2017年12月21日木曜日

1937年、通州事件

日本が半島に進出し日本に刺激され日本に留学したものが多かったと
聞く、今の北朝鮮の金日成と言う名は名跡であって本名でなく、
本物は李朝時代に日本の陸軍士官学校に留学した「金・なんとか」と
言う人物、日露戦争に参加したらしいが、共産主義に傾倒し除隊
共産主義革命に奔走し日本とも衝突したとか。
それと、比国でA級戦犯として絞首刑になった朝鮮人陸軍中将も、
名前は忘れたが、最後まで大日本帝国軍人として通した人物、あの
硫黄島の「栗林中将」と同期生と聞いた。
国家の国力は国民の教育にあり、今の韓国の北朝鮮に汚染された、
教育界で150年は覚醒は望めない・・・・

中国人保安隊が残虐の限り…「通州事件」で強まった
日本人と朝鮮人の連帯
 
(1/2ページ)
日本人と朝鮮人の連帯感を強めた大事件は、『通州事件 日本人は
なぜ虐殺されたのか』(勉誠出版)に詳しい

 「日本は朝鮮半島で収奪の限りを尽くし、朝鮮人を虐待した」

そう日本人の多くが思い込んでいる。ところが、それは戦後
創られたイメージに過ぎない。では、実際はどうだったか。
(夕刊フジ)

古代国家並みの政治・経済レベルだった李朝末期の朝鮮は、
日本統治下のごく短期間で、近代資本主義社会へと
脱皮しているのだ。
併合後に朝鮮の地主や商人の子弟が、大量に日本に留学して
近代的経済システムを吸収し、日本を手本に自ら朝鮮の
近代資本主義形成に取り組んだ結果である。

サムスン、LG、現代自動車など、現在、韓国経済をリードして
いる大企業は、そのほとんどが日本統治時代に産声をあげている。
当時の朝鮮の人々は日本に収奪されるどころか、日本人と融和して
力強く前向きに生きていたのだ。

 当然ながら、日本人と朝鮮人は、とてもうまくやっていた。

韓国の弁護士協会会長を務めた朴鐘植(パク・ジョンシク)氏は、

呉善花(オ・ソンファ)著『生活者の日本統治時代-なぜ
「よき関係」のあったことを語らないのか』(三交社)の中で、
当時を以下のように振り返っている。

「日本人に対して特別な不満はなく、日本人と朝鮮人の間の
トラブルもあまり聞いたことがない」
「もし日本人が嫌なことをやったら朝鮮人がだまってはいなかった」「だから日本人から差別されたなどの問題もなかった」

日韓併合後、時がたつにつれて日朝両民族の融和は進み、
日本統治の後半は言論界も「親日派」が大勢を占めるに至っている。

(2/2ページ)

さらに日中戦争(=当時は支那事変)勃発直後に発生した
「通州事件」で、日本人と朝鮮人の間の連帯感は一挙に強まった。
この事件は1937年7月29日、北京の東方にある通州で
日本人114人(10歳以下12人)朝鮮人111人(同13人)が、冀東防共自治政府の中国人保安隊に虐殺された事件である。
女性は強姦されて刺殺され、子供は指を切断されたり、手に穴を
あけて引きずり回して殺すなど残虐の限りが尽くされた。

朝鮮の知識人は、国民精神総動員朝鮮連盟や皇国慰問作家団など
続々と愛国団体を立ち上げて日本軍を熱烈に支持し、一般の人々も
進んで国防献金を行って日本の勝利に協力した。

京城(現ソウル)駅には、中国に向かう日本軍兵士を見送るために

連日何万人もが詰めかけ、日の丸を振って出征兵士を励ました。
数千年に及んで朝鮮民族を蹂躙(じゅうりん)し続けてきた中国を、圧倒的強さで打ち破る日本軍の進撃に、朝鮮の人々は
「先祖からたまりにたまった留飲」を下げる思いで
万歳を叫んだのだった。

 ■松木國俊(まつき・くにとし) 朝鮮近現代史研究所所長。19
50年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社
。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する
。2000年に退社。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実
国民運動」前幹事長。著書に『こうして捏造された韓国「千年の恨み
」』(ワック)、『日本が忘れ韓国が隠したがる 本当は素晴らしか
った韓国の歴史』(ハート出版)など。

0 件のコメント:

コメントを投稿