2015年11月30日月曜日

胸打たれる記憶、ミズーリーへの特攻

始まりがアリゾナで、終わりがミズーリーか、因果はめぐるだな
しかし、よくわかったな、身元が、この石野二飛曹いう人は、叔父とその子
つまり、いとこだだな、皆特攻で戦死しているんだな・・・?
そんな記憶があるが・・・・

https://www.youtube.com/watch?v=70ci5ii0lv4

「何度見ても胸を打たれる」 ミズーリへの特攻 動画を発見 
 大分の宇佐市塾 来年春にも公開へ

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零戦突入直後の戦艦ミズーリ。円で囲んだ部分に白煙が上がっている

昭和20年4月、鹿児島・喜界島沖において、米戦艦ミズーリに旧日本軍の
零戦が突入する様子を映した動画が、米国立公文書館に残っていた。
大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」(平田崇英塾頭)が発見、
解析した。
ミズーリへの特攻は、その瞬間を撮影した写真が有名だが、今回の動画は
別の米艦から映したもので、戦史研究家は
「状況がリアルに分かる貴重な史料だ」と述べた。
同塾は来年春にも公開する。(村上智博)

映像は米海軍が撮影したものを、同塾が解析した。タイトルなどに続いて、
画面の左から右に航行するミズーリが映る。

開始から10秒後、その右舷後方から零戦が近づき、体当たりする。
映像からは、対空砲火を避けるように海面すれすれの超低空を飛行する
零戦や、ミズーリの右舷に白煙と炎が上がる様子が見て取れる。
やがて炎が収まり、黒煙を出したところで映像は終わる。

宇佐市塾は昨年夏、映像を入手後、映っている戦艦の特定作業に
取りかかった。
戦艦のシルエットと、当時の主要戦艦の側面図を丹念に比較した。
長い艦首や、艦橋と煙突がほぼ一体化しているなどの特徴から、
アイオワ級の戦艦であることが判明した。

さらに詳細に分析した結果、映像が昭和20年4月11日午後2時台に、
ミズーリへの特攻を撮影したものだと断定した。
空母ヨークタウンから36ミリカメラで撮影されたものとみられる。

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映像を解明した同塾の織田祐輔氏(29)らによると、特攻機は、海軍の
鹿屋基地(鹿児島県)を飛び立った「第五建武隊」(計16機)の
1機だった。
岡山県出身の石野節雄・二等飛行兵曹=当時(19)=の搭乗機では
ないかとみられる。
突入機の右翼は副砲塔にぶつかり、燃料に引火した。
映像の白煙と黒煙はこの際のものとみられる。

鎮火作業後、ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長は、命を賭して自らの
任務を全うしたとして、甲板に残されたパイロットの遺体を弔うことを
決めた。翌日、
星条旗に描かせた日の丸を使い、海軍式の水葬が執り行われたという。

広島県の呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の
戸高一成館長(67)は「今回の動画の発見で、パイロットの最期の瞬間を、より立体的に見て取れる。
その瞬間まで生きぬいたことを伝える貴重な映像で、見る度に胸が打たれる」と語った。
           ◇
■戦艦ミズーリ 1944(昭和19)年に就役し、
硫黄島、沖縄作戦などに加わった。45年9月、東京湾のミズーリ艦上で、
日本の降伏文書調印式があった。朝鮮戦争後、いったんは一線を退くが、
武装の近代化などを施し、86年に復帰した。
湾岸戦争にも参加し、92年、改めて退役した。
99年から、米ハワイの戦艦アリゾナ記念館近くに係留され、
公開されている。全長270メートル、高さ64メートル。

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