2012年8月31日金曜日

中国、韓国、の反日デモについて

8月20日中国において、日本大使の公用車が襲われた。
今日は対中国について書きたいと思うが、共産主義の国であり、分からいのが本音だ。

日中平和友好条約



日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
通称・略称 日中平和友好条約
署名 1978年8月12日(北京)
効力発生 1978年10月23日
条約番号 昭和53年条約第19号
言語 日本語/中国語

内容は基本的に日中共同声明の文面を踏襲したものとなっている。主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述されているのが特徴。中国側は賠償金請求を放棄する代わりに、日本側からODA等の巨額な経済援助を引き出した。

2012年度対中国のoda資金供与は7.5%削減の42億円、日本人はまだ中国に援助している。
もう34年にもなり、総額10兆円をはるかに超えているのではないか。
経済援助が少なくなるのがきにいらないのだろう。

しかもこの援助中国民衆はおろか、共産党の中枢の人間しか知らないことだ。
今の中国の発展は中国人、自らなしたものだと信じているのだんな。


中華思想においては、「中国」「中華」に対して、その四方に居住する周辺民族は「夷狄」として
対置される。
漢民族は周辺民族を「北狄」「東夷」「西戎」「南蛮」と呼び、野蛮とみなして蔑んだ。
中国歴代王朝は、自らが人類で唯一の皇帝であり、それ以外は中華世界における辺境に
過ぎないという態度を取った。
対等な国が存在しないのだから、対等な関係外交は存在せず、周辺民族との関係は全て朝貢と
いう形式となる。
逆に言えば夷狄の王が中原を征服して中国に同化し、皇帝となることも可能であった。
五胡十六国時代の諸国や南北朝時代の北朝がこの典型である。
しかし、遼、金、元、清の4王朝は漢民族を支配して中華帝国の系統に属する王朝を作ったが、
自民族の文化も保持し続け、漢民族に対しては征服王朝として振る舞った。
漢民族が直面したこのような現実に対して、宋学では華夷秩序が強調されるようになった。



現在、アジア大陸の東部に広がる一帯が「中国」と呼ばれている地域であり、
中国大陸とそれに付随する島嶼にあたる。
現代の中国社会の中心的地位を占めている漢民族を始めとして、一時は中国全土を支配して
いたモンゴルなど、様々な民族による複数の王朝の出現、滅亡、戦乱を繰り返してきた。
清代までの中国には「王朝」の概念はあれど「国家」の概念は無く、「天下あって国家無し」と
言える状態だったため、王朝の名前が対外・対内的な呼称として用いられていた。
19世紀半ば以降、中国が世界的な主権国家体制に組み込まれてゆく過程で、「中国」という
用語が主権国家の自称として広く用いられるようになり、次第に固有名詞としての性格を濃くして
いった。
現在ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。
また、その地域、文明、民族を広く指し、紀元前からの文明の総体をも含めて用いられている


まあ!!
中国という国はこの程度の国だ!!
黄河文明4000年の歴史はあれどレベルは低いものよ!!!


日本はこんな中国から手を引くのだ
中国なんかを相手にするな!!!











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