2017年12月22日金曜日

悲運か、運命か、宿命か、朝鮮半島

違う話として、と言うか、朝鮮人に銃は持たせられないとか言う
話も聞いてるが、朝鮮人に後ろから撃たれるとか、1945年
日本が敗戦すると決まったとき朝鮮総督府は有識者を集め即座に
朝鮮独立をせんげんさせようとして、総督府に日の丸がおろされ、
大局旗があがったらしいが、進駐軍に下ろされ再び日の丸があがり
1948年に独立したのでは・・・・・・・

大東亜戦争で日本人とともに戦ったのに事実と全く逆のことを
教える韓国の学校

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韓国の学校では大東亜戦争で事実と逆のことを教えているという=
11月23日、韓国・浦項(共同)

韓国はことあるごとに自国を「第2次大戦の戦勝国である」と
主張し、学校の教科書でも「韓国人は連合軍の一員として日本と
戦った」と教えている。だが、
事実は全くその逆である。(夕刊フジ)

日米開戦に至るまで、朝鮮の人々は日米交渉を固唾をのんで見守り、

米国の一方的要求に切歯扼腕した。
「米英撃つべし」の声が日増しに高まり、1941年12月8日、
真珠湾奇襲が報じられると、彼らは内地の日本人に勝るとも
劣らぬほど熱狂し「聖戦完遂」に立ち上がったのだ。

同月14日には、朝鮮の人々による朝鮮臨戦報国団全鮮大会が
開催され、戦後商工大臣になった詩人の朱耀翰(チュ・ヨハン)は
次のように訴えている。

「正義人道の仮面を被り、搾取と陰謀をほしいままにしている
世界の放火魔、世界第一の偽善君子、
アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君」
「しかし、君らの悪運は最早尽きた」
「一億同胞…なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって
大東亜聖戦の勇士とならんことを誓っている」

こうして大東亜戦争が始まると、特別志願兵募集に朝鮮の若者が
殺到した。
42年には、採用数4077人に対し、25万4273人が
応募している。適齢期の健康な男子の大半が志願したことになる。
朝鮮は儒教国家であり、応募するには父母、親族の許しが必要で
あった。
大東亜戦争へ対する朝鮮民族全体の圧倒的な支持が
あったことがうかがわれる数字である。

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このような高倍率を突破して合格した青年たちは、当然ながら
優秀であり勇敢だった。
38年に志願兵第一期生として入隊した
崔慶禄(チェ・ギョンロク)はニューギニア戦線で
一個小隊を率いて米軍に切り込みをかけ、全身に被弾した。

部下の出田上等兵に担がれて後退し、新兵当時から彼に目をかけて
いた参謀長の小野武雄大佐がこれを発見した。
「彼を死なせては陛下と朝鮮人民に申し訳がたたん」と叫んで
手厚く後送し、ようやく一命を取りとめた。
(=出田上等兵はその場で絶命、小野大佐も戦死した)

崔慶禄は戦後、外交官となり駐英、駐日大使などを歴任している。
駐日大使着任時には、天皇陛下に信任状を奉呈する際、
通常10分のところ、かつての大元帥陛下と切り込み隊長は
40分にわたって話し込んだという。
万感の思いがこみ上げたのではないだろうか。

大東亜戦争で、朝鮮の人々はよく戦った。
軍人と軍属合わせて合計24万人あまりが前線に赴き、
アジアの植民地を解放するために日本人と生死をともにしたのだ。

 ■松木國俊(まつき・くにとし) 朝鮮近現代史研究所所長。
1950年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、
豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、
ソウル事務所に駐在する。2000年に退社。
韓国問題を長く研究しており、
「慰安婦の真実国民運動」前幹事長。著書に
『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)、
『日本が忘れ韓国が隠したがる 本当は素晴らしかった韓国の歴史』

(ハート出版)など。

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