2019年4月7日日曜日

時には世の中の鏡に我々を映してみよう=韓国

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これが、ソウル大学の法学部大学院の主張、あの1998年金融危機を
『IMF危機』とか『IMF事態』とか呼んでる事自体が主観的・・
それほど韓国は躍動的か、躁鬱火病症候群的躍動感やろ、今韓国は
国家債務と家計債務合わせてGDPの二倍、4月から6月の
第二四半期の経済指標が半減すれば外資が逃げ始める~~~
どうするよ、韓国。




【中央時評】時には世の中の鏡に我々を映してみよう=韓国
2019年04月06日14時24分 [中央SUNDAY/中央日報日本語版]

ダイナミックコリア(Dynamic Korea)。
誰かは知らないが、実にうまく付けた。これ以上に我々をよく
表現する言葉があるだろうか。
韓国はまさに躍動的だ。
あらゆることが休まずに動く。勉強なら勉強、仕事なら仕事、
全国民がいつも全力投球する。

危機の状況でその力はさらに目立つ。
国家金融危機にどの国の国民が家にある金製品を出すだろうか。
我々はそうした。
各家庭のタンスからなんと227トン、21億ドルの金が出てきた。
危機も突然襲ったが、克服も電光石火だった。
危機が訪れればまた団結するだろう。

一生懸命な我々だが、少し足りないところがある。
それは自分たちの目だけで世の中を眺めることだ。
おそらく自分たちだけで長く暮らしているからではないだろうか。
自国中心的なところが多い。一例を見てみよう。
1997年11月のことを今でも「IMF事態」と呼ぶ。
IMF(国際通貨基金)は我々に緊急資金を融通してくれた。
融資してくれた銀行名で「事態」と呼ぶのは非常におかしい。
IMFは危機に陥ったのではなく、その事態を招いたわけでもない。
一種の幽体離脱話法だ。

先日、1人あたり国民所得が待望の3万ドルに到達した。
名実ともに先進国クラブだ。
達成を自慢しながらも、依然として法的に片足は開発途上国に
掛けている。開発途上国に与えられる通商協定の特恵が
あきらめられないからだ。
3万ドル国家が開発途上国なら国際社会はどう見るだろうか。
自分たち中心の観照法だ。

1960-70年代、韓国代表のサッカー試合のラジオ中継では、
韓国はずっと一方的に攻め、数多くのシュートがゴールをかすめる。
審判の不公正判定も類例がない。
実際の試合は必ずしもそうではなかった。
重要な国際交渉と決定を伝える声は今でも大きくは変わらない。

周辺にも見られる。
ソウル漢南洞(ハンナムドン)で南アフリカ共和国大使館を
「Namapeurika Gonghwaguk Embassy」と表記した道路標識に戸惑う外国人が数年前のKBS(韓国放送公社)ニュースに出てきた。
「光化門(クァンファムン)サゴリ
(=交差点、Gwanghwamun Sageori)表示を
見ながら道に迷っている外国観光客をインタビューしたのは
MBC(文化放送)だ。
理解できるかどうかより自分たちに都合よく表示している。
今年3月、国土交通部は全国表示板整備計画をまた明らかにした。
英語に翻訳された我々の法令は謎解きのようで、むしろ読めば誤解が
生じる。

昨年、飛行機に乗った韓国国民は3000万人、ソウルに来た
外国人は1500万人。世界に韓流が広がり、韓国の放送には
外国人が多い。
このような国際化の中でも
「私たち」性向は依然として根深い。国際社会が我々をどのように
見るかを深く考えない。
「黒い髪の外信記者」表現もそうだ。
今では第3世界の国でも聞かれない表現だ。

このような傾向の中、何かあれば
「原因は外国にあり、我々はひたすら悔しい」。
悲壮の中で重要な意思決定をする。世界7位の貿易規模、11位の
経済規模の国にふさわしくない。

こういう部分がある。
実際、重要なことであるほど大きな絵では概して我々の考えと立場は
正しい。ところが我々が正しければ、我々の意図が善良なら、それで
終わりだと考える。これが問題だ。
国際社会にも目と耳があり、考えがある。我々がどのように映り、
どのように聞こえるかという点には無神経だ。時には果敢だ。
判断が立てば、あることに対しては冷水を最後までねじり、ある国に
対しては熱水を最後までねじる。
しかし国際社会の水はたいてい中間の温度だ。

条約や国際文書が作られる時もそうだ。
我々に有利な方向で考えてそう信じる。
国連安全保障理事会決議も、欧州連合(EU)の新しい規定も、
我々に有利な最上のシナリオで希望の解釈をする。
北朝鮮、イラン制裁措置には特別な待遇を期待する。
我々の事情は違うから当然だという考えがある。
我々の事情を理解できない国は徳が足りず、人情がない国際社会は
冷たいと感じる。
中国、日本など周辺国とのいくつかの懸案をめぐっても似ている。

肯定的な思考、もちろん重要だ。
創意性、不変の徳目だ。
我々の国益のために積極的に努力するのは当然だ。
しかし相手を説得して本当に実利を得ようとするのなら、我々の
考えや主張に客観性と合理性があるかどうかを常に顧みる必要がある。資料とデータ、論理と判例を相手の目の前に出さなければいけない。
人に評判が重要であるように、国際社会の目も厳しい。
重要なことであるほど冷静に我々自らを評価し、時には客観的な
立場で問題を眺めよう。
そうしてこそ勝つことができる。本当に実利を得る道だ。

これを逃せば、明らかに自分たちが悔しい立場でも相手の反撃を
食らう。
我々が問いただすべきことでも時間が過ぎれば攻守が変わっている。
我々が被害者でも国際世論の前で劣勢になる。憤りが爆発することだ。

国内外が騒々しい。
重要な岐路で時には我々を世の中の鏡に映してみよう。
国際化や先進化などと大そうな名前を付ける必要もない。
ワンテンポだけ遅らせて冷静に確かめてみよう。

  イ・ジェミン/ソウル大法学専門大学院教授

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