2017年5月10日水曜日

文在寅氏当選:巨済から二人目の大統領に市民ら歓喜

この文・在寅新大統領の両親は北出身と聞いたが、彼はもう生まれていたのか、それとも韓国の巨済島で生まれたのか、どこで彼はこれ程の
共産主義思想と反日思想に傾倒していったのか~~~~、この記事は
5月10日朝の記事で今もう夕方だ、就任演説で何をしゃべったか
夜の記事でまた書きましょう・・・・・・・・

文在寅氏当選:巨済から二人目の大統領に市民ら歓喜

 「そうでしょ!」「ゲームは終わった」

9日午後8時ごろ、故・盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の故郷、
慶尚南道金海市進永邑ポンハ村の会館では歓呼の声が上がった。
第19代韓国大統領選挙の出口調査で、盧・元大統領の政治的同志だった
文在寅(ムン・ジェイン)候補の勝利を予測する結果が出たからだ。
会館にいた住民らは「こうなるだろうと思った。
文候補は盧・元大統領のように思えて、うちの村から大統領が
出たようにうれしい」と語った。
ポンハ村のスン・グボン里長(50)は「文候補は、ここへ来るたび
村の人々にあいさつするのを忘れないので、親近感があった」と語った。

同じ時間、営農法人「ポンハ村」の2階にある講堂では、
釜山・慶尚南道などから集まったノサモ(盧武鉉大統領を愛する会)の
メンバーやポンハ村のボランティアなどおよそ70人が
「文在寅大統領! 文在寅大統領!」と連呼し、拍手した。
盧・元大統領の帰郷の所感だった「いやあ、気分いい」をみんな一緒に
まねたりもした。
家族連れで来た人もいて、ブタを3頭つぶして宴会を開いた。

文・新大統領は、盧・元大統領の墓や生家、自宅などがあるポンハ村を
しばしば訪れ、政治的な意志を固めた。
文氏が民主党の予備選で大統領候補に選ばれた翌日の4月4日、
地方行脚のスタート地点に選んだ場所も、このポンハ村だった。
文氏は当時、盧・元大統領の墓参りをした後、
「盧武鉉・元大統領が果たせなかった夢、精神、価値を実現することに、

私がなし得る全ての努力を尽くしたい」と語った。

9日午後、ポンハ村はあいにくの雨天だったにもかかわらず、
投票を終えて韓国各地からやって来た訪問客の足が途絶えることは
なかった。
墓の案内所に用意された訪問録には「きょうは盧武鉉大統領の友人、
文在寅さんが大統領になられた日です」
「文在寅大統領当選を念願します」など、およそ200件の
書き込みがあった。

文在寅・新大統領の故郷、慶尚南道巨済市巨済面明珍里も
お祝いムードだった。
住民のパク・スンナムさん(74)は「47世帯が集まって暮らす小さな
村から大統領が出るなんて、どんなに素晴らしいだろう」と拍手した。
同じく住民のチュ・ムンベさん(74)は「前回の第18代のとき、
(文氏が)惜しくも落選して残念だったが、今回は国民が受け入れて
くれてうれしい。金泳三(キム・ヨンサム)大統領に続いてまた
大統領が出たので、巨済は大統領を二人も輩出した地元ということで
ギネスに載るだろう」と語った。

明珍里の敬老堂には「巨済 大きく求め/明珍 明るく貴き君主に
なられませ」と書かれた張り紙が掛かっていた。
「巨済明珍里」という地名の意味をひねって作った一句だった。
住民のイ・ソクアクさん(77)は「明るく貴き村から大統領が
出たことを記念して作った張り紙」と語った。

住民らは9日、訪問客のためにチャルトック(もち米の餅)や
クルトック(蜂蜜入りの餅)などトック6升(1升は約1.8リットル)分と

牛肉のクッパおよそ150人分を用意しておいて、夕刻に出した。
住民らは「(不正請託禁止のため接待を規制した、いわゆる
金英蘭〈キム・ヨンラン〉法に違反するのではと思って)この程度しか
準備しなかった。うちの村の人情を味わっていきなさい」と語った。
文氏の母校、慶南高校の同窓生が主導してつくった
「開かれたフォーラム」など支持組織のメンバーは、9日午後に
釜山市釜山鎮区釜田洞西面のチキン店でテレビの開票速報を見ながら
シャンパンを開け、「国を国らしく」などのスローガンを叫んで
当選を祝った。

巨済=朴柱栄(パク・チュヨン)記者 ,
 金海=権慶勲(クォン・ギョンフン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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