2017年6月29日木曜日

韓国の長官候補たち、恥をかきながらも聴聞会に立つ  心理的理由

今、ムンタンが米国に行っているが、米国の歓待ぶりは韓国が要求した
とか、噂だが・・・
嘘と捏造の国だから、米国の歓待は韓国重視とか狂乱~~!?
慰安婦像にしても後付けの法律にしても、ムンタンの師匠ノムタンが
作った「親日罪」が良い例だ。
過去の事案に対し罪を着せる為に法律を作る様な国だ~~
どうしょうもないわ~~な。

日本大使館前の少女像 来月から公共造形物として管理
2017/06/28 20:58
【ソウル聯合ニュース】

在韓日本大使館前に設置されている旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する
「平和の少女像」が来月からソウル市鍾路区の公共造形物として
管理される。

鍾路区は28日、都市空間芸術条例の改正案が区議会で可決され
来月施行されると発表した。

少女像は同区内の歩道に設置されている。
違法の造形物ではないが、機関によって管理されてもいないあいまいな
扱いとなっていたが、改正案により公共造形物として
管理されることになった。

少女像は2011年に、慰安婦被害者を支援する団体
「韓国挺身隊問題対策協議会」が設置した。当時、
女性家族部が鍾路区に協力を求め、区も「外交通商部の意見を
取りまとめた後、建立を支援する」と回答し、像は設置された。

しかし、関連規定があいまいだったため、これまでは区が積極的に
像の管理に乗り出すのも難しい状態だった。
道路法施行令は電柱、電線、水道管、ガソリンスタンド、
鉄道、看板、懸垂幕など占用許可を必要とする工作物や施設の種類を
定めているが、少女像のような造形物はどれにも該当しない。

条例改正案では、民間の造形物も区の都市空間芸術委員会の審議を経て
公共造形物に指定できるようにし、区が管理するようにした。

また、公共造形物を移設したり撤去したりする場合は
都市空間芸術委員会の審議結果に従うよう定めた。これは、
少女像が勝手に撤去されることがないよう、一種の
安全装置を設けたことになる。

hjc@yna.co.kr

【噴水台】韓国の長官候補たち、恥をかきながらも聴聞会に立つ
 心理的理由
2017年06月28日14時50分 [中央日報/中央日報日本語版]

 一体どうして。安京煥(アン・ギョンファン)法務部長官候補の
落選過程を見ながら、このような疑問を拭い切れなかった。
今回長官になろうと聴聞会に出ていなかったら、国民全員が、
偽造印鑑で相手の同意もなく虚偽婚姻届を出した彼の若かりし日の
違法行為や息子が犯した高校時代の逸脱まで分かりえなかっただろう。
隠したい私生活がすべて掘り起こされてしまうという苦痛を味わう
代わりに、むしろ今回の政権の間、影響力のある法学者としてその
品位を守ることができただろうということだ。ところで一体どうして。

安氏に続いて高額の諮問料と飲酒運転関連のうそなどで落選危機に
面している宋永武(ソン・ヨンム)国防部長官候補を見ながらも
またしても同じ疑問が胸をよぎった。
宋候補は海軍参謀総長まで歴任した成功した軍人であり、退任後は彼の
表現どおり「庶民は知らない世界」に入って、たった2年で
10億ウォンを稼ぐほど経済的にも成功した生活を送っていた。
こうして長官職のための人事聴聞会に立つことを決心していなかったら、名誉は名誉のまま大事に保っち、経済力の面でも充足した人生を
送ることができたであろう。
ところが今では野党から「落選などという程度ではなく捜査の対象」と
いう批判を受ける身となった。
提起された他の各種疑惑は置いておいて、現時点で明るみになっている
事実だけでいくらでも恥をかくことができる欠陥だが、それにも
かかわらず長官職の提案を受諾したことが普通の人の立場からすぐには
解しがたい。一体どうして。

恥をかくことが分かっていながら、一旦長官になりさえすれば
得られる実質的恩恵があまりにも大きいためこのような選択をしたと
すれば、これ以上話す言葉が見つからない。だが、
何か他の理由がないだろうか。
私たちの脳の中に広がる記憶と忘却にその答えがある。記憶、
特に自身に関連した記憶は自分に有利にゆがめられやすい。
『考えの逆襲』にはこのような一節がある。

「私たちの脳は過ぎ去った事件を原形そのまま記憶しているが、
脆弱な反面自分の思うように解釈するのに卓越している」と。
自身の能力や成果は精一杯大きく盛って、過ちは特別なことではないと
縮小する記憶のゆがみのせいで、誰でもこのように誤った判断を
下すことがあるかもしれないということだ。

ここには忘れたいことは記憶から消し去る「忘却」も一役買っている。
飲酒運転の前歴を尋ねる国会聴聞委員の書面質問に、
宋候補は初め「ない」と答えたのは、事実隠ぺいのためのうそなのか、
でなければ単なる忘却なのか分からない。ただし、
国民を欺くことができるという傲慢から始まった意図的なうそではなく
単なる忘却でも問題はある。
『忘却の技術(The Art of Forgetting)』のIvan Izquierdoが述べたように
「何を記憶するかということと同じくらい、何を忘れるかということも
また、私たちが誰なのかを規定する」のだ。

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