1946年~か、戦争が終わって一年、1945年~55年位までは在日の中国人、
朝鮮人による無法な犯罪が多かった、これも(ヤミ米)でひと儲けしょうと
した在日達の反撃だろう。
台湾にはこういう話が多いよな、ダムを建設した日本人とか、先の大戦で
台湾義勇軍の隊長とか、いろんな話が有るけど、国共内戦で台湾は、
相当に辛酸をなめている、それだけそれ以前の記憶がなつかしいのかも・・
蒋介石が来て台湾の日本残滓を一掃しょうとしたが諦めたらしい・・
1946年 - 坂町駅でヤミ米を押収しようとした警察官を
在日中国人・朝鮮人が集団で襲撃。(坂町事件)
今日の歴史(9月22日)
2016/09/22 00:00文字拡大 文字縮小 印刷 twitter facebook
1964年:韓国軍事援助団140人がベトナム到着
1965年:中央日報が創刊
1971年:板門店に南北直通電話を開設
1975年:民間防衛組織の「民防衛隊」を創設
1983年:大邱で米国文化院放火事件が発生
2004年:イラク駐留韓国部隊が北部アルビル入り
台湾で神になった日本兵 夢のお告げで“里帰り”
台湾南部・台南市の飛虎将軍廟に祭られている杉浦茂峰兵曹長の写真
(田中靖人撮影)
【台南=田中靖人】先の大戦末期に台湾南部の台南市で戦死し、現地で神と
して祭られている杉浦茂峰海軍兵曹長の神像が、杉浦氏の出身地、
水戸市に“里帰り”することになり21日、台湾を出発した。
戦死により少尉に特進した杉浦氏を祭る「鎮安堂飛虎将軍廟(びょう)」の
縁起などによると、杉浦氏は20歳だった1944(昭和19)年10月、
来襲した米軍機を零戦で迎撃中に被弾。集落への墜落を避けようと機体を
郊外に誘導したため脱出が遅れ、落下傘で降下中に機銃掃射を受け戦死した。
戦後、地元の人々が集落を守るために命を落とした杉浦氏を悼み、
落下地点に71年に廟を建設。
「飛虎将軍」と呼び、朝夕に「君が代」と「海ゆかば」の演奏を流し
弔っている。
“里帰り”の計画は今年春、廟を訪れた日本人作家の夢枕で、杉浦氏が
「水戸に帰りたい」と話したことから始まった。
廟が所属する寺院「海尾朝皇宮」の管理委員会が占いで主神の「意志」を
確認したところ、その通りだとの結果が出たという。
杉浦氏の神像は、軍刀を持って座った姿の高さ30センチ程度の木像。
21日朝、祭壇からケースに移され、関係者約30人とともに
南部・高雄空港から成田空港に向かった。
主神が廟の外に出るのは初めてで、中華航空は神像のために座席の手配に
応じた。
同日中に水戸市に到着、22日に護国神社で慰霊祭が行われる。
神像は再び台湾に戻るが、分祀(ぶんし)の計画もあるという。
管理委員会の呉進池主任委員(60)は21日朝、
「いつも厳粛な表情の飛虎将軍が、今日はほほ笑んでいるようだ」と話した。
朝鮮人による無法な犯罪が多かった、これも(ヤミ米)でひと儲けしょうと
した在日達の反撃だろう。
台湾にはこういう話が多いよな、ダムを建設した日本人とか、先の大戦で
台湾義勇軍の隊長とか、いろんな話が有るけど、国共内戦で台湾は、
相当に辛酸をなめている、それだけそれ以前の記憶がなつかしいのかも・・
蒋介石が来て台湾の日本残滓を一掃しょうとしたが諦めたらしい・・
1946年 - 坂町駅でヤミ米を押収しようとした警察官を
在日中国人・朝鮮人が集団で襲撃。(坂町事件)
今日の歴史(9月22日)
2016/09/22 00:00文字拡大 文字縮小 印刷 twitter facebook
1964年:韓国軍事援助団140人がベトナム到着
1965年:中央日報が創刊
1971年:板門店に南北直通電話を開設
1975年:民間防衛組織の「民防衛隊」を創設
1983年:大邱で米国文化院放火事件が発生
2004年:イラク駐留韓国部隊が北部アルビル入り
台湾で神になった日本兵 夢のお告げで“里帰り”
台湾南部・台南市の飛虎将軍廟に祭られている杉浦茂峰兵曹長の写真
(田中靖人撮影)
【台南=田中靖人】先の大戦末期に台湾南部の台南市で戦死し、現地で神と
して祭られている杉浦茂峰海軍兵曹長の神像が、杉浦氏の出身地、
水戸市に“里帰り”することになり21日、台湾を出発した。
戦死により少尉に特進した杉浦氏を祭る「鎮安堂飛虎将軍廟(びょう)」の
縁起などによると、杉浦氏は20歳だった1944(昭和19)年10月、
来襲した米軍機を零戦で迎撃中に被弾。集落への墜落を避けようと機体を
郊外に誘導したため脱出が遅れ、落下傘で降下中に機銃掃射を受け戦死した。
戦後、地元の人々が集落を守るために命を落とした杉浦氏を悼み、
落下地点に71年に廟を建設。
「飛虎将軍」と呼び、朝夕に「君が代」と「海ゆかば」の演奏を流し
弔っている。
“里帰り”の計画は今年春、廟を訪れた日本人作家の夢枕で、杉浦氏が
「水戸に帰りたい」と話したことから始まった。
廟が所属する寺院「海尾朝皇宮」の管理委員会が占いで主神の「意志」を
確認したところ、その通りだとの結果が出たという。
杉浦氏の神像は、軍刀を持って座った姿の高さ30センチ程度の木像。
21日朝、祭壇からケースに移され、関係者約30人とともに
南部・高雄空港から成田空港に向かった。
主神が廟の外に出るのは初めてで、中華航空は神像のために座席の手配に
応じた。
同日中に水戸市に到着、22日に護国神社で慰霊祭が行われる。
神像は再び台湾に戻るが、分祀(ぶんし)の計画もあるという。
管理委員会の呉進池主任委員(60)は21日朝、
「いつも厳粛な表情の飛虎将軍が、今日はほほ笑んでいるようだ」と話した。
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