2019年4月11日木曜日

野蛮の時代は今でも続く=韓国

そう,生きなさい、未来永劫に続く野蛮な時代をいきるのです。
まァ、無理でしょう、教育界を北朝鮮に牛耳られては専念は無理



【中央時評】野蛮の時代は今でも続く=韓国(1)
2019年04月10日16時46分 [中央日報/中央日報日本語版]

学生時代、胸が痛かった記憶がある。学校は、
成績が振るわない学生の学習能力の底上げを図るといって勉強が
よくできる学生とできない学生をペアにして座らせた。
勉強できない学生が友達から学べば成績が上がるだろうと
期待したのだ。だが、
現実は反対に動いた。
ある先生は私のパートナーに質問をしたが、この学生がちゃんと
答えられないと「席がもったいない」と言って小突いた。
勉強を頑張れという意味で与えた席がさらに多くのむちで打たれる
席になった。
気のいい友は小突かれても平気だというように笑顔を作ってみせたが、

私は申し訳なさと無力感でしばらく苦しい思いをした。

当時は全校生の成績を1位から最下位まで廊下に張り出す高等学校が
多かった。
企業の生産ラインで働く労働者のように、学生は数字であり成績を
生産する労働者だった。
学校と家のどこででも、勉強がよくできれば尊敬を、できなければ
過小評価を受けた。
その時は後で経済的な余裕ができれば社会的な価値が
多様化するだろうと考えていた。
私たちの子ども世代にはこのような野蛮的競争がなくなるだろうと
いう希望があった。そのように信じて、私たちだけ野蛮時代を
生き延びれば良いだろうと思っていた。

英国で生活していた時だった。
有名なグラマースクールの話を知ることになった。
10歳の時に試験を受けて入学するこの学校はオックスブリッジに
学生を最も多く送り込む最高の名門公立中高等学校だ。ところが
優等賞授賞式がないという。
代わりに科目別に勉強がよくできる学生一人ずつとその両親だけを
招いて先生が励ますといった。
不思議に思ってなぜそのようにするのかと尋ねた。
返ってきた答えは優秀な学業成績は性格、芸術、運動、創作などが
優れているように多くの素晴らしい資質の一つにすぎないのに、
唯一それだけを強調する必要がないということだった。
英国での教育は数字を作る工場ではなく、高貴な人と大切な共同体の
価値を入れる器だった。

英国で故キム・グンテ議員と会う機会があった。
大統領選挙戦直後に訪問した時だった。
英国で最も感銘深いことは何かというキム議員の真剣な問いに
「人」だと答えた。
例に挙げた理由はこうだ。
「うちの子が通っている小学校の児童がたった今英国に来たばかりで
英語もうまく話せない韓国の子どもを全校会長に選んだ。
その韓国の子どもがサッカーをしているところを見て、
リーダーシップが十分にあるだけでなく、会長になれば英語をもっと
早く身につけることができるだろうと小学生が考えたということだ」。

キム議員は衝撃を受けたように
「いや、人間は本来利己的なものだが、どうしたらそれが可能なのか」

「さらに、どうしたら小学生がそのように考えることができると
 いうのか」と聞いた。
「それが教育を成績順でしか測れない国と価値で測る国の違いで国の
品格です」と答えた。
その答えの重さのためか、彼のかしげた首がさらに傾いたようだった。



【中央時評】野蛮の時代は今でも続く=韓国(2)

そのような英国で短くない期間を送って15年余り前に帰国した。
以前、私たちの世代が経験した野蛮の時代はすでに過去のものに
なっているだろうと思っていた。だが、
その期待は韓国最高の高等学校の一つと言われるところで完全に
崩れた。
米国と韓国名門大学に生徒を最も多く入学させるという話題の
学校だった。
ところが学校建物に入るなり玄関の入口に張り出された長い紙が目に
ついた。
毎月行っている米国大学入試模擬試験で1位から最下位までの順位と
名前と成績を羅列したまさにその野蛮の象徴だった。
そこで聞いたありとあらゆる「良い」という話は信じられず、はやく
引き返したい気持ちだけが先立った。

最も大きな逆説は、生徒を野蛮時代の最大被害者として生きるように
させているのはその両親という事実だ。先日、
ドラマ『スカイキャッスル』のセリフのように
「子どもをそのようにしたのは私(先生)ではなく両親」だ。事実、
韓国の学校は両親の希望を実現させようと手を尽くす代理人になった。

韓国教育の問題は単に入試制度と私教育問題ではなく、野蛮時代を
離れようとしない親の問題であり、そのような親に胚胎した
文化と価値観の問題だ。
韓国で第1宗教は大学校という笑い話があるように、韓国では
どのような信仰もこの教育という壁を越えられない。

大学教授の相当数はこのように「勉強」を多くやった最近の
学生たちの実力が以前のようではないという。
ソウル大に30年以上奉職して引退した教授は、学生の実力が
在職期間中、落ちる一方だったと嘆いた。
勉強投入時間に比例して実力が増加するなら、今の学生たちが
最も優秀でなければならないだろう。
実力が以前と同じだといっても、その途方もない費用と努力を
勘案すれば実際にその産出はとてつもなく低くなったのだ。

教育を見ればその国の未来が見える。
教育が高費用・低効率なら未来の経済もそうなるだろう。数字を
烙印する教育では革新は起きえない。
野蛮の時代を生きていく者には幸せな夕方は不可能だ。
ところで今だけでなく、どの政府も教育問題を何とかしようと
考えすらしていない。
選挙キャンペーンの間はすべての問題を解決すると叫び、終れば
とたんに口をつぐむ。
「どうせできないことだからあきらめるのが正解」という
政治的算術のためであろう。
ではこのまま私たちは野蛮の時代をずっと
生き続けなければならないのか。
誰よりもまず親たちが答えなければならない質問だ。

  キム・ビョンヨン/ソウル大学経済学部教授

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