2017年4月23日日曜日

武装解除したも同然だ~~わ、韓国

韓国と違って北朝鮮は開戦したと云う実積が有る~~、それに比べ
韓国は其れに立ち向かったのでなく、逃げ回ったというのが正しい。
半島は100年前日本に統治され、36年間日本式の教育がなされたが
うまく利用したのは北朝鮮、それに比べ南鮮は産業界、経済界だけに
生かされ、彼らが後身にその席に譲ればその精神は消えうせ衰退が
始まって終うのみ・・・・
現実の韓国の実状を見れば必然・・・・・
   
【コラム】韓米同盟下で自ら武装解除した大韓民国

大韓民国には自分の国の批判に熱中する自虐主義者が多い。彼らはよく
「(日本の支配から)解放された直後の韓国とは異なり、
第2次大戦後のフランスは(戦時中)ドイツに従った裏切り者たちを
厳しく処断した」などと言う。
これが本当かどうかは分からないが、ただ処断という美名を使い、
法的根拠のない復讐(ふくしゅう)行為で数千人が虐殺されたのは
事実だ。しかし
フランスがそこまで徹底した国だったなら、開戦からわずか6週間で
ナチス・ドイツに屈するほど弱かったことの説明ができない。
イアン・ブルマは著書『廃墟(はいきょ)の零年1945』の中で
戦争前後のフランスの状況について「道徳的崩壊状態」と指摘している。

パリがナチス・ドイツによって占領されたのは1940年6月14日。
当時パリ市内を闊歩(かっぽ)したあるドイツ軍兵士がカメラで市内の
様子を撮影していた。彼らは抵抗を放棄したパリ市内を観光客気分で
回っていたようだ。
戦争は武器だけでやるものではない。当時のフランスは2400両の戦車を
保有するドイツ軍に対抗するため、連合軍の一員として3000両の戦車で
自国を防衛する欧州の軍事大国と考えられていた。しかし実際に戦争が
起こると、フランスはドイツに抵抗らしい抵抗もできないまま敗れたが、それはある意味必然でもあった。

フランスはドイツ国境に深い塹壕(ざんごう)を掘って各所に砲台を
設置した。
かの有名なマジノ線だ。ところがその背後でフランス軍は精神的に
緩み切っていた。
ドイツの軍備増強を目の当たりにし、そしていつか破局が訪れることを
知りながらも、フランス人たちは
「戦争だけは駄目だ」と叫ぶことしかしなかった。
当時フランス軍参謀総長だったモーリス・ガムランは
「戦争はあまりにも多くの若者を犠牲にする」という言葉で国民の
支持を受け、またレノー首相は反戦主義者の愛人とばかり過ごしていた。ドイツに対する徹底抗戦を訴えていた英国のチャーチル首相は
「あの女は私が昼間にやったことを夜の内にすべてぶちこわした」と
嘆いたという。

政治家と軍隊が腐敗するだけでは国は滅びないが、
国民まで堕落してしまえば国は本当に崩壊する。
チャーチルの『第二次大戦回顧録』によると、英国とフランスは当時、
フランス・マルセーユ郊外の空港に配備された英国軍の爆撃機で背後の
敵だったイタリアを爆撃しようとしたが、周辺住民が
「イタリアからの報復で村が爆撃されたら責任を取るのか」と抗議し、
トラクターやリヤカー、トラックなどで滑走路を
封鎖してしまったという。
これはパリが陥落するわずか3日前の出来事だった。

同盟関係にある国は味方が危険な状況になれば命懸けで助けに
行かねばならない。
6・25戦争(朝鮮戦争)当時、米第8軍のバン・フリート司令官は
参戦していた一人息子が戦死する痛みを味わった。
また先日来韓したペンス副大統領も父親が6・25に参戦し、
朝鮮人民軍や中国人民解放軍との戦闘に参加したという。
同盟はこのような努力や犠牲があってこそ維持できるものだ。
ところがこうして韓国を守ってきた韓米同盟軍のすぐ後ろで、

われわれは冬の間ずっと大統領の弾劾を求めてキャンドルを手にし、
春になると花見に熱中した。
米国の最新鋭地上配備型迎撃システム
「高高度防衛ミサイル(THAAD)」が配備される慶尚北道星州郡では、
配備に反対する地元住民が配備予定地のゴルフ場に続く道路を
ふさいだため、チヌーク・ヘリが作業用の
ブルドーザーやパワーショベルを空輸した。彼らは
「THAADは来るな、平和が来い」と叫ぶが、これは間違っている。

「北朝鮮の核兵器は来るな、平和が来い」が正しい。

北朝鮮が核武装を完成するその日、韓米同盟によって守られてきた
われわれは自由を放棄しなければならなくなるかもしれない。
フランスはドイツの侵攻によって崩壊したのではない。
国内で勝手に崩壊したためドイツ軍の侵攻を受けたのだ。
今大韓民国がフランスの失敗を繰り返さないという保証はない。
大統領候補者たちも「戦争だけはいけない」といったひ弱な言葉で
国民を欺いてはならない。

世論読者部=金泰勲(キム・テフン)部長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

0 件のコメント:

コメントを投稿