2016年9月22日木曜日

今日の歴史、台湾で神になった日本兵

1946年~か、戦争が終わって一年、1945年~55年位までは在日の中国人、
朝鮮人による無法な犯罪が多かった、これも(ヤミ米)でひと儲けしょうと
した在日達の反撃だろう。
台湾にはこういう話が多いよな、ダムを建設した日本人とか、先の大戦で
台湾義勇軍の隊長とか、いろんな話が有るけど、国共内戦で台湾は、
相当に辛酸をなめている、それだけそれ以前の記憶がなつかしいのかも・・
蒋介石が来て台湾の日本残滓を一掃しょうとしたが諦めたらしい・・

1946年 - 坂町駅でヤミ米を押収しようとした警察官を
     在日中国人・朝鮮人が集団で襲撃。(坂町事件)

今日の歴史(9月22日)
2016/09/22 00:00文字拡大  文字縮小  印刷 twitter  facebook

1964年:韓国軍事援助団140人がベトナム到着
1965年:中央日報が創刊
1971年:板門店に南北直通電話を開設
1975年:民間防衛組織の「民防衛隊」を創設
1983年:大邱で米国文化院放火事件が発生
2004年:イラク駐留韓国部隊が北部アルビル入り

台湾で神になった日本兵 夢のお告げで“里帰り”









台湾南部・台南市の飛虎将軍廟に祭られている杉浦茂峰兵曹長の写真
(田中靖人撮影)







【台南=田中靖人】先の大戦末期に台湾南部の台南市で戦死し、現地で神と
して祭られている杉浦茂峰海軍兵曹長の神像が、杉浦氏の出身地、
水戸市に“里帰り”することになり21日、台湾を出発した。

戦死により少尉に特進した杉浦氏を祭る「鎮安堂飛虎将軍廟(びょう)」の
縁起などによると、杉浦氏は20歳だった1944(昭和19)年10月、
来襲した米軍機を零戦で迎撃中に被弾。集落への墜落を避けようと機体を
郊外に誘導したため脱出が遅れ、落下傘で降下中に機銃掃射を受け戦死した。

戦後、地元の人々が集落を守るために命を落とした杉浦氏を悼み、
落下地点に71年に廟を建設。
「飛虎将軍」と呼び、朝夕に「君が代」と「海ゆかば」の演奏を流し
弔っている。

“里帰り”の計画は今年春、廟を訪れた日本人作家の夢枕で、杉浦氏が
「水戸に帰りたい」と話したことから始まった。
廟が所属する寺院「海尾朝皇宮」の管理委員会が占いで主神の「意志」を
確認したところ、その通りだとの結果が出たという。

杉浦氏の神像は、軍刀を持って座った姿の高さ30センチ程度の木像。
21日朝、祭壇からケースに移され、関係者約30人とともに
南部・高雄空港から成田空港に向かった。
主神が廟の外に出るのは初めてで、中華航空は神像のために座席の手配に
応じた。
同日中に水戸市に到着、22日に護国神社で慰霊祭が行われる。
神像は再び台湾に戻るが、分祀(ぶんし)の計画もあるという。

管理委員会の呉進池主任委員(60)は21日朝、
「いつも厳粛な表情の飛虎将軍が、今日はほほ笑んでいるようだ」と話した。

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