2017年6月22日木曜日

盧武鉉元大統領 「米国が一番重要な国で合っていますよね?」

例え、高麗連邦になったとしても今の韓国が存続できるとは思わないけど
だいたい、今の韓国根本的に基本概念が無い、自分達は
どの思想に属してるか、自由民主主義に属していないのか、貧富の差こそあれ、第一に自由だろう。
もし北朝鮮と一緒になれば、あっという間に共産・独裁主義に
飲み込まれてしまうぞ。選挙権はおろか人権もない、今の自由が全部
なくなる~~~

[写真]朝鮮通信使の船 来年秋までに実物大で復元=韓国
2017/06/22 10:50

3Dで再現した朝鮮通信使の船(文化財庁提供)=22日、
ソウル(聯合ニュース)

韓国文化財庁の国立海洋文化財研究所は朝鮮王朝時代に日本に
派遣され、両国の友好関係の象徴とされる外交使節「朝鮮通信使」が
使った船を2018年9月までに実物大で復元する計画を決めた。
当時の史料を参考にする。
復元される船の全長は34.5メートル、幅9.3メートルで
137トン。南西部・全羅南道にある工場で来週から建造作業が始まる=(聯合ニュース)

【中央時評】盧武鉉元大統領
「米国が一番重要な国で合っていますよね?」(1)
2017年06月22日11時09分 [中央日報/中央日報日本語版]

マケイン米国上院議員の訪韓取り消しをめぐり、雑音が絶えない。
日本の朝日新聞は「韓国大統領府が(マケイン氏側に)最後まで面会を
確約しなかった」と報じた。
青瓦台(チョンワデ、大統領府)は「マケイン氏側の新しい日程のため」とこれを頭から否定した。
「文在寅(ムン・ジェイン)大統領は日曜日(先月28日)であるにも
かかわらず昼食会の日程を決めるほど気を遣っていた」として
冷遇論を否定した。

マケインは先月19日、米特使に会って27~28日の訪韓計画と
文大統領の面談を希望した。
このメッセージは24日午後、青瓦台の日米中特使報告の時に大統領に
伝えられた。
鄭義溶(チョン・ウィヨン)外交安保室長なども同席した。そうならば
残りの4日(24~28日)のうち、青瓦台がいつ「28日の昼食会」を通知したのかさえ明らかにすれば済む問題だ。
マケイン側は繰り返し面談の確認を求めたが、結局韓国だけを外して
オーストラリア-ベトナム-シンガポールを訪問したためだ。

青瓦台は
「米国の政治家であれば誰だろうと会わなければならないのか」として
悔しげな表情だ。だが、マケインは違う。
「THAAD費用は米国が負担しなければならない」と明らかにした、
青瓦台は招いてでも会わなければならない親韓派の大物だ。
振り返ってみると、その辺りの5月末から青瓦台の雰囲気が
突然硬直する不吉な兆しが現れた。文大統領が
「THAAD報告の欠落は非常に衝撃的」と述べた後、THAADは
忌避対象になった。
雇用首席に内定していた安ヒョン鎬(アン・ヒョンホ)が脱落し、
コード人事(政治・理念による人事)の色彩が明確になった。いま、

青瓦台政策室側には「分配論者」が勢力を伸ばして外交安保側には
「自主派」があふれている。心配になるのは「集団思考」のわなだ。
もしかして今回のマケイン訪韓の不発が、マケインの文大統領面談に
率先したものの

「親米派」のレッテルを張られるのではないかとおそれて保身を
図ったものではないことを願う。

先月31日午後、2人の外国人の表情を見れば最近の青瓦台の雰囲気を

察することができる。
ディック・ダービン米民主党上院院内総務は文大統領と
40分間面談した。だが、
青瓦台がダービンの「韓国が望まなければTHAAD予算を他の場所に
使うことができる」という発言を外して記者会見をしたため後処理に
苦労した。
ダービンは「青瓦台を後にしてから在韓米軍が心配になり、非常に
機嫌が良くなかった」と不満を表示した。

逆に、インドネシアのメガワティ元大統領の顔は明るかった。
1時間以上の歓待を受けた。
青瓦台報道官の会見からして微笑ましい。
「2人は南北関係正常化のために真剣に意見交換をした。
文大統領は『金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元
大統領の南北首脳会談成功に大きな助けになった。
以前のように助けてくだされば良い結果があるのではないかと考える』と述べた。
メガワティは『北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長との面会を
推進する。実現すれば、その時文大統領の安否を伝えても大丈夫か』と
尋ね、文大統領は『今日話したすべてのことを伝えても良い』で
答えた」。
事実上、南北首脳会談のメッセンジャー役を頼んだと言える。

驚くようなことではない。メガワティの父スカルノは1960年代、
非同盟運動で金日成(キム・イルソン)と兄弟になった。
「金日成花」はスカルノがプレゼントしたインドネシアの花だ。
メガワティは幼少時期より父に連れられて北朝鮮によく訪問し、
金正日(キム・ジョンイル)と40年間、「兄妹の仲」だった。
メガワティは2002年、韓国・北朝鮮同時訪問も行った。
盧大統領は2005年3月4日、メガワティに会って
「金正日が招待してくれれば平壌(ピョンヤン)で腹を割って話したい」と述べ、メガワティは平壌から金正日の返信を持ってきた。

大統領選挙の時、文大統領が話した「当選したら米国よりも先に
北朝鮮に行く」という発言が口先だけのものではないかもしれない。
最高指導者の心がどこにあるのか、側近がまず最初に悟る。
もしかしたら韓米同盟と南北対話に対する文大統領の胸の内を読んだ
外交安保ラインがメガワティとの面談に熱を上げ、マケインの面談には
消極的に対応したのかもしれない。

振り返ると盧武鉉は全く違う状況だった。
2002年12月末、盧武鉉大統領当選者は李洪九(イ・ホング)
元首相と個別に会った。
彼は議員時代、政党は違ったが李元首相を外交・統一の最高専門家と
して丁重に扱っていた。盧当選者はしばらく迷って意見を求めた。
「周辺では南北関係が重要だから米国と距離を置くようにと
騒いでいます。
それでも私は長く悩んだ末に『今、大韓民国に一番重要な国は米国』と
いう結論を出しました。
私の考えは合っていますか」。
李元首相の表情が明るくなった。
「正しい判断です。しっかりした韓米同盟の上に南北関係や韓中関係を
模索しなければなりません」。

盧元大統領は「反米ならばどうか」と述べたが、イラク派兵、
韓米自由貿易協定(FTA)、済州(チェジュ)海軍基地を推進した。
李元首相は
「盧元大統領が意外な決定を下した時、私は全く驚かなかった」と
述べた。
韓昇洲(ハン・スンジュ)元外交部長官も回顧録で
「盧元大統領は外交安保を担当する
3人〔イ・ジョンソク国家安全保障会議事務次長、
ナ・ジョンイル国家安保補佐官、
潘基文(パン・ギムン)外交補佐官〕のせいで
『頭が痛くてやっていられない』と吐露していた」と証言した。
盧武鉉は両側の専門家たちにつつかれながらもバランスを
取っていたのだ。
そのような経験を横で見守っていた文大統領だ。
これから盧武鉉の政治・外交的想像力をどの程度継承するのか、
今後の文大統領が気になる。


  イ・チョルホ/論説主幹

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