2019年4月10日水曜日

4月10日 産経抄

韓国が文句を言ってくるだろうか・・・?、すでに、言ってきてる
新元号『令和』には、難解な漢字を理解出来ない半島人が絡むには、
難しかったのか、万葉集が韓国起源だとか支離滅裂・・・
今回の新札も、韓国に配慮がないとか、批判が予想されるとか、
『渋沢・栄一は収奪の象徴とか』韓国メデイアが批判を
煽るような記事を掲載・・・・・



4月10日 産経抄

明治100年ブームに沸いた昭和43年、作家の城山三郎さんは
小紙への寄稿で嘆いていた。
「明治100年の50年分ぐらいは、この人の力でつくられたようにも思えるのだが、一向にその名が出ない」。

▼「日本資本主義の父」と呼ばれる実業家、渋沢栄一の名が
広く知られるのは、3年後に城山さんが伝記小説『雄気堂々』を
発表してからだ。
91年の生涯で設立した企業は500、関係した
公共・社会事業は600にものぼる。

▼渋沢が亡くなった日の翌朝、屋敷の庭の片隅で正座している男が
見つかった。
「ここで、かげながらお通夜をさせていただきました」。
男は渋沢が運営する福祉施設で育ち、渋沢を実の父のように
慕っていた。
〈資本主義を罪悪視する我なれど君が一代(ひとよ)は尊くおもほゆ〉。当時の短歌雑誌「アララギ」に載った、追悼の一首である。

▼「論語」を愛し、儒教倫理を説いた渋沢は、
艶福家(えんぷくか)としてのエピソードも残す。
「お父さんも論語とはうまいものを見つけなさったよ。
あれが聖書だったら、守れっこないものね」。
夫人の晩年の述懐である。

▼城山さんがほれ抜いた快男児の肖像が、新しい一万円札に
描かれることになった。
新しい元号「令和」が発表されると、出典の『万葉集』が
注目されたように、渋沢の生涯にも改めて光が当てられるだろう。

▼昭和38年に千円札が発行された際は、渋沢の肖像も最終選考に
残っていた。
結局ヒゲが決め手となって、伊藤博文が採用された。
韓国では日韓併合を進めた人物とあって、「ケシカラン」の声が
上がったものだ。
実は併合前、渋沢が設立した第一銀行によって韓国で発行された
十円札などには、すでに本人の肖像が入っていた。
今回も韓国は文句を言ってくるだろうか。

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