2019年12月15日日曜日

ああ、ガダルカナル 過酷な戦場で将兵は、天皇の祈りに涙した

私の父は帝国海軍の通信兵をしていたが、私の10代小学校高学年だったか、記憶は
定かでないが、家の近くにこのガダルカナル生き残りの人がいて父と話していたのを
横できいたことがある。
飛行場建設途中の米軍上陸戦で、
「あの時はきつかった、三日三晩米軍と撃ち合ったこともあった」と
軍艦は海の上を移動できるが、上陸した将兵は移動が限定される、弾も尽き、食料も
水もなければ戦えぬ・・・・・・・・・・・
飛行場奪還の北海道・一木支隊が全滅は運命だったのか・・・

ああ、ガダルカナル 過酷な戦場で将兵は、天皇の祈りに涙した
2019.12.14

画=井田智康

第183回 暗転(1)

昭和17年6月7日《(昭和天皇は)軍令部総長永野修身に謁を賜い、
ミッドウェー海戦の戦況につき奏上を受けられる。これに対し、
今回の損害により士気の阻喪を来さないよう御注意になり、また今後の作戦が
消極退嬰とならないようお命じになる》(昭和天皇実録30巻105頁)

昭和天皇は逆境に強い。
空前の大敗北となったミッドウェー海戦の一報を受け、海軍上層部が茫然自失と天を
仰いでいたときでも、周囲に気落ちした様子をみせなかった。
内大臣の木戸幸一が6月8日の日記に書く。

「航空戦隊の蒙りたる損害誠に甚大にて、宸襟(しんきん)を悩まさせられたるは
もとよりのことと拝察せるところなるところ、天顔を拝するに神色自若として
御挙措平日と少しも異らせ給はず…」

大元帥として、自らの言動が前線の将兵に与える影響を、十分に認識して
いたのだろう。7月6日、
昭和天皇は《宮内大臣松平恒雄をお召しになり、日光への行幸に先立ち連合艦隊へ
行幸し、海軍を激励したき旨を仰せになる》(昭和天皇実録30巻119頁)

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