2017年12月24日日曜日

ユネスコ登録「朝鮮通信使」…意欲あふれる文化ブランドに

“騙されるな・日本人”、朝鮮通信使何んて唯の朝貢なんだから、証拠に
日本からは一度も返礼はない。
韓国がどんな資料を登録してるのか判らないが、あの有名な絵、鶏泥棒の
絵も登録したのだろう、其れはしてないか、日本人もこれに
関係してるらしいが通信使が日本に伝えた云うもの何かあるか、
其れよりも日本の水車の絵図面1400年に持って帰ったらしいが、1890年代
“朝鮮には水車もない”もないと嘆いたそうだが、こんな事も
登録してんだろうな、してないか、

ユネスコ登録「朝鮮通信使」…意欲あふれる文化ブランドに
釜山文化財団、多彩な事業推進
 
「ユカと会えて楽しかった」「www 釜山方言もたくさん教えてもらって
 良かった」

今月1日午前、ソウル大学・高麗大学・江原大学・済州大学・
韓国海洋大学など全国17大学の学生からなる釜山国立海洋博物館の
朝鮮通信使探訪団約30人と日本人大学生20人が大阪歴史博物館で
「通信」した。
プレゼントを交換して博物館を一緒に見て回り、お互いに会った印象を
書き残した。

この交流活動は、国立海洋博物館側が
「朝鮮通信使ユネスコ『世界の記憶』登録」を記念して行った、
下関・広島・大阪・京都などを巡る
「朝鮮通信使行列1万里探訪プログラム」の一部だ。
国立海洋博物館のソン・ジェハク館長は
「朝鮮通信使の記録がユネスコの『世界の記憶』に登録されたのは、
関連遺物を所蔵している韓国の博物館や釜山が『グローバル資源』を
持つことになったということなので喜ばしいが、成功の半分にすぎない。残りの半分は、これを真の『グローバル資源』に育てられるかどうかに
懸かっている」と語った。

世界の記憶への登録により、朝鮮通信使は釜山の意欲的な
「文化ブランド」に浮上している。
世界の記憶に登録された朝鮮通信使の関連資料は、朝鮮が
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)後の1607年から1811年まで約200年にわたり、江戸幕府の要請で日本に12回派遣した外交使節の記録だ。
外交記録・旅程記録・文化交流記録など登録された関連資料は計
111件・333点に及ぶ。

これら資料の世界の記憶登録は、両国政府ではなく、釜山文化財団と
日本の「朝鮮通信使縁地連絡協議会」などの民間団体が主導して
実現させた点が特徴的だ。政府はもちろん、
ソウルなど韓国国内のどの都市も関心を持っていなかった2001年に
釜山海祭りの海岸パレードで朝鮮通信使の行列再現が始まった。

活動初期に「朝鮮通信使ブーム」を主導した釜慶大学前総長の
カン・ナムジュ氏は「歴史的遺産である朝鮮通信使を生かせば、釜山の
素晴らしくて新しい『文化ブランド』になると考えていた」と語った。
その後、毎年国内や対馬・下関などの地元の祭りに参加して汗を
流しながら行列を再現したり、学術シンポジウム・朝鮮通信使祭りなどを開催したりした。

しかし、釜山にある朝鮮通信使関連遺物は、登録された韓国側資料
124点のうち14点に過ぎない。
朝鮮時代に王の名の下に構成された朝鮮通信使の主な人物たちは、
ほとんどが中央朝廷の官僚だったため、その遺物はほとんどが
ソウルにあるのだ。

このため、釜山文化財団側は、散在している
国内の朝鮮通信使関連登録遺物を1カ所にまとめて展示する記念館を
釜山に建てたり、日本側のゆかりの地や世界の主要都市を回って
朝鮮通信使の意義を伝えるイベントを行ったりするなど、
さまざまな後続事業を推進する方針だ。

パク・チュヨン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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