会、薄情で人に荒っぽく
振る舞わないと損をすると考える社会、
お金さえあれば良いと考える社会。政治のためでもあるが、
大韓民国5000万人の国民が皆、この社会をこのように下品な社会に
作ってきた。人のせいにせず、自分の責任にしよう。

昨年10月から、いやその前から韓国人として生きるというのは
疲れることだった。
もう変わらなければならない。失われた魅力を取り戻すべきだ。
誰がなんと言っても離れることのできない、我が国だから。
魅力のない韓国はあきれる。

  チョン・スジン/P-プロジェクトチーム記者

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