2017年12月25日月曜日

誰もきずいてない、韓国社会の現実

日本も平和ボケとよく云われるが、半島が思想の違いで二つの国に~
我ら、自由民主主義者としては共産主義は邪悪な悪魔とも云える思想
現に、北では政治犯投獄や粛清が行われる、しかも、現代最強のの武器
核を手にしたのだ。
1965年GDPで韓国116位だったか、北が63位だったか、韓国が見かねて
当時GDP世界5位の日本に経済支援を条件に国交正常化交渉を行い
経済と技術支援でここまで成長したが~~~
北朝鮮がなぜGDPが良かったかと云うと、日本の残した資産を活用した
だが、其れも使い潰し、其れは今の韓国とても同じ事、サムスンは
半導体生産にご執心、韓国にしかできない産業いうものがない、
概念もない、外国からの投資のみ頼って旧態依然を保持してるのみ
韓国が民主化以降のあまりにも自由にウツツをぬかし、民族本来の
資質丸出しが今の韓国社会、政権だろう。

北と戦争できない悩み “核モンスター”にはお手上げ

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漢江(ハンガン)の北に広がる北朝鮮黄海北道・開豊(ケプン)郡=
11月29日午前(読者提供)

1970年代以来の韓国暮らしの中で、北朝鮮が攻めてくるという夢を
見ることがままあった。ところが近年はまったく見ない。
核実験があっても弾道ミサイルが発射されても、北朝鮮が
「戦争の危機」をあおっても。なぜだろうと思う今日このごろだ。

過去の夢で最も鮮明だったのは、80年代の前半。北朝鮮の戦闘機の
編隊が漢江(ハンガン)上空を低空飛行で北から侵攻してくる夢を
よく見た。当時、北朝鮮空軍機の亡命が相次ぎ、空襲警報まで
発令されたからだ。漢江沿いに住んでいたのでそんな夢になったようだ。

70年代後半の語学留学時代にも夢は見た。
当時は午前0時から4時まで夜間通行禁止令があり、毎月15日には
すべての交通をストップさせて「民防衛訓練」をやっていた。
夜のソウルが真っ暗になる夜間灯火管制訓練もしばしばあった。

夜間通行禁止令は「トングム(通禁)」といわれ生活化していた。
68年に起きた北朝鮮の特殊部隊による大統領府襲撃未遂事件なども
あって発令されたが、そうした日常的な「北の脅威」は日本人には
きわめて“異国的情緒”だったため夢を刺激した。

いわゆる民主化による過去否定や共産圏への門戸開放などで
「北の脅威」が後退した後でも、
盧泰愚(ノ・テウ)政権(88~93年)が最前線に近いソウルの北に
ニュータウンとして高層マンション街計画を発表したとき、国防相が
国会で「高層マンション群は有事の際はソウル防衛の盾にもなる」と
答弁し大問題になったことがある。

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次の金泳三(キム・ヨンサム)政権(93~98年)下では北の
潜水艦が東海岸で座礁し、上陸した武装工作員部隊に対する
軍事掃討作戦が展開されている。
国民意識として「北の軍事的脅威」が広範に実感されていたのは
このあたりが最後ではなかったか。

物議をかもしたソウル北方のニュータウンは、今や人口100万近い
人気の住宅都市になっている。近年、
西海岸沖の離島あたりで哨戒艦撃沈や砲撃事件があってもソウルでは
臨場感はない。
そんなこんなで筆者も90年代後半以降は“北朝鮮有事”の夢を
見ることはなくなったように思う。

韓国で「北の脅威」感が大きく後退したのは
金大中(デジュン)・盧武鉉(ムヒョン)政権(98~2008年)下の対北融和策で南北首脳会談があり、教育やメディアを含め
「対立より協力」という対北観が広がったからだ。
今年スタートした文在寅(ムン・ジェイン)政権はその延長線上にある。

ソウル北方には人口100万の住宅都市があり、隣接して
1000万のソウルが存在する。
世界有数の仁川(インチョン)国際空港は、飛び立てば北の地が
望めるほど北に近い。韓国はもう北とは戦争はできない国になって
いるのだ。
そのせいか韓国の家庭には有事対策の非常袋も自転車も心構えもない。

“核モンスター”になった北朝鮮に韓国はお手上げだ。
核問題では北も米国だけが相手といっている。
韓国の大方の国民は米国に対し、韓国に戦災が及ばないよう北と
うまく取引してほしいとだけ思っている。
だから対米関係が絶対に重要なはずなのに、文政権はやたら中国に気を
使っている。不思議なスレ違いだ。

(ソウル駐在客員論説委員)

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