2018年3月8日木曜日

半島南北会談に思う事、一日本人の感想

今、急転直下、朝鮮半島の南北会談が進められているが、
これが、米朝会談に繋がり、周辺諸国の思惑をよそに
米朝合意がなされ、日本なんか孤立するのではとか・・・
いいよ、日本は米朝合意があっても、日本は半島に
【ミサイル・核】が無ければいい、其れが残った合意は
受け入れられないと云う事だ。
北朝鮮が体制保障の代わりに核放棄の用意があると云いながら
交渉を匂わせているが、日本人の私でさえ優先順位が違うと
まずは、国連軍である米国と戦争状態を終結する事だろう。
その後、他国に侵攻の意思のない事を証明し平和条約なり
不可侵条約なり結べばいい事だ、こんな脅すような事
しなくても出来ように~~~~

南北架け橋の立役者、韓国トップスパイの横顔
正恩氏と世間話を交わせる人物

金正恩氏(中央奥)は韓国特使団のために夕食会を開催。
正恩氏から反時計回りで正恩氏の妻、李雪主夫人、
韓国国家情報院の徐薫院長、正恩氏の妹、与正氏
(写真は韓国大統領府提供)

2018 年 3 月 7 日 08:39 JST

【ソウル】北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が、訪朝した
韓国特使団のために主催した夕食会の席上、眼鏡をかけた
ある韓国側の人物が身を乗り出して、笑みを浮かべた金氏に
話しかけている――
北朝鮮の主要紙の一面を飾った写真がとらえた瞬間だ。

その男性は、韓国国家情報院の徐薫院長。韓国の
トップスパイである徐氏は北朝鮮を標的としたスパイ作戦、
及び潜在的な脅威に関する情報分析を任されてきた。また
過去何年にもわたり、北朝鮮及び金一族との接触を水面下で
進めてきた立役者だ。

63歳のキャリア情報機関当局者である同氏は、裏ルートを
駆使して2000年と07年の南北会談の実現に尽力した。
いずれの場合も、徐氏は正恩氏の父、金正日氏と面会を
重ねている。

徐氏はこの後、ワシントン入りし、北朝鮮訪問と非核化を
巡る協議の開催に前向きとする正恩氏の考えについて、
米当局者に報告する予定だ。
同氏は北朝鮮との関与を支持する一方で、北朝鮮の
信頼性や意図については極めて懐疑的な立場を示す。

徐氏はまた、米韓同盟も強く支持している。
昨年には韓国議員に対し、たとえ北朝鮮が核開発の放棄を
確約したとしても、北朝鮮が求める朝鮮半島からの
米軍撤退は絶対に拒否すべきだと述べている。

韓国では長年、情報機関当局者が北朝鮮との仲介役として
重要な役割を果たしてきた。
72年には当時の韓国大統領が、スパイ責任者を秘密裏に
平壌に派遣し、初の南北共同声明の発表に導いた。

徐氏は53年、朝鮮戦争が休戦した数カ月後に生まれた。
79年に韓国の情報機関に加わり、その後の28年間でトップの
座に上りつめた。

北朝鮮の核開発を凍結する94年の米朝合意を受けて、
97年7月には北朝鮮に軽水炉を建設する取り組みの
一環として、韓国当局者として初めて北朝鮮で暮らす。

徐氏はその後の2年、北朝鮮の東部沿岸の都市、新浦で
生活する。08年の著書では、
「自由に地元のレストランに行く、滞在先の近くの海岸を
歩く、路上での小さな事件に対処するといった
小さなことでさえ、すべて北朝鮮人と交渉しなければ
ならなかった」とし、「交渉は決して容易ではなかった」と
振り返っている。

徐氏はその後の数年間に経験を重ね、南北首脳会談の開催に
導く。それまでの過程では、当時の北朝鮮の指導者、
故正日氏と多くの時間を過ごした。

元統一相で、現在は国会議員を務める鄭東泳氏は、
「正日氏は徐氏を気に入っていた」と話す。
鄭氏は05年に、徐氏とともに北朝鮮を訪問している。

鄭氏によると、北朝鮮に非核化協議への復帰を促すことを
目指したその会談では、同氏と徐氏、正日氏と5時間に
わたって協議したとしている。

そしてこう加えた。
「徐氏は恐らく正恩氏と多くの世間話を交わすことができる。父親の正日氏との思い出話を口にすれば、ムードも
和むだろう」

徐氏は08年、北朝鮮の核兵器開発の目的に関する
博士論文で、北朝鮮は最終的には、米国との間で何らかの
安全保障に関する合意を取り付けることを目指していると
指摘している。

「北朝鮮による核兵器開発の追求は、恒久的な戦略として
継続することはできない」とした上で、
「いずれは、こうした外交政策は制度上の制約を生み、
北朝鮮の成長の足かせになる」と述べている。

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